1 東寮は大混乱?!
新学期を前にアスールはルシオと共に学院へと戻って来た。
馬車寄せから荷物を手に二人が玄関を入ると、数名の学生たちが玄関ホールで神妙な顔付きをして話し込んでいる。
「何か、あったのかな?」
ルシオは手にしていた荷物とチビ助が入れられている鳥籠を床に下ろすと、いつもの気安さを発揮して、近くに居た顔見知りらしき男子学生に声を掛けに行った。
ダリオは東寮管理人のマルコ・ガイスのところへ三人分の部屋の鍵を受け取りに行っている。アスールは取り敢えずソファーに座り、ルシオとダリオが戻って来るのを座って待つことにした。
玄関ホールはなんとなく落ち着きがない。
アスールが足元に置いた二つの鳥籠の中からも、バサバサという羽をばたつかせる音が聞こえ始めた。
ピイリアもチビ助も覆いの掛けられた鳥籠の中に居て外の景色が見えずとも、既に自分たちが寮に戻っていることに気付いているのだ。
にも関わらず相変わらず、いつまでもこうして狭い鳥籠の中に押し込められたままなのは不満だと、二羽なりに抗議しているつもりなのだろう。
「ごめん、ごめん。もうちょっと待っていてね」
「ピィィ」
ピイリアが小さく返事をした。
しばらくすると、ダリオが鍵の束を手にアスールのところまで戻って来た。
ダリオの後ろには、この東寮でガイス老の補佐をしている見慣れた顔の若者が二人付き従っている。
ダリオは相変わらず友人たちと話し込んでいるルシオの方へチラリと視線を送ってから、二人の若者に頷いて見せた。
ルシオを待たずに、ダリオは荷物だけを先に三階にあるそれぞれの部屋まで運んでしまうつもりのようだ。
「ピイリアとチビ助は一先ず、殿下の御部屋の方で宜しいですね?」
「えっ?」
ダリオは荷物だけで無く、ピイリアとチビ助も連れて行ってくれる気らしい。
「まだしばらく二羽一緒の方が良いのでしたよね? 私がベランダの小屋に移しておきます」
今年はもう無理だと頭では分かってはいるのだが、まだ諦め切ることができないでいるのだ。
「そうだね。そうして貰えると助かるよ」
「御茶と御菓子の用意を致しますので、もう少ししてから御戻り下さい」
「いつもありがとう、ダリオ」
ダリオは両方の手で二つの鳥籠を軽々と持ち上げると、残りの荷物を全て持った若者二人を引き連れて階段を上がっていった。
そのことに気付いたらしいルシオが、話を切り上げ、慌ててアスールのところへ戻って来る。
「ごめんね! ダリオさん……荷物、持って上がってくれたんだね?」
「ピイリアとチビ助を小屋に入れておいてくれるって。二羽ともちょっと苛ついていたから。それから、お茶の用意をしておくから、しばらく時間を潰してから部屋に戻るようにだって」
「そうなの?」
お茶と聞いて、ルシオは途端に顔を輝かせた。
「それで? 何か分かったの?」
「ああ、そうだった! なんでも、三階の南側の奥の部屋に新たな住人が入るらしいんだ」
「それって、ギルベルト兄上が使っていたあの部屋のことを言っているの?」
「そうだよ」
ギルベルトが使っていた部屋というのは、側仕え用の繋ぎ部屋が付いた部屋のことだ。東寮にはそういった造りの部屋は全部で四部屋しか無い。
現在は、女子階となっている二階の北側をヴィオレータが、南側をローザが使用中で、男子階三階の北側がアスールの個室だ。
今話題に上がっている三階南側の部屋は、ギルベルトが学院を卒業して以降、昨年はそのまま誰も使用せずに空き部屋となっていたのだ。
「新入生で側仕えを連れて来る子が居るってことかな?」
アスールが聞いた。
「もう既に荷物は部屋に運び込まれているらしいけど、どうも新入生では無さそうだって話だよ」
ルシオは先程までに聞き込んできた話をアスールに話して聞かせた。
