10 ディエゴ・ガランという男(2)
「スサーナ様が結婚された方は、ロートス王国の王様だったのでしょう? 確か……ヴィルヘルム王。お父様のご友人でしたよね?」
「ああ……。そのようだね」
ローザはロートス王国のあの大虐殺ともいえる、壮絶な “惨事” についてどこまで知っているのだろうか?
ローザのこの話し振りから想像するに、おそらく “事件” か “事故” 程度の認識しか無いのだろう。
あの父上やお祖父様が、今の段階で “ありのままの真実” を、何よりも大切に慈しんでいるローザの耳に入れるような、そんな下手な手を打つ筈はない。
「ディエゴ様が仰るには、ヴィルヘルム王は一年程このクリスタリア国に滞在されていたことがあるんだそうですよ。それでね……」
ローザが嬉々として語る話の中には、意外にも、アスールが初めて知る内容も多く含まれていた。
ヴィルヘルムがクリスタリア国に滞在中、彼はヴィスタルの王城の敷地内にある別館に、ロートス王国から共に来ていた者たちと滞在していたそうだ。
その中に、ヴィルヘルムの従者兼護衛騎士としてアレクシス・シュミットという一人の男が居た。
彼はロートス王国でも指折りの侯爵家の長男で、ヴィルヘルムの幼馴染でもあった。
そのアレクシスの妹がディエゴの妻なのだとローザは言った。
「ディエゴ様はロートス王国で開かれるスサーナ様の結婚式に出席するニコラス伯父様の騎士として、しばらくの間ロートス王国に同行されたそうです」
「へえ、そうなの」
「その滞在中、ニコラス伯父様はスサーナ様のお兄様ですから王城にお泊まりになっていらしたけれど、ディエゴ様はその間、シュミット侯爵家にお世話になっていたのですって」
「じゃあ、奥方様とはそこで出会ったってことだね?」
「そうです! 正にアス兄様の仰る通りです!」
「……なんだか随分と安直だな」
「そんなことありませんわ! 素敵な出逢いではないですか!」
ローザに言わせれば、その素敵な出逢いの後にそれは大恋愛へと発展し、父親であるシュミット侯爵の反対を半ば強引に押し切る形で、ディエゴは奥方をクリスタリア国に連れ帰ったそうだ。
(なんだか物語りにでもなりそうな、如何にもローザが好きそうな展開だよ……)
「それで、今、そのシュミット侯爵家はどうなっているって?」
「シュミット侯爵家ですか? さあ、それに関しては私は何もお聞きしていませんけど……。アス兄様は、どうしてそんなロートス王国の貴族のお家のことが気になるのです?」
「……いや。別に気になっているわけじゃないよ」
冷静になって考えてみれば、ディエゴにしたって、まだ子どものローザに対してわざわざ血生臭い話しはしないだろう。
だが恐らくはディエゴの妻の兄のアレクシスは、あの事件で命を落としているに違いないとアスールは確信している。
アレクシス・シュミットがヴィルヘルム王の騎士であったとするならば、あの時あの場所に王と共に居なかった筈は無い。
「そう言えば、ディエゴさんってニコラス伯父上と同い年だったよね? 子どもは居ないのかな? 学院で、ガランって名前に僕は覚えが無いけど……」
「既に結婚している娘が三人と、まだ六歳になったばかりの息子が居るそうですよ」
「そうなんだ……。あれだけマティアスが絶賛するのだから、きっと息子が居たら、その息子も凄い剣の腕前なのだろうなと思って。まだ六歳か……」
「六歳でも、アス兄様より強いかもしれませんよ?」
「ちょ、ちょっと、ローザ。流石にそれはいくら何でも僕を馬鹿にし過ぎだよ。兄上たちに比べたらまだまだだけど、僕だってそれなりに鍛えてるよ!」
「鍛えられているの間違いではありませんか? お祖父様に」
「……。否定は……できない」
ローザは楽しそうに声を上げて笑った。
直後に、図書室の入り口付近から咳払いをする音が聞こえてくる。音の主は、おそらく司書の先生だろう。
ローザが振り向いて、ペロっと舌を出した。
「ねえ、ローザ」
アスールは声のトーンを最小限に落として話しかける。
