43 メーラ国の小さな港町(2)
「では、ギルベルト殿下とアスール殿下はこちらの部屋をお使い下さい」
「「分かりました」」
「私は、ラモスとこの左隣の部屋に居りますので、何かあればすぐに駆けつけます」
「「はい」」
「側仕えのお二人は右隣、一番手前と奥の二部屋は騎士たちが使用致します」
アスールたちが泊まる事になった宿は、元はこの辺りを取り仕切っていた地主の屋敷を改装して、宿として使用しているそうだ。
その元地主の一家は随分と前にこの土地を離れ、もっと内陸の大きな街へと引っ越したと、気の良さそうな宿の主人が言っていた。
流石に騎士たち全員まとめて泊まれる程の部屋数は無かったので、残りの者たちは他に数軒ある宿屋に分かれて宿泊することになった。
「お昼のお食事はどうされますか? 宿で用意できるのは夕食と明日の朝食だけだそうです」
突然やって来た大型商船の入港に、小さな港町は活気付いているというよりは、むしろちょっとした混乱状態に陥っているように見える。
アスールたちがのんびり朝食の海老を堪能している間に、ジルやダリオたちが町中の宿屋と交渉して、仕入れに出た商人と船員たちを除く全員分の寝床をなんとか確保したようだ。
「もうしばらくしたら三兄弟で仲良く散策にでも出掛けようと思っているから、どこかで適当に食べますよ。僕たちのことは心配要らないよ、父さん!」
まだ家族設定を続けるつもりらしいギルベルトが、笑いながらフレドにそう言った。
「散策ですか? まあ、小さな町ですし、見たところ特に問題は無さそうだとは思いますが、必ず護衛を連れて出て下さいね」
「分かっています」
宿を出て海へ向かいしばらく歩くと、波の音に混って子どもたちの楽しそうなはしゃぎ声が聞こえてきた。
大勢の子どもたちが膝下近くまで海水に浸かりながら、海水の中に両腕を突っ込んで何かを探しているように見える。
「あれって、何をしているんだろう?」
気になって仕方の無いアスールは、波打ち際ギリギリのところまで歩み寄ると、子どもたちの様子を観察することにした。
どうやら子どもたちは貝をとっているらしい。海水の下の砂の中に隠れている貝を探り当てては、それをほじくり出しているのだ。
とれた貝は腰の辺りに括り付けてある袋に入れているようで、どの子の袋にもそれなりの量の貝が入っている。
「へえ。貝って、ああやってとるんだね」
アスールのよく知るヴィステルやテレジアの海岸の殆どが岩場だったので、こんな風に砂浜がひたすら広がっている海岸を歩くのも、砂浜で貝をとっているのを見るのも初めての経験なのだ。
「今は丁度良い具合に潮が引いているから、貝がとりやすいんだと思います」
声のする方を振り返ると、女の人が二人並んで立っている。
二人のうちの一人はすぐにジル・クランの妹のヒルダだと分かったのだが、もう一人の方は誰だったろう? アスールはその声の主をまじまじと見つめた。
「アスール殿下。女の子をそんなに見つめては駄目ですよ!」
「えっ?」
ヒルダが笑いながらアスールに指摘した。
「誰だか分かりませんか?」
「えっと……」
「船倉に隠れていた小ネズミちゃんですよ! ふふふ。どうです? 見違えたでしょう?」
「ああ! 本当だ! あの時の! なんだか雰囲気が変わったと思ったら……髪を切ったのですね?」
「……はい」
髪を短く切り揃え、年相応の可愛らしい服を着た今のテレサは、麻袋を巻きつけて船倉に隠れていた時の印象とは随分と変わっていて、まるで別人のようだ。
あの日以降ずっと顔を合わせることがなかったこともあって、アスールは正直テレサの存在を忘れかけていた。
テレサはこころなしか少し肉付きが良くなり、青白かった肌にも赤味がさして、以前よりずっと健康そうに見える。
「先程、皆様がお泊りになっている宿をお訪ねしたのです。そうしたら、少し前に散歩に出られたとバルマー侯爵からお聞き致しましたので、こうして追いかけて来たのですわ」
「何かありましたか?」
「実は、彼女。テレサが、ギルベルト殿下とアスール殿下のお二人に、是非直接会ってお礼を言いたいと言うので……」
そう言って、ヒルダがテレサの背中をそっと押した。
「あ、あの。サスランでは、ありがとうございました」
テレサは早口でそう言うと、アスールたちに向かって深々と頭を下げた。
「僕たちは……特に何もしていないですよ。ねえ、アスール?」
「ええ、そうですね」
「で、でも……。あの、えっと」
テレサは真っ赤になって口籠っている。
「あのですね。この子が言いたいのは、あの時、確かに偶然だったかもしれないけれど、あの場所でクリスタリア語を話しているお二人に出会えた。そのことが彼女に、サスランから逃げ出す決心をさせたのではないでしょうか」
ヒルダがテレサに代わって説明した。
「お二人にとってはたったそれだけの事! と思われるかもしれませんが、彼女にとっては運命を左右する程の出会いだったのだと、私はそう思います」
ヒルダの話によると、テレサはクリスタリア国に帰国後しばらくは、誘拐事件に関しての聞き取り調査を受けなくてはならないこともあって、王都に滞在することになるそうだ。
確かに、バルマー侯爵もそんなようなことを言っていた。
そういった面倒事が全て済めば、テレサは生まれ故郷のウーレン村の家族の元へ帰ることになる。
「ただ……誘拐事件から既に三年の月日が経過してしまっていることもあって、故郷へ戻ることが本当に最善の策と言えるかどうかは……正直私にもちょっと分かりません」
ヒルダは、テレサに聞かれないように気遣いながらそう言った。
「えっ、どうしてですか?」
アスールにはヒルダの言いたいことの真意が分からない。
「女の子ですからね……。戻っても、肩身の狭い思いをするだけかもしれない。謂れの無い誹謗中傷を受けるかも」
「そんな!」
「真実なんて、簡単に捻じ曲げられてしまうものですよ、アスール殿下」
それでもヒルダは、テレサが故郷のウーレン村に帰るときには必ず自分も一緒に付き添うつもりでいると、はっきりとアスールたちに向かって宣言した。
とても小さな村だとヒルダは言っていた。家族が受け入れても、隣近所や、一緒に攫われて行方の分からない女性の実家からの反応によっては、場合によっては家族さえも暮らし難くなる可能性もあるかもしれない。
とにかく、行ってみないことには何も分からないのだそうだ。
「場合によっては、今後もあの子の面倒は私が見ても構わないと考えてはいるのです」
そう言ってヒルダは優しい笑顔をヒルダに向ける。
テレサの方も、この短期間ですっかりヒルダに懐いて、姉のように慕っているようにアスールには見えた。
「いろいろと、今後解決すべき問題は残っているかもしれないけれど、彼女にとっては、あの商船にヒルダさんが乗り合わせていたことこそが一番の幸運だったと思うよ。僕たちにあの店で出会ったこと以上にね」
話を終え、去って行くヒルダとテレサの背中を見送りながら、ギルベルトがぽつりと呟いた。
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