38 野心家領主とその客人(1)
「ようこそ、ギルベルト殿下」
「お招き、ありがとうございます」
「いえいえ。突然の声掛けでしたのに、ギルベルト殿下には快くお越し頂き、大変嬉しく思っております」
ギルベルトとフレド・バルマー侯爵の二人は、タチェ自治共和国のゲルダー語圏にあたるゲール州の領主からお茶会に誘われ、タチェ市内にある彼の屋敷を訪れていた。
ゲール州領主ヨハン・ミューラーは、自らを “お調子者” と自称したダリア州領主ライが言うところの “野心家” な領主よろしく、サロンに到着するまでに延々とクリスタリア国との今後の良好な関係を望んでいる旨を語り続けた。
「ライ殿が、ゲールの領主を “野心家” と称していた意味がよく分かりましたね」
ヨハンが使用人にあれこれと指図をしている間、サロンを見て歩きながらフレドがギルベルトの耳元で可笑そうにそう囁いた。
「それにしても突然の今日のお茶会、どういった意図があるのでしょうか?」
明日の午後にはタチェ市を離れることが決まっているギルベルトのところに、前夜突然ヨハンから急なお茶会の招待状が届いたのだ。
何か意図があるのかもと疑いたくもなる。
「素敵な絵画ですね」
サロンの正面の壁に掛けられていた、とても美しい風景画の前でギルベルトは足を止めた。
「ありがとうございます。それはゲール州の州都の風景なんです。機会があれば、是非実際のその景色をご覧になりに、我が領地へとお越し下さい」
「そうですね。機会があれば是非」
ギルベルトは未来の約束をこの場で取り付けられてしまう前に、王子らしくヨハンに微笑んでみせた。そんなことなどお構いなく、ヨハンはグイグイ詰め寄って来る。
「折角ここまで来られているのですから、予定を少しばかり変更して、このまま我が領地へ足を伸ばしてみては如何ですか?」
「私一人の判断で日程を変更することは難しいですね……。ねえ、侯爵?」
ギルベルトはフレドに助けを求めた。
「そうですね。……今回は商人たちも同行しているのです。商人たちにとって “時間” とは時として “金” よりも価値があると聞きます。残念ですが、私共の都合で彼らの帰国の日程を遅らせるわけにはいかないでしょうね」
フレドはさも残念そうにヨハンにそう告げた。
それでもヨハンは諦め切れないのか、それともギルベルトたちを屋敷に滞在させたダリア領主へのライバル心からか、自らの領地の素晴らしさを語り続けた。
そうこうしていると、一人の使用人がヨハンに近付き、何か耳打ちしている。ヨハンは使用人に向かって小さく頷いた。
「ああ、ギルベルト殿下。たった今、屋敷に来客があったとの知らせを受けました。もしかするとこれこそ運命の悪戯かもしれません!」
ヨハンはまるで舞台役者よろしく語り出した。
「ギルベルト殿下に是非ともその方々を紹介させて下さい。ええ、ええ。これぞまさしく女神の采配に違いありません」
そんなに都合良く偶然が重なる筈は無い。大方、最初からその人物に引き合わせるつもりで今日のお茶会を設定したのだろう。
ギルベルトとフレドの許可を取るでも無く、満面の笑みを浮かべ上機嫌なヨハンは、使用人に客人を連れて来るようにと手で合図を送った。
踵を返して部屋から出て行った使用人は、別の場所で待機していたらしい客人を連れてすぐに戻って来た。
呆れる程の手際の良さだ。
開いた扉からサロンに入って来たのは、まだ “少年” と言って良いほど若い男と、二人組の護衛だった。
一番若い男がギルベルトの前に進み出ると、ギルベルトに対しとても洗練されたお辞儀をした。
「はじめまして。レオンハルト・フォン・ロートスです」
そう名乗ると、その少年はギルベルトに向かってニッコリと微笑んでみせた。
「ロートス?」
思いがけない人物の登場にギルベルトは息を飲んだ。
