8 祖父の願い。父の思い。
「ほう。それは良いな。テレジアか。儂も一緒に行かれると良いんじゃが……」
「父上、それは無理というものです。諦めて下さい!」
フェルナンドの希望はカルロによって一蹴され、ローザの提案は思った以上にあっさりと了承された。
「但し、向こうの都合を聞いてからだぞ。近々リリアナが訪ねて来る予定だから、その時にでも私の方で確認しておこう。ローザ、それで良いな?」
「もちろんです! ありがとう存じます、お父様」
この日、ローザは馬車から降りるなり、馬車寄せまで迎えに出ていたフェルナンドに駆け寄り抱きついた。
溺愛する孫娘からこんな仕打ちをされれば、既にメロメロな祖父の愛情メーターは、いともたやすく限界点を突破する。
本人が意図しているかどうかは兎も角、ローザの要求はこんな風にフェルナンド経由で大概カルロにもすんなり受け入れられる仕組みになっているのだ。
「ローザ。パトリシアがサロンで待っておったぞ。早く行ってやると良い」
「はい、お祖父様! では、また後ほど」
「ああ。後でな」
ローザがエマと共に執務室を出ていくと、カルロはアスールにソファーに座るように告げた。
テーブルに二人分のお茶が用意され、フェルナンドとアスールでカルロの仕事がひと段落つくのを向かい合って座って待つ。
「やはり今年は駄目だったようじゃな」
フェルナンドは早速焼き菓子に手を伸ばした。
「ピイリアの件ですか?……はい」
「それにしては、ローザは思っていたよりも悄気ては居らんかったな。うむ、なかなか美味い! ほれ、アスールも食べてみろ!」
そう言ってフェルナンドは、焼き菓子が盛られた皿をアスールの方へと押し出した。
「ありがとうございます。それなら、レガリアが馬車の中でテレジアの話を持ち出したので……」
「ほう。随分と早くから夏の話題が出たと思えば……。成る程、そういうことじゃったか。レガリアか。してやられたということじゃな?」
「仰る通りです」
レガリアがどういうつもりで急に馬車の中でテレジアの話を始めたのかは分からないが、ローザの機嫌も良くなったし、アスールにしたって二年振りのテレジア旅行が楽しみなことは間違いない。
「待たせたな、アスール」
書類仕事を一段短絡させたカルロが、首をパキパキ言わせながらアスールたちの居るソファーの方へ歩いて来る。
「父上、随分とお疲れのようですね?」
「ああ、まあ。いつも通りだよ」
カルロは使用人にお茶を持って来るように頼むと、アスールの隣にドサリと沈むように腰をおろした。
気を遣ったのだろうか、それまでカルロと一緒に書類の山を片付けていたフレド・バルマー侯爵は軽く会釈をして、執務室から出て行った。
「それで? 学院は少しは落ち着いたか? ヴィオレータの件でお前とローザに余計な面倒をかけていなければ良いのだが……」
カルロは今年の入学式には出席していない。おそらく、フェルナンドかニコラスからでも入学式での騒動を聞いたのだろう。
「姉上の件でしたら大丈夫です。数日は混乱していたようですが、姉上が学院を去ったわけではありませんし、もう落ち着いています」
「そうか」
「姉上よりも寧ろ、レイフがスアレス公爵家に養子として入ったことの方が……」
「まあ、そうだろうな」
アスールはカルロとフェルナンドに、レイフを取り巻くこの数日間の学院の様子を話して聞かせた。二人は時々大笑いしながらアスールの話を聞いている。
(笑い事じゃ無いのに……)
「ところで、レイフの養子縁組はいつ頃決定したのですか?」
アスールは気になっていたことを聞いてみた。
「国として正式に養子縁組を承認したのは、たしか入学式の数日前だな。話自体は、随分と前から出ていたが……。自分が蚊帳の外だったことを怒っているのか?」
「怒っているわけではありませんが……」
「不愉快には思ってる?」
「……まあ、多少は」
「そうか! 正直で良いな!」
