32 その頃、キールでは……(1)
「ああ、エルンスト! よくぞ無事で!」
クリスタリア国旗を掲げた大型の帆船がキール港に入港すると、知らせを受けていたのだろう、エルンスト・フォン・ヴィスマイヤーの母親のタチアナと妹のレーナが港まで迎えに来ていた。
エルンストの母親は、タラップから船着き場に降り立った息子を、目に涙をいっぱい浮かべながら強く抱きしめた。
「本当に、こうして元気な顔の貴方に、再び生きて会えるなんて……。おかえりなさい、エルンスト!」
「ただいま戻りました、母上。長い間ご心配をおかけし続けたこと、大変申し訳なく思っております」
エルンストの母親のタチアナは、少しは落ち着いたようで、息子から離れると照れたような笑顔を浮かべた。それから、その場にいたクリスタリア国からの面々と、息子の婚約者のルアンナに向かって改めて丁寧な挨拶をした。
ー * ー * ー * ー
「母は、しばらく会わない間に、すっかり老け込んでしまったようです……」
久しぶりにキールにある生家へと戻ってきたエルンストは、母の背中を見送りながらポツリとそう呟いた。
母親のタチアナは、息子に再会できた喜びでずっと興奮状態だったが、夕食を終えると、それまでの辛い日々で積もり積もった疲労が一気に押し寄せたのだろう、酷く疲れた様子で次女のレーナに支えられながら先に部屋へと下がって行った。
十三年前のあの日、この国は、国王のヴィルヘルムとその王妃のスサーナ、それからまだ産まれて間もない第一王女のローザリアを一度に失った。
王族で生き残ったのは跡取りである第一王子のレオンハルトと、たまたま外出をしていて不在だったヴィルヘルムの実母、王太后のヒルデグンデだけだ。
この不幸な事件は、隣国ノルドリンガー帝国から密かに潜入していた一部の兵士たちによる反乱だったとされている。
だが、それは事実では無い。
これらの一連の災厄は、当時は国務大臣だったザグマン伯爵(現在は侯爵)が引き起こしたものだ。
そのザグマン侯爵は、生き残った第一王子のレオンハルトが成人して王位を受け継ぐまでの期間、自ら “摂政” という立場で国を動かしている。
ところが、その唯一生存していたとされる第一王子のレオンハルトは、実はザグマンたちによりすり替えられた全くの偽者だ。
本物のレオンハルトは、死亡したとされているローザリアと共に、今はクリスタリア国で第三王子のアスールと第三王女のローザとして暮らしている。
とは言え、この事実を知る者はこの国にはほとんど居ない。
エルンストの母、タチアナ・フォン・ヴィスマイヤーは亡くなったヴィルヘルム王の従叔母に当たる。
タチアナは従甥のヴィルヘルムだけで無く、同時に、当時宰相を務めていた夫のヨハン・フォン・ヴィスマイヤーまでも殺されているのだ。
その上、当時王妃の侍女をしていた長女のアナスタシアも生死不明で行方が分からなくなっていた。
タチアナの悲劇はそれだけでは終わらなかった。
襲撃事件から二年半後、タチアナが乗った馬車が崖から転落するという惨事に見舞われる。タチアナ本人は一命を取り留めたが、同乗していた長男のクラウスと三男のデニスは帰らぬ人となっている。
更に四年後、今度は次男のエルンストが刺客に襲われる。
馬車の事故をはじめとする一連の不幸な出来事は、夫の弟であるヘルフリートが、ヴィスマイヤー侯爵家の家督権を奪う目的での犯行ではないかとタチアナは考えた。
タチアナはエルンストの身にもいよいよ危険が迫っていると感じ、負傷したエルンストを国外へと逃す決心をしたのだった。
「私は母と妹をロートス王国に残し、一人タチェ自治共和国へと逃げ延びました。そこから行方不明の姉の生存を信じて各国を巡り歩き、幸運にもクリスタリア国で姉アナスタシアとの再会を果たせたのです」
