31 裏山で水遊び(2)
「随分と賑やかね」
大きな木の根元で眠っていると思っていたサスティーが、いつの間にかアスールたちのすぐ近くまで来ていた。
「あ、ごめんなさい。うるさくて起こしちゃいましたか?」
「大丈夫よ。眠っていたわけじゃないから」
先日も、アルカーノの屋敷の中をこんな感じで眺めていたが、サスティーは今も、ピクニックシートの上に並べられているいろいろな物を興味深げに一つ一つ見回している。
「もしよかったら、何か食べてみますか?」
「食べる?……これを? 私が?」
「そうです。こういった焼き菓子だったら、いつもレガリアも食べているから、きっと大丈夫だと思いますよ」
「……ティーグルが? これを食べるの? いつも?」
「ええ」
サスティーはアスールが差し出した焼き菓子を訝しげにじっと眺めてから、首を傾げ、少しだけ顔を近づけて今度はじっくりと匂いを嗅いでいる。
「なんだ。図体の割に意気地が無いな」
レガリアが、揶揄うような口調でサスティーにそう言った。
だがサスティーはそんなレガリアの挑発には乗らずに、まだアスールの手の上に乗った焼き菓子の様子を注意深く観察し続けている。
アスールとしては、ずっと手をその位置で保ち続けるのは正直キツかったが、そのまま黙って手をサスティーの前に差し出し続けた。
その時、アスールの掌の上を、温かくて少し湿った何かが触れた。
「あっ」
「……あら。美味しいのね」
アスールが顔を上げると、焼き菓子はアスールの手の上から完全に消えていて、代わりにサスティーの満足気な顔がそこにあった。
「もっと……食べますか?」
「そうね、頂こうかしら」
アスールは、皿の上に並んでいる焼き菓子をもう一つ取ろうと手を伸ばす。
「待て! アスール! 待て! 待て! 良いから、ちょっとだけ待て!」
レガリアが慌てた様子でアスールとサスティーの間に割って入る。
「「何?」」
「ちょっと待て、サスティー。まさかお前、そのデカい図体のまま焼き菓子を食い続けるつもりでは無かろうな?」
「はあ? 何のこと?」
「はぁ。全くもって分かっておらん!」
「ティーグル。貴方、いったい何の話をしているのよ? 私は今からこの子どもがくれた、美味しい物を食べるのよ。邪魔をしないで貰えるかしら!」
「だから、待て! と言っておるのが分からんのか? ほら、良いか? こうするのだ!」
そう言うと、レガリアはサスティーの目の前で小さい姿になってみせた。
サスティーは不思議そうな顔をして、自分の足元にちょこんと座っている小さなレガリアを、上から見下ろしている。
「なんなの? いったい、どういうつもり?」
「こうすれば、同じ大きさの焼き菓子でも、腹いっぱい食えるぞ!」
「……。あははは。それが、気高き神獣のすることなの? ああ、もう。あり得ないわ! なんの冗談? 貴方、本当にあのいつもツンと取り澄ましていたあのティーグルなの?」
サスティーは可笑しくて可笑しくて仕方がないといった様子で、身を捩らせながら笑い転げている。
「こうでもしなければ、そこにある小さな焼き菓子なんて、ほんの一瞬で腹の中だぞ。少しは頭を使え!」
サスティーがどれだけ笑おうと、レガリアは真剣そのものだ。
サスティーは笑うのを止めて、足元でギャーギャー喚いている小さなレガリアをじぃっと黙って見下ろしている。
「はぁ。分かったわ!」
一瞬の間が空いて、サスティーも小さくなった。
「うわぁ。小さなサスティー様も、とっても可愛いです!」
ローザが叫んだ。
小さくなったサスティーは、今までのスラリとした威厳のあるオオカミに似た姿とは打って変わって、少しぽっちゃりとしたモコモコとした仔犬のような愛らしい姿をしている。
「本当だ。可愛い!」
そう言いながらルシオはずんずんとサスティーに近付いて、小さなサスティーを抱き上げようと上から手を伸ばした。
サスティーは慌てて近付いてくるルシオの手からヒラリと逃れると、ヒョイとアスールの膝の上に飛び乗った。
「この子どもの方が、ずっと安心だわ!」
