6 レイフの新しい側仕え(2)
談話室に入って来たマティアスは、アスールの正面に座っているレイフを見ても表情一つ変えず、レイフの後ろに控えているディエゴに軽く頭を下げると、空いていたレイフの隣に腰を下ろした。
「驚かないわけ?」
ルシオが呆れたように問いかける。
「何にだ?」
「何にって……レイフがここに、東寮に居ることにだよ!」
「何故驚く? もうすっかり学院中その話題で持ちきりだぞ」
剣術クラブの更衣室に入ろうとした途端、マティアスは事の真相を知りたい部長から呼び止められたそうだ。
「詳しいことは何も聞いていない! と言ってそのまま練習に参加して、さっき寮に戻って来たところだ。玄関ホールでも大勢に似たような質問をされたが、同じように答えておいた。実際に詳しいことは何も聞いていないのだし、答えようが無い」
レイフは、昼休みに中庭のベンチでアスールとルシオと三人で話した内容を掻い摘んでマティアスにも伝えていた。
アスールは、レイフの背後に立ち、黙って二人の話に耳を傾けているディエゴの様子を観察していた。
いったいディエゴがどこまで詳しく自分たちの状況を知っているのか、まだ分からないからだ。
レイフがディエゴのことをマティアスに紹介し、続いてルシオが、さっきローザから聞いたばかりのディエゴの英雄譚を大袈裟に語って聞かせた。
「えっ。もしかして……貴方は、ディエゴ・ターデン殿なのではありませんか?」
ガタンと大きな音をたててマティアスがソファーから立ち上がった。マティアスは目を輝かせて目の前に立つディエゴを見つめている。
「何言ってんの、マティアス。ディエゴ・ガランって名乗ったのを聞いて無かったの?」
ルシオは笑いながら指摘するが、マティアスの顔は真剣そのものだ。そんなマティアスに対しディエゴは困ったような笑みを浮かべ、静かに喋り出した。
「ああ、まあ、そうですね。その名前を、まさか貴方のようなお若い方が口にするとは思いませんでしたよ。確かに私は、ディエゴ・ターデン。ターデン侯爵家の次男です」
「ええと、でも、さっきはディエゴ・ガランって……」
ルシオが訳が分からないといった表情で尋ねる。
「もう随分と昔の話です。前の国王陛下の時代、ガラン領と共に男爵位を賜りました。以降はディエゴ・ガランと名乗って居ります」
「ああ、やっぱり! お会いできて光栄です! まさかこんな形でお目にかかれるとは、夢のようです! 今度、お手合わせ願えるでしょうか?」
普段の冷静な姿からは想像できないほど興奮気味にディエゴに話しかけるマティアスに、アスールたちは驚きを隠せない。
「どういうこと? レイフ、何か知ってる? アスールは?」
「……さあ。僕にはさっぱり」
「僕も、何が何だか……」
三人が戸惑う様子にやっと気付いたマティアスが、逆に何も知らないのかと、三人を驚いたような表情を浮かべて見ている。もう何が何だか分からない。
マティアスはソファーに座り直し、ディエゴにもソファーに座ってはくれないかと頼み込んでいる。最初はそのマティアスの申し出を断っていたディエゴだったが、最後には半ば強引にレイフとマティアスの間の席に座らされた。
「さっきレイフが言っていたディエゴ殿の話だけど……。あれは事実だけど、事実じゃない。本当はもっとずっと凄い話なんだよ」
マティアスはゆっくりと噛み締めるように話し始めた。
今から三十年近く前の話。
フェルナンドの弟のロベルトが当時はまだスアレス公爵で、王立学院を卒業して数年のニコラスは王都で父親の仕事を手伝う傍ら、趣味の魔法薬研究に没頭していた時期がある。
ある日、ニコラスは特定の時期にしか実らない魔法薬の材料となる珍しい木の実を採取しようと、王都から離れた森に出掛ける事にした。
