46 コードネーム:レディ・ローズ
「ああ、そうだ! 戻ったら真っ先に皆にお知らせしようと思っていたことがあったんです! バタバタしていて、すっかり忘れていました!」
昼食を終え、アスールとローザはパトリシアの部屋に来ていた。朝会った時は寝台の上に座っていたパトリシアだったが、今はローザの隣、ソファーに腰を下ろしている。
よく見れば、パトリシアとローザに挟まれて、レガリアが気持ち良さそうに丸くなって寝息をたてているではないか。
(……レガリアが言っていたのは本当だったんだな)
ローザがパトリシアの近くで過ごすことでパトリシアの体調は改善するだろうとレガリアは言っていた。夏季休暇の間、ずっとローザはパトリシアの側に居たのだろう。
ローザが無意識に垂れ流している “光の魔力” がパトリシアに良い影響を与えていることは間違いない。
夏季休暇が終って学院へ戻るまでに、このまま少しずつでもパトリシアの体調が改善すれば良いとアスールは心の底から願った。
「……さま!アス兄様ってば!」
「えっ?」
「もう、ぼうっとして! お知らせしたいことって一体何ですの? 勿体ぶらずに早く教えて下さい!」
「ああ、そうだったね、ごめん。実は……」
アスールはエルンストが婚約したという話をパトリシアとローザに話して聞かせた。
「まあ、それは嬉しい話ね! ヴィスマイヤー卿に婚約者が!」
「それで? アーニー先生はいつご結婚なさるのですか?」
パトリシアもローザも興味津々だ。
「一年後くらいって言ってた。先ずハクブルム国で式を挙げて、それから二人でロートス王国に戻るらしい話をしていたので」
「それだと……やっぱり私たちはお式に参列できませんね。もう先生にはお会いすることは叶わないのかしら……」
ローザがガッカリしているのを見たアスールは、エルンストからローザへのお土産を預かっていることを伝えることにした。
「ローザ。まだ荷物が僕のところに届いていないから今直ぐには渡せないけれど、アーニー先生からローザ宛のプレゼントを預かっているよ。僕と兄上からもいくつかお土産があるし。夕食前には渡せるかもしれない」
「本当ですか?」
ローザの顔がパッと明るく輝いた。
「そうだ! ローザはジルさんのことを覚えてる? ほら、アルカーノ商会の」
「もちろんです! フェイとミリアのお兄様でしょう?」
「そうだよ。今回の旅の途中で、そのジルさんの妹にも会ったんだ」
「まあ、どんな方ですか?」
「それがね、諜報員をしているんだって」
「ちょうほんい?」
「そうじゃない! 諜報員だよ!」
「それって……何ですの?」
「スパイのことでしょう? どこかに潜入して重要な秘密を調べたりする人のことよ」
アスールの代わりに、パトリシアがローザに説明してくれた。
「まあ! そんなお仕事をされている妹さんですの? 凄いわ! 素敵!」
ローザの目がキラキラ輝いている。
「でもね、ローザ。きっと危険と隣り合わせのお仕事よ」
「そうだよ! まるで別人のように変装もしていたんだ。変装と言えば僕も……」
言いかけてアスールはルシオの振りをする羽目になった元々の理由を、ローザの前で言うべきでは無いことに気付いて慌てて口籠った。
「アス兄様も変装をしたのですか? どうして? どんな変装を?」
「ああ。これはもしかすると最重要機密に触れる恐れがあるかもしれないから……。喋っても良いか確認してから教えてあげるよ」
「まあ! アス兄様もタチェ自治共和国で諜報員のお仕事をなさったのですか?」
「えっと。だから、この話は取り敢えず止めよう!」
アスールは何とか話題を変えようと必死に次の話題を探した。だが、焦れば焦る程全く別の話題が思いつかない。
「そうだわ! 諜報員と言えば私も……」
(困ったな、ローザはまだ諜報員の話題に固執しているじゃないか!)
「私も王家を揺るがすような、とても重要な秘密をいくつか知っておりますわ!」
そう言って、ローザは得意気にアスールの方を見ている。
「えっ! それって、本気で言っているの?」
「もちろんです! よろしければ、アス兄様にも教えて差し上げましょうか?」
アスールは思い切り頷いた。ローザの瞳が更に輝く。
「実は、ヴィオレータお姉様が留学されることに決まったのです!」
「姉上が?」
「はい!」
「どこに? いつから? 父上とエルダ様は本当にお許しになったの?」
「もう! そんなに一度に質問されても困ります! 今から私がアス兄様に私の掴んだ情報を教えて差し上げますので、お兄様は黙ってお聞き下されば良いのです!」
「……分かったよ」
パトリシアはアスールとローザのやり取りをニコニコしながら見つめている。その横でレガリアが大きな欠伸を一つした。
「ヴィオレータお姉様の留学先はダダイラ国ですわ。学校の名前は……確か、ダダイラ王立学院? いいえ、ダダイラ王立学舎だったと思います」
随分といい加減な諜報員だ。
「お姉様は第五学年を一年間お休みして、戻って来たら第五学年生をするそうですよ」
「ってことは……その一年間は僕と姉上は同学年ってこと?」
「そうなりますね。でも、アス兄様は騎士コースはお選びにならないのでしょう? でしたら、同じクラスでは無いですね」
「ああ、そうだね」
その後も、ローザは調べ上げたというヴィオレータの留学に関する情報を、アスールにいろいろと聞かせてくれた。
アスールはヴィオレータが自分の留学したいという思いをきちんと貫いたこと、ちゃんとあの両親を説得したことに関して心の中で称賛の拍手を贈った。
「それから、もう一つ極秘情報があるのです。アス兄様、お知りになりたいですか?」
次にローザが開示した情報は、もうすぐこの王宮へとやって来る予定のドミニクの婚約者に関するものだった。
「ザーリア姫様は遅くとも来週の終わりまでには、王宮西翼に新しく整えられたお部屋にお入りになられますわ!」
「へえ、そうなんだ」
「アス兄様! もう少し真剣にお聞き下さい。大事なお話ですのよ! 私たちにとっては “お義姉様” になる方のお話ですよ」
「ああ、ごめん」
正直、アスールにとってはザーリア姫の入城など、然程気になる話題では無い。すぐに結婚式が行われるわけでもない。当面は、西翼でクリスタリアの文化を学んだりするだけだろう。
王家の話では無いが、他国から来る婚約者の場合、一年程の婚約期間の間にクリスタリア国の水に馴染めずに結局婚約を解消して国に戻ってしまう女性も居ると聞く。
ドミニクの婚約者だって、本当に義姉になるかはまだ分からない。
ひとしきり調べ上げた情報を話し終え、ローザは満足そうにお茶を飲んでいる。まあ、調べ上げたと言っても全ての情報源はヴィオレータに決まっている。
「ねえ、ローザ。コードネームって知ってるかい?」
「いいえ。それって何ですの?」
「スパイの秘密の名前みたいなものだよ」
「まあ、素敵! ジル様の妹さんにも、そのコードネーム? があるのですか?」
「さあ、どうかな。僕は彼女のスパイ仲間じゃ無いからね。あったとしても教えてもらえる筈は無いだろう?」
「確かにそうですね!」
ローザは急にソファーから立ち上がると、嬉しそうにアスールにこう言った。
「アス兄様! お兄様は私の “スパイ仲間” ではありませんが、私の大切な “兄” なので、私のコードネームを教えて差し上げますわ。諜報活動をご用命の際には、私のことはどうかレディ・ローズとお呼び下さいませ」
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