そう言ってカルロは、アスールの頭をくしゃくしゃと撫で回した。
「レイフの希望でもあったんだよ。確実に決まるまでは、お前にも誰にも知らせないで欲しいとね」
「そうだったのですね……」
「最終的に私が判断してサインをすればどうとでもなることなんだが、公爵家レベルの養子縁組ともなると、きちんと正式な手順を踏まねば、周りにも示しがつかないだろう?」
「そうですね」
「なあ、アスール。私は、かけがえのない友と、妹のように大事にしていた存在を私から奪ったあの国を決して許すことができない。できることなら、今すぐにでも……」
カルロはそこまで言ってから、何か考え込むように急に黙り込んでしまった。
静まり返った執務室に、大時計が時を刻む音だけが響く。
しばらく経って、カルロが再び口を開いた。
「アスール。例のスサーナの髪飾りの件で、お前の友人たち三人をこの部屋へ呼び出したこと、私はあれが果たして正しい行いだったのかと、今でも時々考えるんだ」
再び喋り始めたカルロの口から出た言葉は、アスールにとっては予想外の内容だった。
「あの日、ここで話をしたことで、私はあの三人の運命を変えてしまったのではないだろうか? そうでは無いな。意図して変えたんだよ。私はあの三人を誘導したんだ」
「どういうことですか?」
「あの子たちなら、十二年前にロートス王国で何が起こったかを知れば、きっと今後お前と共に歩んでくれると思ったんだ。それが例え茨の道であったとしても……」
「えっ?」
「実際レイフは、お前と共にあるために、貴族になる道を選んだ。他の二人だってそうだろう?」
「……はい」
「私がお前の親であるのと同じように、彼らにも当然だがそれぞれに親が居る。だがあの時、私はそんなことすら気付かずに、私の思いだけを優先した。お前を守りたいがためだけに……」
危険で困難だと分かっている道をわざわざ行かずとも、アスールにはこのままクリスタリアの第三王子として生きる道もあるのではないか? いや、やはり失ったものは取り返すべきでは? と最近になってよくそう自問自答するのだと、カルロはアスールに打ち明けた。
そこに三人のよく知る者の息子たちまでもが加わった。というより、自らの判断で巻き込んだのだ。迷いは更に深まっているのだろう。
「カルロの思いも理解できる。じゃが、儂としてはアスールに、どうしてもロートス王国の王になって欲しいと思っとるよ」
カルロの話を聞いていたフェルナンドが、絞り出すようにそう言った。
「父上?」
「だってそうじゃろう? 本来アスールとローザが持つべきものを全て最悪の形で奪った奴等が、平気な顔であの国を治めておる。その上、全くの別人が、まるで本物のスサーナの息子かのように振る舞っておるなぞ……許せる筈が無い!」
「……お祖父様」
「儂は見たいのじゃ、アスール。お前が、正統なロートス王国の後継者であるお前が王となり、あの国を本来あるべき正しい姿に戻す日を」
フェルナンドは、怒っているようにも、泣いているようにも、苦しんでいるようにもみえる、なんとも複雑な笑顔を浮かべてアスールを正面からじっと見つめている。
「できるなら、儂が単騎であの城に乗り込んで、憎き奴等の首を、この手で刎ねたいとすら思っとる。だが、そういうわけにもいかんじゃろ? 血で血を洗った先には何も残らんのだから……」
「……父上」
「カルロ。儂だって、お前がそうして迷う気持ちが分からんわけでは無い。あの三人は……儂にとっても孫みたいなもんじゃからの」
「はい……」
「だからこそ、儂らは儂らのすべきことをするまでじゃ。来る日に備え、可能な限りの知恵を絞り、ありとあらゆる策を講じよう。おそらくリリアナもフレドも、同じ気持ちだと思うぞ」
「……確かに。そうかもしれませんね」
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