目の前のレオンハルトと名乗ったその少年は、知的そうな顔立ちに、短い金色の髪の毛をきっちりと整え、明るい綺麗な緑色の瞳でギルベルトを正面からしっかりと見つめている。
「ええ、こちらはロートス王国の第一王子。レオンハルト殿下です」
ヨハンが満面の笑みを浮かべて、そうギルベルトに告げた。
「ああ。貴方が……。はじめまして、クリスタリア国第二王子のギルベルト・クリスタリアです」
ギルベルトもすぐに冷静さを取り戻すと、完璧な王子スマイルを返した。
「お二人はこれが初対面でしょうが、確か再従兄弟同士ではありませんでしたか? ギルベルト殿下のお父上、カルロ陛下はレオンハルト殿下のお亡くなりになられた母君の従兄妹だったと記憶しておりますが……」
そう言ってヨハンは、チラリとレオンハルトを見た。
「はい。その通りです。私の母はクリスタリア国のスアレス公爵家の出です。クリスタリア国にいる親戚とは、ずっと以前からいつかお会いしたいと願っておりましたので、こうしてヨハン殿にお茶会という形で機会を作って頂けたことを大変嬉しく思っています」
レオンハルトは淀みなくそう述べた。
「そうでしょうとも! 私もお二人をお引き合わせすることが叶ってとても嬉しいですよ。過去の悲しい出来事を乗り越え、将来国を導く若いお二人がこうしてここで手を取り合い、お互いの国を発展させていく一助になるのであれば、私にとってこれ程喜ばしいことはありませんからね」
十二年前の悲劇的な事件からしばらく経ってから発表されたのは、あの混乱の中で国王夫妻が命を落としたということと、第一王女が生死不明の行方知れずの状態だということだった。
王と共に国を動かしていた重鎮ともいえる貴族の多くも、国王夫妻と同時に死亡している。
あの急襲と、続く火災から生き延びることができたのは、今この場に居る、自らを第一王子のレオンハルトだと名乗る人物と、現在は摂政として国政を取り仕切っているザグマン侯爵の他、ほんの一握りだけだった。
国王を失い混乱する国を再建するためという名目で、ロートス王国は対外的に国を閉ざした。その後もロートス王国は他国の介入を拒み続け、そのまま現在に至っている。
「誤解をされていらっしゃるようなので訂正しますが、私はあくまでもクリスタリア国の第二王子という立場なだけで、決して私が王太子に決定しているわけではありませんよ。ねえ、バルマー侯爵。そうですよね?」
ギルベルトが冷静に、だが決して笑顔を絶やすことなく、はっきりとそう断言した上で、更にフレドの同意を求めた。
「ええ、確かにギルベルト殿下の仰る通りです」
「ああ、それは申し訳無い。私はてっきりギルベルト殿下が将来的には王位に……」
「まだ何も決まってはおりません!」
フレドはピシャリとヨハンの言葉を否定した。中途半端な態度を取って、後々後継争いの火種を生むことになっては困るからだ。
どうやらヨハンもフレドの意図を察したようで、これ以上この話題が続くことは無かった。
レオンハルトと同行している二人のうちの片方は、屈強そうで、如何にも護衛騎士といったタイプの寡黙な男だ。
だが、もう片方の男については、護衛と紹介はされていたが、目付きや体格、それに雰囲気からして、とても護衛騎士とは思えない。
彼は、レオンハルトとギルベルトの会話に注意深く耳を傾け、有益な情報を決して見逃したり、少しも聞き漏らしたりしないよう細心の注意を払いながら、こちらをキツネのような目で観察しているように見える。
もしかすると、このお茶会で話す内容に関しては、予め細かく決められているのかもしれない。
ロートス王国の三人の中で、実際にこの場の主導権を握っているのはレオンハルトでは無く、おそらくユール・センスと名乗ったキツネ目の彼の方だろうとギルベルトは警戒した。
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