63 ヴィオレータの旅立ち
「ヴィスタルの港から船ですか?」
「そうよ。前にローザたちもテレジアへ行ったのでしょ? ダダイラ国は、そのテレジアを通り過ぎたずっと先にあるのよ」
「ここからだと、何日くらいかかるのですか?」
「一週間もあれば着くそうよ」
ドミニクとザーリアの婚約式関連の行事も全て無事に終わり、いよいよヴィオレータが留学先となるダダイラ国へ出発する日が近づいて来ていた。
今日もアスールたちは王宮の図書室で話し込んでいた。
特にすることも無い日の午後は図書室へと足を運び、冬期休暇中の課題を調べたり、本を読んだり、世間話をしたり、内緒話をしたり……。 最近はすっかりこの図書室がヴィオレータとアスールとローザの溜まり場になっている。
「一週間ですか? それは王都まで? それとも港までですか?」
「港までよ。そこから王都までは馬車で一日らしいわ」
「そうですか……遠いですね」
「一週間ならまだ遠くない方だと思うよ、ローザ。僕と兄上が夏に訪問したタチェ自治共和国もその位はかかったし、アリシア姉上の暮らすハクブルム国なんて、そこから更に馬車で四、五日はかかるんだよ」
「……他所の国に行くのは、簡単なことでは無いのですね」
ローザが溜息を吐いた。
ヴィオレータは王立学院を休学して、ダダイラ国の王都ヴェーダにある “ダダイラ王立学舎” に一年の予定で留学する。
クリスタリア王家でも、過去に数名の王子が他国に留学した例はあるが、王女となると他国へ留学するのはもちろんヴィオレータが初となる。
「はぁ。ヴィオレータお姉様まで他国へ行ってしまうと、王宮は更に寂しくなりますね……」
「一年なんて、きっとあっという間よ、ローザ。他国へ嫁ぐわけじゃないのだから、私はすぐに戻ってくるわ!」
ヴィオレータがそう言ってローザを優しく抱きしめた。
「そう言えば、結局誰が姉上に同行してダダイラ国へ一緒に行くことになったのですか?」
アスールがヴィオレータに尋ねた。
ダダイラ王立学舎では、王族であるヴィオレータには、特例として一名に限り従者の同行が認められるのだそうだ。
最初は王立学院で面倒をみてくれているヴィオレータ付きの側仕えがそのまま一緒に行くという話だったのだが、高齢を理由に「クリスタリア国外へ赴くことは辞退させて頂きたい」と、その側仕えの身内の一人が言い出したらしい。
まあ、それも仕方のないことかもしれない。
聞いたところでは、ヴィオレータの側仕えは、アスールの側仕えのダリオや、ローザの側仕えのエマよりも年上だという話だ。
今更言葉の通じない他国への留学に随行して、慣れない環境で一年間過ごさせるのは酷だろう。カルロは身内の願い入れをあっさりと受け入れた。
その代わりダダイラ国から帰国後、ヴィオレータが王立学院に戻った際には、学院での最後の一年間を再び側仕えとして勤め上げることが条件として出されたそうだ。
おそらく学院卒業と同時に、ヴィオレータの側仕えは別の女性と交代になるだろう。
「一緒に行くのはカサンドラ様よ。ギルファ侯爵家の」
前にどこかで聞いたことのある名前のようだが、アスールにはその名前の相手が誰なのか思い出せない。
「ええと……」
「アスールは覚えていない? ほら、昨年の学院祭! あの時の模擬戦の優勝者よ」
「ああ! 姉上と準決勝で対戦した?」
「そう」
ヴィオレータは今年の模擬戦では優勝したが、去年、一昨年と連続して同じ人物に敗れている。その相手がカサンドラ嬢だ。
カサンドラは昨年王立学院を卒業している。
ギルファ侯爵家はクリスタリア国の中でも特に武門に秀でた家系で、歴代多くの騎士団長や師団長を輩出しているのだとヴィオレータは言った。
そう言われてみれば、ルシオからも以前そんなような話を聞いた覚えがある。
カサンドラの姉は以前、アリシアの護衛騎士を務めていた。カサンドラ自身もそれを望んでいたらしいが、生憎アリシアはハクブルム国へと嫁いでしまい、彼女のその夢は潰えたとかどうとか……。
「あれ? カサンドラ様は、姉上の護衛騎士としてダダイラ国へ同行するのですか?」
「いいえ、従者よ」
「従者? ですが……確か、彼女は “騎士コース” を卒業されてますよね?」
「ええ。でも、とても優秀なのですって」
つまり、秀でているのは剣の腕だけでは無いと言うことか。
「カサンドラ様は、ダダイラ王立学舎で私の世話だけで無く、“聴講生” として授業にも一緒に参加することになっているのよ」
「へえ、そんなことができるのですか?」
「彼女も “兵法” を学んでみたいのですって」
(姉上以外にも、そんなことに興味を持つ女性が居るんだ……)
「アスール。貴方、今私たちの事を “変わり者” だなとか思ったでしょ?」
「そ、そんなこと。思っていませんよ!」
「まあ、良いけど。“変わり者” なのは事実だし」
「あはは。そんなことは……」
アスールは笑って誤魔化した。
「それより姉上! もう一つ姉上にお聞きしたいことがあるのですが」
「何? 改まって」
「姉上は、今回の留学の話を……学院のご友人たちに黙ったまま出発されると言うのは本当のことなのですか?」
「あら。特に隠しているわけでは無いわよ。仲の良い数人にはちゃんとお話はしたわ。それに会う人、会う人皆に『私、今度留学することになりましたの!』なんて言ってまわる必要は無いでしょう?」
「まあ、それはそうですが……」
確かにヴィオレータの言う通りだが、せめて同じクラスの学生には言うべきだったのでは無いだろうか?
ヴィオレータが席を置いている “淑女コース” は(騎士コースも)第四学年のメンバーが、クラス替え無しにそのまま第五学年に持ち上がる。
新学期が始まってヴィオレータが留学したとそこではじめて聞かされた学友たちは、おそらく複雑な気分になるだろうと想像して、アスールは少し気の毒に思った。
「もし誰かに何か聞かれたら、アスールもローザも適当に返事をしてくれて構わないわよ」
アスールの困惑した表情を読み取ったのか、ヴィオレータがそう言って笑った。
「適当とは?」
ローザが首を傾げる。
「そうね。『詳しいことはよく分かりません!』とか?」
ヴィオレータが真顔で答えた。
「姉上!……せめて『留学したことは事実ですが、私からは詳しいことはお話しできません!』くらいが妥当なのではないでしょうか?」
「ああ、そうね! じゃあ、そんな感じでお願いね。二人とも」
ヴィオレータらしいと言えばヴィオレータらしい。
らしいと言えば、ヴィオレータは来週行われる予定の授爵式を待たずに王都を離れることを決めた。今度の授爵式の “目玉” は兄ドミニクのイーリア公爵叙爵なのだが……。
「どうせ私たち未成人組は、授爵式の式典にもお祝いの会にも参加できないでしょ。だったらそこまで出発を延ばす意味は無いと思うのよ」
「そうですね。新しい生活に慣れるのにも時間は必要ですしね」
「言葉は問題無さそうですか?」
「この一年、私なりにかなり頑張ったわ!」
ヴィオレータは留学の許可をカルロから得るずっと前から、一人で周到に準備を進めていたのだ。
「アスールもローザも、本当にやりたいこと、欲しい物を見つけたのなら、絶対に諦めたら駄目よ!」
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