9 ディエゴ・ガランという男(1)
「ところでアスール。ディエゴ・ガランには、当然もう会っているのだろう?」
一夜明け、アスールはたった一人でフェルナンドの試練を受けていた。
「……はっ、はい」
「そうか、そうか。アレはな、なかなか見どころのある男だ」
「そう、です、か……」
「古傷を負っては居るが、剣の腕もかなりのものだし、頭も切れる。ほれ、もっと前へ出て来んか!」
「……はい」
フェルナンドは相変わらず息一つ乱すこと無く、縦横無尽にアスールに向かって木剣を振り下ろす。アスールはなんとかそれを凌ぎながら反撃のチャンスを窺うが……。
「あっ」
アスールの木剣が宙を舞う。もう何度目かすら分からない。アスールは力尽き、ガックリと地面に膝をついた。
「随分と頑張ったの。強くなったな」
「……えっ?」
「自分では気付いて居らんのか? ははははは。そうか、そうか。それならば、まだまだその程度ということじゃのぉ」
そう言ってフェルナンドはガシガシとアスールの頭を撫でながら豪快に笑っている。
フェルナンドに支えられるようにしてアスールはやっとの思いで東家まで移動した。
全身が鉛のように重い。座ってみて気付いたが、膝が笑って、自分ではもうどうにもできない状態だ。
フェルナンドが果実水を取ってくれた。
「ありが、とうございます、お祖父様」
「構わん。早く飲め」
「はい」
鍛錬の終了を見越してこの東家に用意されたと思われる果実水は、ほどよく冷やされている。
アスールが少し落ち着いたのを確認したフェルナンドは、ポツリポツリと昔語りを始めた。
「ディエゴ・ターデンも、お前たちと同じく儂にここで扱かれておった一人じゃよ。もう随分と昔の話じゃがな。既に聞いているかもしれんが、アレはターデン侯爵家の次男だ」
数年前に亡くなったディエゴの父親のターデン侯爵は、まだ国内で紛争が頻発していた時代、まだ若き王太子だったフェルナンドと共に剣を手に駆け回っていた友なのだと、フェルナンドは懐かしそうに振り返った。
「ターデン侯爵家の男どもは揃って皆勇敢で、負けん気が強く、剣の腕もたつ。その上、体格にも恵まれている。そんなターデン侯爵家三兄弟中でも、次男のディエゴは別格じゃったよ。ディエゴの強さは王立学院時代から有名でな……」
フェルナンドは、ディエゴが剣の訓練を受けるために子供の頃から熱心に王宮に居るフェルナンドの元に通って来ていたこと、学院祭の模擬戦では第三学年の時から三年連続で優勝したことなどを誇らしそうに語った。
ディエゴはフェルナンドの自慢の教え子だったに違いない。
「実はな、レイフの側仕えにディエゴを推したのは、儂なんじゃ」
「そうなのですか?」
「最初のうち、ニコラスは随分とディエゴを手放すことを渋っておったが……。まあ、いろいろな点からディエゴが適任だと思ったのだろう。最終的にディエゴにレイフを任せると決めたのはニコラスじゃよ」
「適任、ですか?」
「ああ、そうじゃ。アスール、お前はディエゴをどう思っておる? 気に入らんのか?」
「……そんなことは」
ディエゴ・ガランが悪い人でないことは確かだし、強いのも分かる。話を聞いていて、フェルナンドとニコラスからの信用もずば抜けているということも充分理解した。
学院でのほんの数日間で、ディエゴはレイフだけでなく、周りの者たちの心も掴んでしまったようだ。特にマティアスに至っては、心酔に近い感情を抱いているようにも見える。
ただ、アスールだけは少し違う目でディエゴを見ていた。ディエゴには “何を考えているか分からない怖さ” がある気がしてならないのだ。
アスールは、それをフェルナンドに伝えるべきか、伝えるにしてもどう伝えれば良いのか悩んでいる。
「ところで、お祖父様。僕とローザのことを……」
「ディエゴは何も知らんよ」
「そうですか」
「ただし、勘の鋭い男だから……。近くに居れば、勝手に気付く可能性はあるかもしれんがな」
レイフの側仕えとしてディエゴがアスールたちの近くに居る時間が増えれば、アスールたちの会話も自然と耳に入るのは間違いない。
「言っておくが、ディエゴが学院時代から優秀だったのは剣の腕前だけでは無いぞ。“騎士コース” を出ておるが、例え “分科コース” に在籍していたとしても、ディエゴがトップクラスの成績を収めただろうことは間違いない」
「そうなのですか?」
「ああ。外国語も何ヵ国話せたか……。まあ、エルンストには及ばんかもしれんがな。だが、ゲルダー語に関して言えば、母国語並みに扱うぞ」
フェルナンドからの評価はやはり相当に高い。
「まあ、お互いに、まだしばらくは腹の探り合いでもしておれば良い」
そう言ってフェルナンドはニヤリと笑った。
あの楽しそうな表情からして、フェルナンドにはディエゴについてアスールに話していないことがまだまだ沢山あるのだろう。
「では、そうさせて頂きます」
ー * ー * ー * ー
「ねえ、アス兄様。リリアナ様の妹のスサーナ様をご存知ですか?」
フェルナンドがアスールにも話さなかったディエゴについての “新情報” を持って来たのは、意外にもローザだった。
王宮から戻って十日ほどが過ぎていた。
課題を仕上げるためアスールが図書室へ向かうと、閲覧室の最奥に置かれた大きな貴石の前でレガリアが気持ち良さそうに昼寝をしているのが目に入った。
良い具合に天窓から陽射しが差し込む位置に、レガリアは無防備にもゴロリと身体を横たえている。ローザはすぐ近くのキャレルで一人本を読んでいた。
「えっ。スサーナ様って……(僕たちの本当の母上だよ)」
「ディエゴ様がね、私が、そのスサーナ様にとてもよく似ているって仰るの。ふふふ。似ていても当たり前よね。従叔母様ですものね?」
「そ、そうだね」
アスールは酷く動揺した。いったいどうしてディエゴはローザにスサーナの話などしたのだろう?
ローザはそんなアスールの動揺など気付く素振りもなく、楽しそうに話し続ける。
「ディエゴ様の奥方様って、ロートス王国の方なのだそうよ」
「そうなの?」
アスールの心臓が飛び跳ねる。
「そうなのですって。スサーナ様の結婚式に出席されるニコラス伯父様に同行して、ディエゴ様がロートス王国に行かれた時に知り合われたのだそうですよ。と言っても、奥方様のお兄様は以前クリスタリア国に……」
ローザの話は、途中から殆どアスールの耳に入って来なくなった。
「あの……。アス兄様? 大丈夫ですか?」
頭の中のとても遠いところからローザの声がぼんやりと聞こえてくる。
「あ、ああ。ごめん。大丈夫だよ」
「本当に? 顔色が……」
アスールのすぐ真横に、心配そうな表情を浮かべたローザが、アスールの顔を覗き込むようにして立っていた。
「ちょっと、寝不足気味なんだ……」
「……そうなのですか?」
顔をあげると、レガリアの空色の瞳がアスールをじっと見つめている。
アスールの背中に添えられたローザの右手はほんのりと温かい。アスールは、徐々に気持ちが落ち着いていくのが分かった。
「ありがとう、ローザ。もう大丈夫だよ。さっきの話、悪いけど、もう一回聞かせてくれるかな?」
「ええ、それは全然構いませんが……」
アスールが心配いらないと微笑むと、ローザもやっと安心したようで、また話し始めた。
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