その部屋は入試の結果が出るよりも早く、冬期休暇中で学生たちが不在の間に荷物は全て運び込まれていたようだ。
因みに、部屋の荷物を運び込んだ本人を見た者は居ないと言う。
「じゃあ、誰かが寮の部屋を交換したってこと?」
「うーん。それも違うみたい。卒業生が出た部屋以外で空いた部屋は一つも無いって言ってたから」
その辺は既に確認済みのようだ。
「だったら……どういうことなの?」
「留学生はこの寮には入寮できないから、可能性としては……編入生かなぁ?」
「編入生?」
編入生なんて聞いたことが無い。
王立学院は入学時の試験も厳正で、高位貴族の子どもであろうと学力が足りなければ試験でふるい落とされる。
成績が芳しくなければ学年の途中であっても自主的に退学していく学生だって出る程だ。
「本当のところは分からないよ。あの堅物な管理人さんが教えてくれるとも思えないしね」
ー * ー * ー * ー
入学式の前日の今日になっても “例の部屋の新しい住人” は、まだ寮に姿を見せていない。
そんな南側三階最奥のまだ見ぬ新しい入寮者に関しての噂話は早くも飽きられたようで、今、この東寮の話題の中心として急浮上しているのは、北側二階最奥の住人のヴィオレータのようだ。
「いよいよヴィオレータ様の不在に、皆が気付き始めたようだね」
夕食の時間。
ルシオが、同じテーブルに座るアスールとマティアスにだけ聞こえる程度の小さな声で話す。
「流石に入学式前日になってもヴィオレータ様が姿を見せなければ、誰だって変だと思うだろう? 普段だったら長期休暇が終わる数日前には寮に戻って、とっくに剣術クラブの練習に参加している方なんだから」
マティアスがさも当然のことのようにルシオに答えた。
食堂のあちこちから、ヴィオレータの不在を不審に思っている令嬢たち、特にヴィオレータファンの二、三学年生たちが、アスールの方に問いただした気な視線を送って来ているのだ。
アスールは敢えてそれらの視線に気付かない振りをしつづけている。
「明日になれば、学院長から何らかの発表があると思うよ」
「大騒ぎになるだろうね」
「……だろうな」
令嬢たちは、王子であるアスールに直接は聞き辛いようだ。
かと言って、事情を知っている可能性の高いヴィオレータの同級生である最上級生の令嬢方にも、流石に聞くことはできないとみえる。
その時、突然ルシオが周りのテーブルをキョロキョロと見回しはじめた。
「あれ。そういえば、ローザちゃんの姿もずっと見掛けてないけど?」
「ローザだったら、明日の入学式には間に合うように戻って来るよ。正式な発表の前にいろいろ聞かれたりすると面倒だろうからって。お祖父様が明日の入学式に参列するついでに、学院まで一緒にローザを連れて来るらしい」
「はあ、それはまた随分と過保護なことだね」
そう言ってルシオが笑った。
フェルナンドがローザを目の中に入れても痛く無いほど可愛がっていることは、最早周知の事実のようだ。
「過保護と言うより……どちらかと言えば、ローザが余計なことを言わないようにってことだと思うけどな」
「えっ、そっちなの?」
ルシオはアスールの台詞に驚いたようだ。
「僕はそう思ってるよ」
「どちらにせよ、フェルナンド様の判断だ。間違いは無いだろ」
喋ってばかりでちっとも皿の上の食べ物が減っていかないルシオとは対照的に、食事を早々に食べ終えたマティアスが淡々と答えた。
「はい、はい。マティアスはフェルナンド様至上主義だからね」
「当然だ」
さらりと言って退けるマティアスの肩を、ルシオが苦笑いを浮かべながら叩いた。
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