42 メーラ国の小さな港町(1)
「急な話ですが、明日は予定を変更して、メーラ国の港に錨を下ろすそうです」
夕食を終えて船室でのんびり寛いでいると、フレド・バルマー侯爵がアスールたちの部屋へとやって来てそう伝えた。
「帰りの補給場所として選ばれたのは、ローシャル国のサスランでは無く、メーラ国ですか?」
「ええ。先程船長からそう聞かされました。風の影響で随分と予定よりも距離が稼げているようで、メーラ国の小さな港町に一泊するのはどうかと提案されました」
「一泊?」
アスールは思ってもみなかった船長の提案に顏を輝かせる。
「タチェ自治共和国への公式な訪問とは違うので、今回は盛大に歓迎されることも無いでしょう。宜しければ、王子としてでは無く、クリスタリア国の普通の貴族の子どもたちという体で下船してみますか?」
フレドが悪戯っ子のような笑顔をギルベルトとアスールに向けた。
「そんなこと、可能なのですか?」
「ええ。大きな港では無く、船長が敢えて小さな港を選んでくれるそうですよ」
「やった!」
「まあ、小さな港とは言っても、これだけ大きな商船が寄港できて、この人数を受けいれることができるくらいですから、それなりの所ではあるでしょうね」
「ですが、侯爵。商人たちから不満が出るのでは?」
「商人たちですか?」
「ええ。以前、商船にとって “時間は金よりも重要” だと話されていたではないですか。それなのに一泊だなんて……」
ギルベルトが不安を口にした。
「ああ、それでしたら心配無用です。私も詳しくは知りませんが、港から遠くない場所に織物と酒の名産地があるらしく、一泊するなら仕入れに行くことができると皆喜んでいるとか」
「そうでしたか。ならば我らも楽しませて貰いましょう!」
それ程小さい筈は無いだろうとフレドから聞いていたその港町は、アスールの予想を良い意味で裏切る本当に小さな港だった。
「うわー。これはこれは!」
「町なの? 村では無くて?」
朝日を背に受け、段々と近付いて来る港町を眺めながらフレドとラモスの親子が話している大きな声が、まだ人もまばらなデッキ上に響き渡る。
「全員泊まれる宿が……本当に確保できるのですかね、父上?」
「さあ、行ってみれば分かるだろう」
「えっ。そんな呑気な!」
「大丈夫ですよ。ああ見えて、あの町もそれなりにちゃんとしていますから。おはようございます。皆様随分と早くから活動されているのですね」
ジルは眠そうに目を擦っている。
「商人たちはこの町では無く、目的の場所にそれぞれ宿を取るでしょうから、この町に泊まるのは王宮関係者ご一行の他はほんの数名です」
「船の乗組員の方たちは下船しないのですか?」
「……ああ。まあ、下船はしますが、何と言うかその……」
ジルはアスールの質問に困った顔をした。
「船員たちが行くのも宿は宿なのですが……殿下の知っている種類の宿では無くて……まあ、その何と言えば良いのか……。詳しくは博識なそちらの侯爵にお尋ね下さい。では、私は用事を思い出したので失礼します」
そう言うと、ジルは頭を掻きながらそそくさと立ち去って行った。
アスールは話の続きを聞こうと、横に立っているフレドを振り返ると、ジルからアスールへの回答を丸投げされたフレドが苦笑いを浮かべていた。
「おそらくですが、船員の多くは女性からの接待が受けられる宿に泊まるってことでしょうね」
父親の返答を聞いたラモスが、気のせいかさっきよりも赤い顏をしているとアスールは思った。
「接待?」
「まあ、良いじゃない。少なくとも僕らが休める宿は確保して貰えそうなんだから。朝食は船を降りてから食べますよね、侯爵?」
「そうですね。その方が温かくて美味しい物にありつけるでしょうから」
ー * ー * ー * ー