「何ですか?」
「いつの間にそんなにディエゴさんと仲良くなったの? いつそんなに彼と話をする時間があったのかなと思って……」
「ああ。お喋りをしたのは昨日ですよ。放課後、植物園の鉢植えの植え替え作業をディエゴ様にもお手伝い頂いたのです」
ローザは園芸クラブに所属している。昨日は園芸クラブが管理している植物園で、鉢植えや花壇の大掛かりな植え替え作業をしたそうだ。
学院からの依頼に応じて、院内雇傭システム利用者が何人も手伝いに来てくれたらしいのだが、それでも人手が足りずに困っていたところに、たまたまディエゴが通りかかったそうだ。
「そんなにタイミングよく通りかかるなんて、ある?」
「でも、そうなのです!」
ディエゴがどれだけ力持ちで頼りになるかを熱く語るローザの横で、アスールは考え込んでいた。アスールはディエゴの行動がいちいち気にかかって仕方が無い。どうしてもディエゴのことが信用しきれないのだ。
「まあ、お互いに、まだしばらくは腹の探り合いでもしていおれば良い」
フェルナンドはアスールにそう言って笑っていた。
(……だったら遠慮無く探らせて貰うとしますか)
ー * ー * ー * ー
「ようこそ、アスール殿下。それからルシオ様。おかえりなさい、マティアス」
「ただいま戻りました、伯母上」
アスールは週末を利用して、マティアスとルシオと三人で、イズマエル・ディールス侯爵邸を訪問していた。
マティアスの王都での保護者は、伯父であるイズマエルで、剣術クラブの練習もあるので滅多には帰らないが、ここディールス邸がマティアスの短期の “帰省先” として学院に登録されている。
「折角お越し頂いたのに、主人は所用でデンファに滞在中なの。ごめんなさいね……」
「いえ。構いませんよ。こちらこそ無理を言って押し掛けたわけですし」
アスールたちはイズマエルが不在なのを知った上で、こうしてディールス邸を訪ねて来たのだ。
アンナからロートス王国の話しを聞き出すのに、始終仏頂面のイズマエルが不在の方がむしろ都合が良いとルシオが言い出したからだ。
ルシオにとって、イズマエルはフェルナンドと肩を並べるくらい避けて通りたい人物らしい。
「マティアスお兄ちゃま。おかえりなさい! 今日はお泊まりできますか?」
「ああ、ごめん。今日中に学院に戻らないと駄目なんだ……」
「そうですか。今度はお泊まりで帰ってきて下さいね。お姉ちゃまも一緒に連れてきて下さい」
「分かったよ、ナディア。次はエミリアと一緒に、泊まりで帰ってくると約束する」
「はい、約束ですよ! 破っちゃ駄目な約束です!」
ナディアは五歳になったばかりのイズマエルとアンナの娘だ。二人にはナディアの上にもう一人、今年王立学院に入学したエミリアという姉がいる。
イズマエルはもう随分と前に最初の奥方を病気で亡くしていて、その前妻との間に二人の息子が居る。
長男の方は第一騎士団に籍を置く優秀な騎士で、父親のイズマエルに似て、剣に一切の迷いが無く、恐ろしく強いともっぱらの噂だ。ギルベルトの側近候補でもある。
次男の方は、卒業後は王宮府に入り、現在はバルマー侯爵の元で働いている。
イズマエルとの繋がりを得たい貴族たちから『自分の娘を後妻に』と押す縁談話が数多く持ち込まれていたようだが、イズマエルはその全てを断り、息子たちとの三人暮らしを続けていた。
ところが、ロートス王国のあの混乱の中、王家の双子と共に偶然助けることになったアナスタシア・フォン・ヴィスマイヤーを突然妻として迎えたのだ。
貴族たちは寝耳に水のイズマエルの再婚に、驚きと戸惑いを隠さなかった。
アナスタシアは本来の(ロートス王国の侯爵家令嬢という)身分を秘匿しているため、結婚当時はいろいろと根も葉もない噂話が飛び交ったと聞く。
「それで、今日は私に聞きたいことがあってのご訪問ですわね、アスール殿下?」
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