7 諦めも肝心?
ピイリアが卵を産む気配が無いまま、三の月も半ばを過ぎていた。
「今年は無理そうだね」
「そうだね。ホルク飼育室ではもう何個か卵があるみたいだし……」
ルシオが授業の後にホルク飼育室に寄って確認したところ、今年も二羽の雌がいくつか卵を産んでいると教えて貰ったそうだ。
「去年卵を産んだ二羽のうちの一羽が今年も連続で産んだらしいよ。それが三日前。それでもう一羽の方は去年とは違う雌なんだって。そっちは一昨日だってさ」
「……そうなんだ」
ホルクの産卵は同じ時期に集中するのだと聞いている。
去年のようにピイリアが巣箱に入ったまま出てこなくなる気配も無いし、去年は散々威嚇し捲っていたチビ助も今年はおとなしい。
「そろそろ諦める? もう、チビ助を部屋に連れて帰ろうかな。ずっとアスールのところで面倒見て貰うのも申し訳ないし」
「うーん。やっぱりもう無理なのかな?」
「そんな気がする」
一年前にピイリアが産んだ卵は一つだけだった。ローザはホルクの育成期間を考慮し、卵の権利を既に第四学年生だった姉のヴィオレータに譲ったのだ。
ローザは今年こそ自分が雛を育てる気でいる。それもあってアスールもルシオも、もう無理だろうとは思ってはいるがなかなか諦めきれないのだ。
「今度の週末にローザに伝えるよ。こればかりは可哀想だけど仕方ないよね……」
「まあね。でも……ローザちゃんはガッカリするだろうね」
アスールとルシオは、今週いっぱいはピイリアとチビ助を同じ小屋に置いておこうと決めた。それで駄目なら、時期的に考えても今年は諦めるしか無い。
「それにしても、人の噂話って怖いよね」
ダリオが淹れてくれたお茶を飲みながらルシオが話し始める。
「レイフのこと?」
「そう! 僕たちは真実を知っているけど、知らない人たちが余りにも好き勝手なこと言ってるから……驚くを通り越して、本当呆れるよ」
レイフは自分がどういった経緯でスアレス公爵家の養子になったかを他人に説明する気は無いらしく、何を聞かれても口を噤んでいる。
身分的に公爵家の人間に対してとやかく言えるのは、同じ公爵家に位置する者か、それより上の王族だけになる。
現在学院に公爵家縁の者はレイフしか在籍していないので、レイフに無理強いできる人間は、現在、この学院の学生ではアスールとローザを除けば誰もいないのだ。
レイフは真実を語らないが、噂話を否定もしないので、今のところちょっとしたことから、あり得ない話までいろいろな噂が飛び交っている。
ベラ夫人の遠縁説、ニコラス公の隠し子説、実は財政難なスアレス公爵家がアルカーノ商会の財力を当てにしての養子縁組説、前公爵の隠し子説、などなど。
「前公爵の隠し子説は、凄いよね。あの “クリスタリアの良心” といわれたロベルト公に隠し子って……聞いた時は『それは無いだろ!』って思わずツッコミを入れたくなったよ」
ルシオがそう言いながら笑ってる。
「でもまあ、孫って意味じゃ……」
「正解なんだよね」
レイフと元から仲の良かった平民の学生たちは、今回の養子騒動も意外と冷静に受け止めているらしく、表面上は以前と左程変わらず接しているようだ。
ただ、レイフがアスールたちと一緒に行動することが明らかに増えたので、なかなかレイフに話しかけ難いようではある。
剣術クラブの面々はと言えば、マティアスの口からレイフの側仕えがあのディエゴ・ターデンだと伝わったことで(敢えて伝えたのだが)一瞬にして興味の対象がレイフからディエゴに移ったそうだ。
「あの調子だと、そのうちディエゴさんは剣術クラブのコーチを引き受ける羽目になるね!」
あながちルシオの予想も見当外れではないかもしれない。
「まだ一部の学生たちの中には、あの手この手で真相を聞き出そうとする輩も居るみたいだけど、レイフが喋るとは到底思えないし、そのうち皆諦めるだろうね。と言うより、諦めざるを得ないか」
「……そう願うよ」
アスールも、いい加減この騒動が落ち着いて欲しいと思っている一人だ。興味深げな視線は王族であるアスールにも、それからもちろんローザにも向けられている。
ローザ本人は一向に気にしていないようだが、ヴィオレータの留学の件も含めて、ローザの周りも今までとは違ってかなり騒ついているのだ。
悔しいが、アスールではシアンがローザに施していた程の抑制力は無いようで、なかなか思った程の牽制も効いていない。
「ローザちゃんはふわふわしているからね……」
「そうなんだよ。余計なことまで喋りそうで怖いよ」
「でも、喋って困るようなことは知らされていないんじゃないの?」
「そうだとは思うけど。ちょっとした発言が、違う意味で解釈されていてもローザは気付かなそうだし……」
「ああ、まあ……。それはあるかもね」
「だろう?」
ルシオも苦笑している。
「だから、取り敢えず今週末はローザと一緒に王宮へ帰るよ」
「避難だね?」
「まあね。お祖父様に相談したこともあるし。ルシオはどうする?」
「ええと、やめておこうかな。ちょっと肩が痛い気もするし……」
「分かった。お祖父様にはルシオがそう言っていたって伝えておくよ」
「ああ、待って! 伝えなくて良いから! フェルナンド様から聞かれるまで、いや、聞かれても何も言わなくて良いよ!」
「そこは諦めて!」
ー * ー * ー * ー
ピイリアの鳥籠を手にして玄関ホールに下りて来たアスールを見て、ローザはある程度悟ったようだ。
「ピイちゃんは今年は卵を産まないのですね……」
「そうみたい。ごめんね」
「アス兄様が謝ることでは無いですよ。仕方ありません。また来年に期待します」
馬車が学院を出発して以降、ローザはずっと窓から外の景色が通り過ぎていくのをぼんやりと眺めている。膝の上に座っているレガリアが、心配そうにローザを見上げている。
「ローザ。今年の夏はあの島へ行くのか?」
「島、ですか?」
「ピィィ。ピィ」
レガリアの声に反応したのはローザよりも寧ろ、鳥籠の中のピイリアの方だ。鳥籠の中でバサバサと翼を動かして、まるで覆いを外せと主張するかのようだ。
「アス兄様、ピイちゃんはどうしたのですか?」
「なんだろうね。珍しい」
「出せと言ってるぞ」
「そうなの? でも馬車の中でピイリアを離すことはできないよ」
「だったら覆いだけでも外してやったらどうだ? その小さきものは、すっかり島へ行く気のようだぞ」
アスールがレガリアの言う通りに覆いを開けるとピイリアは嬉しそうに囀っている。まるで鼻歌でも歌うかのようだ。
「まあ、ピイちゃんはそんなに島へ行きたいの?」
「ピィィ」
「そうね。あそこはとても素敵なところですものね」
「ピィ」
「夏の休暇が楽しみね!」
「ピィィ」
「ちょ、ちょっと待って、ローザ! そんなこと、勝手に僕たちだけでは決められないよ!」
「お城に着いたら、すぐにお父様とお祖父様に行っても良いか相談してみましょう!」
「でも……」
「大丈夫です。リリアナ様もきっと良いと仰って下さいます!」
ローザの膝の上でレガリアが意味あり気な表情を浮かべてアスールを見ている。まるで「諦めろ、アスール』とでも言いた気な顔だ。
こうして、アスールの今年の夏の予定は決まったも同然となった。
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