「あはは。ルシオ、いくら可愛い見た目に変わったからと言っても、相手は神獣様だよ。無理に触ろうとしたら駄目に決まっている! 君、完全に神獣様に嫌われたね!」
レイフがそう言いながら、ルシオに同情するような顔を向けた。
「そ、そんなぁ……」
サスティーはそんなルシオの嘆きになど知らん顔を決め込んでいる。アスールの膝の上に陣取り、小さな前の手でアスールの腕をタシタシと叩いて注意を引く。
「さあ、人の子よ。早くその美味しい物を、私に取って、さっきのように食べさせて頂戴!」
ー * ー * ー * ー
昼食の後は、また皆で泉に入った。
ルシオから「本当は泳げないんじゃ無いの?」と疑惑を持たれたレガリアは、本来の大きな姿に戻ると、泉の中でのんびりと浮かんでいたルシオの真横に向かって、凄い勢いをつけて岸からザブンと飛び込んだ。
静かだった泉に大きな大きな波が立つ。
「うわぁー」
何故だかルシオ一人だけが、レガリアが立てた大波に飲み込まれた。
ローザもレイフもアスールも、水の中から焦って立ち上がったルシオの慌てっぷりに、お腹を抱えて大笑いをしている。
帰り支度をしながら子どもたちの様子を見ていたエマが、呆れた顔をして甥っ子を見つめている。
のんびりとした、穏やかな時間が過ぎていった。
「サスティー様。今日は私たちがここに来ることを許可して下さって、本当にありがとう存じます」
ローザがサスティーに丁寧に礼を言う。
「ローザちゃんも、なんとか泳げるようになってきたし、今日は本当に楽しかったね!」
「はい!」
日が傾く前には、屋敷まで帰り着かなければならない。楽しくて、少しばかり長居し過ぎたかもしれない。
「私も、一緒に下まで送るわ」
「宜しいのですか?」
「ええ。貴女、その様子では、疲れて山道を歩いて帰るのは難しいのじゃなくて?」
サスティーは美しく光る琥珀色の瞳でローザを見つめて言った。
「えっ? それは……。でも、大丈夫です」
「貴女の足に合わせて歩いていては、きっと日暮れに間に合わないわよ。そうなれば、皆に迷惑がかかるの。貴女はティーグルの背に乗りなさい! 良いわよね?」
「ああ。我は構わんぞ」
「本当に? レガリア、大丈夫なの? 私が背中に乗せて貰っても?」
「ああ。どうと言うことは無い。ローザ、早く乗れ!」
ローザはダリオに手伝って貰いながら、なんとかレガリアの背中に跨った。
「うわぁー。じゃあ、サスティー様の背中には……僕が?」
ルシオが巫山戯てそう言いながらサスティーに近寄っていく。
サスティーは大きな溜息を吐きながら、ルシオを軽く睨んでスルリと身体を躱す。
「馬鹿なことを言わないで頂戴! 乗せるとしたら、そちらの女の人よ!」
「いいえ、私は大丈夫です。神獣様の背中に乗るなど、そのような畏れ多いことは……」
サスティーから指名されたエマは驚いて辞退する。
「時間が勿体無いのよ。つべこべ言わずにさっさとお乗りなさい!」
「は、はい。では、よろしくお願い申し上げます」
「うわー。良いなぁ、伯母上!」
ちっとも懲りないルシオは、またサスティーに睨まれた。
帰り道は、ローザとエマが歩いていないこともあってか、とても順調で、あっという間に屋敷の見える場所まで下りて来た。
「もう、この辺で良いわね」
「はい。本当にありがとうございました」
エマは礼を言って、サスティーの背から滑り降りた。
「じゃあ、私も!」
「ああ、ローザはこのままで良い!」
レガリアはローザを降ろす気は無いようだ。
「本当に今日はありがとう。サスティー。貴女のお陰で、とても楽しい一日だったよ」
アスールがサスティーに礼を言った。
「また……会えるかな?」
「さあ、どうかしら。それは、貴方次第ね。私はいつでもここに居る」
「ああ、そうだね! じゃあ、また」
「ええ。またね。その時は、またあの美味しい物を食べさせて頂戴!」
そう言うと、サスティーはあっという間に、また裏山へと戻って行った。
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