60 ドミニクの婚約式(1)
社交シーズンのスタートは、今年も冬の成人祝賀の宴だ。
アスールにとってはもう夏、冬合わせて六度目の、ローザにとっては四度目の祝賀の宴となる。すっかり手慣れた行事の筈だったのだが……。
「まあ、なんということでしょう!」
身支度を整えている筈のアスールの部屋から、侍女たちの悲痛な叫び声が聞こえてきた。
「大変! すぐにパトリシア様にこのことをお伝えして、ご指示を仰がなくては!」
成人祝賀の宴用にと新調したばかりな筈の、アスールの正装のズボンの丈が短いのだ。側仕えに手を引かれ、既に着替えが終わっていたらしいパトリシアがアスールのところにやって来た。
「まあ、まあ、まあ。ふふふ。本当に短いわね」
ここに来るまでの間に、自分が呼ばれた理由を侍女から聞いていたのだろう。アスールを見つめて楽しそうにパトリシアは笑っている。
「パトリシア様。如何致しましょう? 今からお直しをしている時間は……とてもございません」
「そうね。かと言って、そのまま宴に出席するのは……ちょっとね。座れば更に短く感じるでしょうね。そうだわ! 確か同じようなデザインの物を、何年か前にシアンが着ていたことがあったわね?」
パトリシアは、以前ギルベルトが(シアン時代に)着ていた物を引っ張り出して来て使おうと言い出した。
「衣装部屋の何処かにある筈よ!」
「では、私が行って探して参ります!」
一人のまだ若い侍女が衣装部屋捜索を志願する。
「そうね。そうして頂戴! なるべく早くお願いね」
「お任せ下さいませ、パトリシア様」
一方、アスールはといえば、着替えの途中のまま大勢の侍女たちに囲まれ、所在無げに立ち尽くしていた。そんなアスールの元へパトリシアがゆっくりと歩み寄る。
パトリシアは優しい笑顔を浮かべアスールの顔に向かってそっと手を伸ばし、両手でアスールの頬を優しく包み込んだ。
「……大きくなったのね」
気が付けば、いつの間にかアスールの身長はパトリシアを超えていた。
体調不良から寝台に寝ていたり、起きていたとしても座っていることの多かったパトリシアと、アスールがこうして立ったまま向かい合うのは、考えてみれば本当に久しぶりかもしれない。
「アスール殿下はこの一年で随分と身長が伸びていらっしゃいますよね。今回のお衣装も、その分を考慮して仕立てたつもりでしたが……。大変申し訳ございません」
一番年配と思われる侍女が、パトリシアに向かい深々と頭を下げた。
「それを上回る成長なのよね。だとすれば、仕方のないことだわ」
パトリシアはアスールの衣装を手配した者を非難するつもりは全く無いようで、柔らかい笑顔で侍女たちに対応している。
「パトリシア様。こちらでしょうか?」
手にズボンを持った若い侍女が、息を切らせて部屋に飛び込んで来た。
「ああ、そう! それよ! 二本も見つけてくれたのね?」
「は、はい」
「ご苦労様!」
パトリシアはまだ息の整わない侍女を労った。それから、アスールに届けられたばかりのズボンを手渡してこう言った。
「アスール、どちらが合うか、履いて見せて頂戴! 良い方を宴が始まるまでに急いで綺麗にして貰いましょう!」
ー * ー * ー * ー
「まあ。アス兄様が、そんなことになっていたなんて全然知りませんでした!」
成人祝賀の宴の直前のひと騒動の話を聞いたローザが、ケラケラと楽しそうに笑っている。
あの日、結局アスールはパトリシアのお墨付きを得た “ギルベルトのお下がりのズボン” を履いて式典に参加したのだ。
「それで慌てて仕立て屋を呼んで、今履いている婚約式用のその服を、今度こそピッタリになるように、丈を調整し直したってことなんだね?」
ギルベルトも笑っている。
「そうです。……ギリギリ間に合いました」
成人祝賀の宴とは違い、ドミニクの婚約式のこの日は、王家の面々が婚約式の終了後、“顔見せ” のため揃ってバルコニーに立つ。
その際慣例として、未成人の王子、王女は、自分の幼名に合わせた “持ち色” の生地で仕立てた正装を着用するのだ。
そうすることで、祝いに詰め掛けた市民が例え遠くからでも、バルコニーに立っているのが誰が誰なのかを、着ている服の色で完璧に判別できるという仕組みになっている。
つまりアスールは、今日は兄のお下がりでは駄目なのだ。自身の “持ち色” である青色の服を着ていなければならない。
「ところで、ギルベルトお兄様。今日はその服装で式典に参加されるのですか?」
「そうだよ、ローザ。これはね、僕が所属している騎士団の正装なんだよ」
「騎士団の正装?」
「そう!」
「……どうして騎士団の正装を今日お召しになっているですか?」
ギルベルトは既に成人し幼名の “シアン” を名乗っていないので、“持ち色” の水色を着る必要は無い。だが、前回のアリシアの婚約式の時には、既に成人済みのドミニクも “持ち色” の紫色を着用していた。
おそらく、そのことをローザは言っているのだろう。
「ああ。兄上が今回の婚約式に第一騎士団の正装で参加すると決められたそうなんだ。それならば弟である私も、兄上に合わせて騎士団の正装を着用するべきだと、お祖父さまからのご指示だよ」
「と言うことは、ギルベルトお兄様の着ていらっしゃるその服は、第二騎士団の物なのですか?」
「そうだよ。似合わない?」
ギルベルトが今着用している第二騎士団の正装は、全体に深い緑色を基調としていて、そこに金色の飾りや刺繍が多く施されている。マントも同色だ。
因みに、ドミニクが所属する第一騎士団の正装は黒色、第三騎士団は濃紺となっている。
はっきり言ってしまえば、騎士団という職業柄、どの団も少しくらい汚れても目立たない濃い色を採用しているだけなのだ。
「お似合いだとは思うのですが……見慣れないので、ちょっと変な感じです」
「そうね。今までギルベルトは明るい色合いの服装が多かったものね。その色だと……なんだかギルベルトで無い別の人のように私も感じるわ」
パトリシアもローザに同調した。
「あらら。どうやら女性陣には不評のようですね」
「駄目ってことでは無いのです! ちょっと見慣れないだけで、もちろんとても良くお似合いですよ!」
「お気遣い感謝致します、姫君!」
そう言って、ギルベルトは巫山戯てローザの前に恭しく跪いた。
「もう、お兄様ったら!」
控え室は、こうして始終楽しそうな笑い声で包まれていた。
と言うのも、今この控え室で式典が始まるのを待っているのは、パトリシアと、ギルベルト、アスール、ローザの三兄妹の四人だけ。
カルロとフェルナンドの二人は花嫁の国から来ている賓客への対応のため、ここ数日はずっと西棟の関係者と行動を共にしている。今回の主役はあくまでも “西棟” の面々なのだ。
“東棟” の女主人であるパトリシアは(自分が産んだ娘である)アリシアの婚約式の時とは打って変わり、ドミニクの婚約式となると特段役割は無い。
式の開始を、子どもたちとの他愛もないお喋りを楽しみながら、ただのんびりと待っていれば良いだけだ。笑顔が自然と溢れるのにも頷ける。
待合室の扉がノックされ、侍女がギルベルトに何かを告げた。
「さあ、そろそろ時間だそうだよ。聖堂に向かおう」
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