一人で出掛けようとしていたニコラスだったが、たまたまその日が騎士団から与えられた休養日だったディエゴと会い、ディエゴが森への採取に付き添うことになったそうだ。
採取を終え公爵邸へ戻る途中、ニコラスとディエゴの乗った馬車が襲撃を受けた。
襲撃犯は十五名。目的はニコラスの誘拐。スアレス公爵家(もしくは王家)から莫大な身代金を要求するつもりで犯行を企てたようだ。
運良く(犯人たちにとっては運悪く)ディエゴが馬車に同乗していた事で、襲撃は失敗に終わった。
連絡を受けた騎士たちが到着した時には、最初に襲われた御者一名と、九名の襲撃犯が死亡しており、残りの六名がディエゴによって取り押さえられていた。
「ディエゴ殿は、お一人で十五人もの襲撃犯を撃退されたんだよ! これは凄く有名な話で、ディエゴ・ターデン殿は僕たち剣術クラブでは、尊敬してやまない憧れの大先輩なんだ!」
マティアスが熱く語った。
「いやいや、一人で十五人も撃退してはいませんよ。流石にそれは無理というものです。あの時はニコラス卿も二、三人は切り捨てていた筈。私は精々六、七人だけで……」
「それでも凄いことです! 他にも生かしたまま六人も取り押さえられたのですし。見事としか言えない偉業です!」
マティアスに言わせれば、生かしたまま捕まえる方が、切り殺してしまうよりもずっと難易度は高いらしい。まして敵と味方にこれだけの人数差があったのなら尚更だと言った。
襲撃犯たちが、何故その日にニコラスがたった一人で森へ採取に向かおうとしていたことを知っていたのか、そのことは結局分からず仕舞いだったそうだ。
生き残って捉えられた六人は唯の襲撃役で、その誰も詳しい襲撃計画を知らなかったのだ。
その一件でニコラスは無傷で救出されたが、ディエゴは酷い怪我を負ってしまい、それ以降騎士を続けることは叶わなくなった。
だが、命懸けで友人である公爵家の跡取り息子を守りきったことが評価され、当時の王だったフェルナンドが感謝の意を込め、ディエゴに男爵位を与えたそうだ。
「全然大袈裟な話じゃないよ……。本物の英雄だ!」
「そうだね」
マティアスだけで無く、ルシオもレイフもディエゴの話にすっかり魅了されている。
「とは言え、もう昔の話ですよ」
ディエゴは照れ臭そうにそう言って笑った。
アスールは楽しそうに話す四人を、少し冷めた眼差しで見つめていた。ディエゴが悪い人間で無いということは理解できるが、どこまで信用して良いものか判断しかねていたのだ。
(だいたい、どうしてお祖父様はレイフがスアレス公爵家に養子に入ったことを僕に隠していたんだろう? 面白がっていただけ? それとも他に理由があるのか?)
考えても分からない。フェルナンドにはきっと意図があったのだろうとは思うのだが、ただ単にアスールをビックリさせようと思っていただけの可能性も捨てきれない……。
「どうかされましたか? アスール殿下」
「えっ?」
「いえ、酷く難しい顔をされているようでしたので」
ディエゴがアスールに声をかけてきた。
「ああ、別に、何でもありません」
「ねえ、そろそろ夕食の時間だよ。食堂に行かない? 今日はいろいろなことがあったから、お腹がすいちゃったよ」
ルシオが言った。
「さっきまで、散々焼き菓子を食べていたじゃないか!」
「そうなのか?」
「そうだよ。あれだけ食べておいて、まだお腹が空いているなんて信じられないよ。ねえ、アスール?」
「えっ? ああ、そうだね……。そうかもしれない」
「「ん?」」
「どうしたの、アスール、ぼぉーっとして」
「ああ、ごめん。なんでも無いよ。夕食の時間だよね。行こうか」
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