皆はずっと黙ってエルンストの話を聞いていた。
「今、お父上の弟君は、どこでどうしているんだい?」
そうエルンストに尋ねたのは、フレド・バルマーだ。
「妹のレーナの話では、ヘルフリート叔父は王都にある叔父の屋敷では無く、半月くらい前から、息子のハンスを連れて、領地にある屋敷の方に移ったようです」
叔父のヘルフリートは、レーナと結婚させることで、次期ヴィスマイヤー侯爵家を将来的に息子のものにしようと画策していたようだ。
「君たちが戻って来るのを知って、逃げ出したってことかな?」
「さあ、どうでしょう」
「君たちの結婚式には、もちろんその叔父上も参列するんだろうね?」
「まあ、常識的に考えれば、対面を保つためにも式には参列するでしょうね」
「どんな顔をして叔父上が式に現れるのか……非常に興味深いね。完全に追い落としたと思っていた甥っ子が、隣国の侯爵家の令嬢を婚約者として連れ帰って来るとは、叔父上は夢にも思って居なかっただろうからね」
「その上、遠い異国の王子様まで一緒に連れて来てるんだから、更に見ものですね」
父親の台詞の後にそう付け加えたのは、フレドの息子のラモス・バルマーだ。
「ラモス。君、最近、なんだかお父上に似て来たね……」
ギルベルトはそう言って、苦笑いを浮かべた。
ー * ー * ー * ー
翌日。遅く起きたギルベルトは、エルンストからヴィスマイヤー侯爵邸に、王宮から使いの者が来ていると聞かされた。
この国の第一王子のレオンハルト・フォン・ロートスが、クリスタリア国の第二王子であるギルベルト・クリスタリアを是非王宮に招待したいということらしいのだ。
「どうされますか?」
「今回の我々の入国は、あくまでもヴィスマイヤー侯爵家への個人的な訪問であって、クリスタリア国として公式なロートス王国への訪問ではありませんからね。無理強いされる謂れはありませんよ」
フレドは言う。
だが、それはあくまでも建前であって、国王不在のこの国で、第一王子からの招待となれば、公式訪問ではなくとも応じないわけにもいかないだろう。
「まあ、王太后様にどうにかしてお渡ししたい物も持参していることだし、これはこれで都合が良いかもね。『承知した』と伝えて貰って構わないよ」
「分かりました」
「ただし『僕はこの国には不慣れなので、友人であるエルンスト・フォン・ヴィスマイヤー卿の同行を求めると言っている』って伝えて。日程は、そうだな、三日後以降が良いな」
ギルベルトはこの機に乗じて、クリスタリア国の王子である自分が、エルンスト・フォン・ヴィスマイヤーと親密な関係であると、王宮に顔を揃えているであろうロートス王国の貴族たちに対してアピールするつもりのようだ。
「では、そのように伝えておきます」
エルンストは使者の元へと戻って行った。
エルンストとルアンナの結婚式とその後の披露パーティーは、ルアンナの親族がキールに到着するのを待って半月後に行われる。
時間はまだたっぷりあるのだ。焦ってすぐにキール城を訪問する必要は無い。主導権は常にこちらが握っていると、相手に知らせる必要がある。
「ねえ、バルマー侯爵。今日の僕の予定は……」
「本日は、特に何も予定は入っておりませんね」
「……そう」
「ですが明日は、タチアナ様が午前と午後にそれぞれお茶会を開かれるそうです。ギルベルト殿下にも、是非お茶会に参加して頂きたいとのことでした」
「午前も午後も、両方とも?」
「はい。もちろんです」
「……分かった。ルアンナ様のお披露目のお茶会ってことだよね?」
「そうでしょうね。殿下は、ニコニコ笑って居られれば、それで宜しいかと」
「ははは。まあ、精一杯頑張るよ」
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