19 夏が来る!
週末、ローザからの誘いを断ってアスールは王宮へは戻らなかった。
ルシオとレイフと共に、アスールの部屋で試験勉強をするためだ。第四学年になり、コース別にクラスが分かれた途端、アスールたちが想像していた以上に勉強の負荷は上がった。
主席の座はどうしても守りたい。
予習復習は当然。欲張って選択科目を多めに履修することにしたため、その影響で当たり前なのだが、各課題の提出物と試験科目が増える。
それに加えて、この三人には所属している学院執行部の仕事もある。
勉強には適度な休憩も必要と言って、ダリオがお茶を淹れてくれた。もちろんダリオは手作りのケーキも忘れずに用意してくれている。
「そう言えばさ、ドミニク殿下の結婚式って、結局のところ、いつ頃行われるわけ?」
ルシオがケーキを頬張りながらアスールに問いかける。
「兄上の結婚式? ああ、そう言われてみれば……。今のところ伝えられている大きな予定に “結婚式” は入っていなかった気がするけど……」
婚約式の後も、ドミニクとザーリアは王宮の西翼で暮らしている。
すっかりザーリア姫と打ち解けたローザは、時々二人でお茶会をしたりもしていたようで、アスールの知らぬ間に、ローザは西翼にも何度か出入りしているらしい。
そのローザの話によると、結婚式を終えるまでは、ザーリアはあくまで “婚約者” という立場なので、エルダやドミニクの部屋があるのとは別の階にある客間で過ごしているそうだ。
夏前に、大慌てで改修していた例の部屋のことだろう。
客間とは言え、第一王子の婚約者のために大幅に手が入ったその部屋は、ローザ曰く「とても素敵!」らしい。ガルージオン国から持ち込まれた沢山のガルージオン風の置き物が目を引くそうだ。
「ローザの話だと、兄上の婚約者殿は今、各分野の家庭教師をつけて、この国のことをいろいろと学んでいる最中だそうだよ」
「まあ、そうだよね。場合によっては、その婚約者殿が未来のクリスタリア国の王妃になる可能性だってあるかもしれないんだから! そういったことも含めて、教育期間はかなり必要だろうね」
「どんなに早くても、ヴィオレータ様が留学先から戻られるのは待つんじゃ無いの?」
そう発言したのはレイフだ。レイフはお茶休憩中の筈の今も、手にしている教科書から目を上げずに雑談に加わっている。
アスールも主席の座を守るのに必死だが、今度の試験がスアレス公爵家の “次男” として初の成績発表で、そこで自分の存在価値を示さなければならないと考えているレイフは、アスール以上に必死に試験勉強に取り組んでいる。
「ああ、そうだよね。ってことは、結婚式は早ければヴィオレータ様が戻られた後、冬の社交シーズンに入ってからか。どうせなら、次の夏まで待ってくれないかなぁ……」
「どうして、次の夏なの?」
「次の夏だったら、君たち二人とは違って、僕は成人済みになるからね!」
「「……どういうこと?」」
ルシオのよく分からない発言に、流石のレイフも教科書を置いた。
「成人済みなら、結婚式後のパーティーに潜り込めるかもしれないだろう?」
「まさか、ルシオの目的って……」
「もちろんご馳走だよ!だって第一王子の結婚式だよ! どう考えても、王宮の料理人たちが競って腕を振るうよね? 確実に最高の料理が並ぶよ。これを食べずして、何を食べるのさ!」
「まったく君は……。バルマー家に何人分の招待状が届けられるのかを僕は知らないけど、ルシオ、君も次男だってことを忘れない方が良いと思うよ」
確かにレイフの言うように、成人済みの貴族を誰彼かまわず端から全員招待していたら、王宮が招待客でパンクしてしまうだろう。
「えー。そうかなあ。あー、まあ……言われてみればそうかもね。じゃあ、今回は諦めるとして、アスールの時だったら、僕たちには当然出席する権利、あるよね?」
「えっと、僕?」
「そうだよ! アスールの結婚式には、僕たちは呼んで貰えるだろう? 次男だけど、僕らはアスールの友人なんだから!」
「……」
「はぁ。ルシオ、君さ……。どれだけ未来の話をしているのか、自分で分かってる? ほら、アスールが困っているよ!」
ー * ー * ー * ー
ギルベルトたちがハクブルム国へ向け、ヴィスタル港から出港したのは、王立学院の試験期間中だった。
アスールは主席の座を手放すことなく、今年も夏期休暇が始まった。
「週末に行われる夏の成人祝賀の宴が終わったら、私たちもテレジア旅行に出発できますね! ああ。楽しみね、レガリア!」
そう言うとローザは、膝の上でウトウトしていたレガリアを急に抱き上げ、レガリアのお腹辺りの柔らかい部分に顔を埋め、頬擦りをしはじめた。
急に抱き上げられたレガリアは、明らかに不満そうな表情を浮かべて、フンと鼻をならす。だが、はしゃいでいるローザは、そんなことにはてんでお構いなしだ。
「コラ! よせ! ローザ!」
「あら?……もしかして、嫌だった?」
「フン。……嫌では無いが。我は聖獣ぞ。それを考えてくれ!」
「何が駄目なの?」
ローザに脇根っこに手を入れられ、ぶらんと持ち上げられている小さな姿のレガリアからは、確かに “神獣の威厳” などというものは微塵も感じられない。
まあ、それでも、敢えて口には出さないが、レガリアが本気で嫌がっているようには全く見えないと、アスールは密かに思っている。
「ねえ、アス兄様。私、今年は絶対に泳げるようになりたいの! 誰か、砂浜まで連れて行って下さるかしら?」
テレジアの島の海岸線は切り立った岩場が多く、船を着けられる港ですら数えるほどしか無い。
島で生まれ育った子どもたちは普段は釣りをしている岩場から、平気な顔で海にポンポンと飛び込んで行く。
だが、アスールたちのような王都育ちの都会っ子には、そんな場所で泳ぎを覚えようなんて不可能に近い。運動神経が良い方だとはお世辞にも言えないローザにとっては……まあ、これ以上は言うまい。
一年目には、あの場所でアスールですら波に揉まれて酷い目にあっている。そんなアスールに見かねたジルが小船を出して、島に一箇所しか無い砂浜へと連れて行ってくれたのだ。
だがこの夏は、ジルも、海賊団に入団したイアンも島には居ない。ギルベルトと共にハクブルム国へと旅立ってしまったからだ。
「レイフから誰かに、小船を出してくれるように頼んで貰うよ。一度砂浜で練習をして浮く感覚さえ掴めれば、あとは近くの海岸でもなんとか……(なれば良いのだけど)」
「お願いしますね、アス兄様」
「ローザ。泳ぎの練習というのは、あの島の海でなくてはいかんのか?」
やっと膝の上に下ろして貰えたレガリアが、ローザに尋ねる。
「海、以外ですか?」
ローザはレガリアの言いたいことが理解できないようだ。
「泳ぎの練習なら海で無くてもできるよ。水がたっぷりあればね」
代わりにアスールが答える。
「例えば湖とか、大きな池とか……。ただ、海は塩分を含んでいるんだよ。その関係で身体が浮きやすいって、前にギルベルト兄上が仰っていたから、海が良いのかもしれない。でも、海は波があるからな……」
「よく分からんが、まあ、概ね理解した」
「そう? ところで、レガリアは泳げるの?」
「我か? 試したことは無いが、我に不可能は無い」
「ははは。そうなんだ」
「アス兄様、レガリア! お城が見えてきましたよ!」
ローザの声が弾む。
夏期休暇が始まった。今年もまた、長い夏がやって来る!
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