39 野心家領主とその客人(2)
「そういえば、今回は第三王子殿下もご一緒される予定だと前に伺っていたのですが、急に取り止めになったのですか?」
ヨハンは話題を変えた。
「アスールですか? 彼なら、出発直前に体調を崩してしまい、船旅は無理だろうと医師から訪問団に加わることを止められました」
「そうでしたか、それはご心配ですね」
「いえ。それ程悪いわけではありませんので、大丈夫です」
「アスール殿下は、レオンハルト殿下と同い年でしたね?」
「ええ。そのようですね」
「現在は王立学院の……」
「第三学年に在籍しています」
「そうでしたか。確か妹姫様も学院に通われていらっしゃいましたよね?」
「はい。上の妹が第四学年、下の妹が第二学年生です」
「クリスタリア王立学院はとても素晴らしい教育をされていると聞き及んでいます。他国からの留学生も数多く受け入れてましたよね?」
そう言って、ヨハンはまたレオンハルトの方へ視線を送った。
「私もいずれは他国の学院に留学したいと考えています。クリスタリア国は母の祖国ですし、それ程高い評判なのでしたら、是非とも留学先の一つとして検討したいですね」
レオンハルトが嬉々として話に加わってきた。
「確かに王立学院は広く留学生を受け入れています。留学生用の試験に合格し、その実力さえ示すことができれば、王立学院への留学は認められるでしょう」
ギルベルトがさらりと述べた。
王立学院に在籍した留学生の殆どが他国の有力な貴族の家庭の子どもたちであるため、コネや王族の口添えがあれば留学許可が下りると勘違いしている者も少なからず存在するらしい。
だが、それは全くの誤解だ。留学生に高位貴族の子どもが多いのにはちゃんとした理由がある。
試験を受けるために必要な学力と、授業についていけるだけのクリスタリア語の習得が不可欠だからだ。その為には相当優秀な家庭教師が数人は必要だろう。
つまりある程度の財力が伴わねば、そもそも王立学院の試験を受けることすらできないということだ。
「留学をお考えでしたら、まずはクリスタリア語を学んで下さい。授業は選択科目の外国語を除き、全てクリスタリア語で行われていますので」
そう言ったのはフレドだった。
ギルベルトは、隣から聞こえてきた普段のフレドからは想像もできないほどの冷たい声色に、思わずフレドの方を振り返った。
フレドの顔面からはいつもの穏やかな笑顔は消え、代わりにあからさまな作り笑いが張り付いている。
「多くの他の国々の六年制の学院とは違い、我が国の学院は五年制。授業の進みもとても早く、貴族の子女であろうと成績が振るわなければ自主退学者も出ます。それは留学生であっても例外では無く、二年の留学予定で入国した筈が、最初の夏季休暇が明けても学院に戻って来なかった例もある位ですからね」
「それ程に厳しいのですか?」
ヨハンはフレドの話を聞いて、心底驚いたようだ。
「ええ、我が国の誇るべき学院です」
「それならば、私ももっと勉強を頑張らねばなりませんね!」
レオンハルトはフレドの牽制など全く意に介すること無く、笑顔でそう言って退けた。
これにはフレドの笑顔の方が引き攣っている。フレドはまるで気を取り直そうとするかのように軽く咳払いをした。
「大変申し上げにくいのですが……。ああ、もちろんこれは、あくまでも私の個人的な意見ではありますが、レオンハルト殿下の王立学院への留学は正直、とても難しいと思います」
「それは何故です?」
フレドの台詞に対し不快感を露わに喰い付いたのは、護衛として同席していた筈のユール・センスだった。
「おや、貴方も我が国の学院にご興味がおありですか?」
フレドがニンマリと笑い、ユールに話し掛けた。
ユールはほんの一瞬だけ「しまった!」という表情を見せたが、すぐにまた元の愛想笑いを浮かべた表情に戻った。
護衛として同席しているのなら彼は話に加わるべきでは無かった。
「何故私がクリスタリア王立学院へ留学するのが難しいのか、バルマー侯爵には是非ともお教え頂きたいです」
今度はレオンハルトがフレドに尋ねた。
「はっきり申し上げて、これから私が話す内容はレオンハルト殿下にとって耳障りの良い内容では無いと思います。それでもお聞きになりたいですか?」
「もちろんです」
「でしたら、私から “クリスタリア国民の本音” についてお話し致しましょう」
そう言ってフレドは語り始めた。
「多くのクリスタリア国民は、今もなお亡くなられたスサーナ様のことを深く敬愛しています」
スサーナ・スアレスは、当時のクリスタリア国王フェルナンドの弟ロベルト・スアレス公爵の二番目の娘として生を受けた。
スサーナの父ロベルトは、小さな頃から兄のフェルナンドの城下へのお忍びに付き合わされていたためか、公爵として独立してからは民との繋がりを非常に大切にした。
“民あってこその国” との強い思いを、生涯をかけて世に示し続けた人物と言われている。
王家よりも公爵家の方が自由が効いたのもあるだろう。まだ小さな三人の子どもたちを連れて、仲良くヴィスタルの街を歩く姿や、民との交流を楽しむ姿がよく目撃されていた。
色白で小柄なスサーナが街へ繰り出せば、その愛らしい容姿と天真爛漫なお喋りとで、出会う人々を魅了した。
キラキラと明るく輝くブルーの瞳で見つめられた街の人々は、一瞬でスサーナの虜になったと言われている。
スサーナは普段からプラチナブロンドのふわりとした美しい髪にリボンを付けていた。そのリボンを自ら選び購入する為に度々訪れていた下町のごく普通の店には、スサーナと同じリボンを求めて長い列ができたと聞く。
ギルベルトはフレドの話をすぐ横で聞いていて、まるでローザの話を聞いているようだと思った。
「遊学という形で我が国に滞在されていた当時はロートス王国の皇太子だったヴィルヘルム殿下が、ご帰国時にスサーナ様をロートス王国へとお連れになった際は、クリスタリア国民はまるで光を失ったかのように悲しみに暮れました」
レオンハルトは、フレド・バルマーの語る自分にとっては記憶にない母親の昔話に聞き入っている。
「ですが数年後、お二人に待望のお子たちが誕生した話が伝わると、クリスタリア国内でもまるで自国の王家の子どもの誕生と同じくらい喜びに湧きました。その直後に起きたのがあの悲劇的な事件です。どんな事情があったにせよ、結果的にスサーナ様の命を奪ったロートス王国という国自体を恨む国民は今も少なくありません」
レオンハルトの先程までの明るい表情から一転、今はすっかり血の気が引いてしまったように見える。
「そうですか……」
「ええ、ですから殿下の受け入れは国民感情を鑑みても……かなり厳しいかと」
フレドはさも残念そうにそう言った。そしてこう付け加えた。
「ただし、ハクブルム国に嫁がれたアリシア様の側近として、今はハクブルム国で妃殿下に仕えてくれているエルンスト・フォン・ヴィスマイヤー卿を通してでしたら、陛下も許可を出される可能性はあるかも知れませんね」
エルンストの名前が突然フレドの口から上がったことで、レオンハルトの隣に控えていたユール・センスの顔がまた一瞬だけ引き攣ったのをギルベルトは見逃さなかった。
「例えロートス王国の出身者であっても、彼なら既にクリスタリア国民に受け入れられていますからね」
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