その日の朝食は漁師が家の庭先で営んでいるのかと思う程、小さな食堂に入った。バルマー侯爵と息子のラモス、それにギルベルトとアスールでテーブルを囲む。
騎士が四人、たまたま同じ船に乗り合わせただけの他人を装って、もう一つだけあるテーブル席に着席する。
「いらっしゃい。おや、あんたたち親子かい?」
「ええ、まあ」
フレドが食堂の女将さんに適当な返事をする。奥のテーブルに居た騎士たちが必死に笑いを噛み殺しているのが見えた。
「今朝はね、良い海老が沢山網に掛かったんだよ。食べたいもんが決まって無いんだったら、それを食べてみたらどうだい。絶対に後悔はさせないよ!」
「じゃあ、それを四人分お願いしようかな」
「女将さん、こっちにも同じものを頼むよ!」
「はいよ!」
一番ガタイの良い騎士がニンマリと笑ってすぐに同じものを頼んだ。こんなに小さな店だ。あれこれいろいろな種類のものをオーダーすれば時間ばかりかかってしまう。おそらく騎士はそう判断したのだろう。
「ねえ、侯爵」
「アスール殿下、今は “父さん” って呼んで貰えますか?」
「そうだね、僕ら三人は兄弟ってことらしいからね」
ギルベルトが楽しそうに笑っている。どうやらギルベルトはこの “家族設定” を楽しむつもりのようだ。
「それで? アスールは何か、父さんに聞きたいことがあったんじゃないの?」
「海老は頼んだけど、好みの料理の仕方も聞かずに女将さんは調理場に行っちゃったなと思って……」
「ああ、そう言えばそうだね」
「きっと、お勧めの調理方で運ばれて来ますよ」
フレドは調理場の方を指差して笑っている。郷に入れば郷に従えと言うことだろうか。しばらくすると、ガチャガチャと調理道具がぶつかり合う音がした後で、なんだかとてつもなく良い匂いが調理場の方から漂って来る。
程なくして調理場から大きな器を両手に持った女将さんと、もう一人大男がやはり両手に器を持って歩いて来た。
「お待たせ。熱いうちに食べとくれ! 海老の殻入れは今すぐ持って来るよ」
そう言ってテーブルの真ん中に女将さんは器を二つドンと置いた。
大男は女将さんの旦那だろう。そのままアスールたちのテーブルの横を通り抜けて、料理を騎士たちのテーブルに置いた。
運ばれて来た大きな器の一方には、茹でた海老が溢れんばかりに入れられ、そこから熱々の湯気がもうもうと上がっている。
もう片方はたっぷりのオイルで焼かれた海老だ。香ばしいニンニクの良い匂いを嗅いだ途端にアスールのお腹がグーっと鳴った。
「一番下の弟は、随分と空腹のようだね。遠慮しないで沢山お食べ!」
アスールに向かい大声でそう言うと、女将さんは殻入れを取りに調理場へと戻って行った。
「じゃあ、遠慮なく頂くとしますか!」
フレドが笑っている。
その後は、無言でひたすら海老の殻を剥き、剥けた海老をひたすら口へと運び続けた。
こんなに大量の海老をどうやって食べ切れば良いのだろうかと思っていた山盛りの海老も、あれよあれよという間に八人のお腹の中に収まった。
最後に残ったのは、空っぽになった二つの器と、山のように積み上がった海老の殻だけだ。
「はあ、美味しかったー!」
「よく食べましたね」
「本当だね。運ばれて来た時は余りの量に目を疑ったけれど、意外となんとかなるもんだね」
「まあ、あの器が一人分じゃ無くて本当に良かったよ」
使用人が目の前まで運んで来る自分用の皿の料理を食べることが当たり前な貴族にとっては、こんな風に大きな器にドンと盛られた海老を皆で掴み取って食べるなんて、なかなか味わえない経験だ。
この港町にいる間は、ずっとこんな感じなのかもしれない。アスールはこの突然降って湧いた小さな港町での一泊旅行の間に起きるかもしれない出来事を考え、期待で胸が高鳴った。
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