34 その頃、ヴィスタルでは……(2)
「すまん。遅くなった」
そう言いながら執務室へ入って来たのはフェルナンドだ。
フェルナンドは執務室内のただならぬ様子に一瞬躊躇したようだったが、直ぐに普段と変わらぬ足取りでソファーへと近付き、そのままドサっとヴィオレータの隣に腰をおろした。
「深刻そうじゃな。いったい何があった?」
フェルナンドの明るい大きな声が執務室に響き渡る。フェルナンドは手を伸ばし、エルダの前に置かれていた書類を取り読み始めた。
「成る程の。呼び出しの原因はコレじゃったか……」
そう言って、フェルナンドは隣で項垂れているヴィオレータの頭をガシガシと撫でた。ヴィオレータのキッチリと整えられた黒髪が乱れる。
「お祖父様……」
「そんなに心配せんでも大丈夫じゃよ」
そうヴィオレータを安心させるように言った後で、フェルナンドは正面に座っているカルロに向かって深々と頭を下げた。
「父上? どうされたのです? 頭を上げて下さい!」
突然のフェルナンドのその行為の意図が分からず、その場に居合わせた全員が固唾を飲んでフェルナンドとカルロの二人を見守っている。
フェルナンドはゆっくりと頭を上げた。
「儂は前々から、ヴィオレータが留学したがっていることを知っておった。それを止めんかったし、それどころかいくつか学院案内も取り寄せた」
「……父上! 貴方という人は」
カルロは驚いたというよりは、むしろ呆れ果てた顔でフェルナンドを見つめている。
「儂は、ヴィオレータが騎士コースに進みたいと言い出した時に、お前とエルダがヴィオレータに対して取った行動を否定するつもりは無い。ヴィオレータはこの国の王女なのだからな」
その後の選択科目の選び方はともかく、ヴィオレータは “騎士コース” を諦めて、現在は “淑女コース” に席を置いている。
「だから『留学してみたい』とヴィオレータが儂に相談を持ちかけてきた時、長い人生のたかだか一年ぽっちの短い期間なら、本人の希望を聞いてやるのもアリかもしれんと思った」
フェルナンドは自分の秘書官に内密に依頼して、近隣の国々から留学を視野に学院案内を取り寄せてヴィオレータに渡していたことを白状した。
「成る程」
重い沈黙が流れる。
「じゃが……儂が取り寄せた案内の中に、ダダイラ王立学舎は入っていなかったと思うが。ヴィオレータ。お前さん、自分で問い合わせをしたのか?」
「はい」
「そうか、そうか」
フェルナンドはヴィオレータに優しい笑みを向けた後で、真面目な顔をしてカルロとエルダに語りかける。
「どうしても反対か? それはヴィオレータが王女だからか? もしドミニクだったら、反対せんかったか?」
「……お義父様」
「頭ごなしに駄目だと決め付けず、少しヴィオレータの話も聞いてやってくれ。決めるのは今日明日でなくても良いのであろう?」
「……」
「後は親子三人で、よくよく話すと良い」
それだけ言い残すと、フェルナンドは軽く手を上げると、イズマエルを従えて執務室から出て行った。
ー * ー * ー * ー
「ヴィオレータ。どうしてダダイラ王立学舎なんだ?」
「えっ?」
「他にも留学先はいくらでもあるだろう? 父上も言っていたじゃないか、案内書類は何ヶ所か取り寄せたと」
「私が学びたいのは “兵法” なのです」
「兵法ですって?」
エルダが唖然とした表情でヴィオレータに聞き返した。
「はい」
「選りにも選って王女である貴女が兵法だなんて……」
エルダはブツブツと小言を言い続けている。カルロはそんなエルダを他所にヴィオレータに先を促した。
「お祖父様が取り寄せて下さった留学先の中で、兵法を学べるところはガルージオン国立学校だけでした」
「あら。ガルージオン国立学校では駄目なの?」
またエルダがヴィオレータの話の腰を折る。
「お祖父様にもガルージオン国立学校が駄目だと言われたわけではありませんが、かと言って良くも無いですよね?」
「どうして? ガルージオン国でしたら私の親族も大勢居るし、私としては逆に安心だわ」
ヴィオレータはエルダを見つめ溜息を吐いた。
「母上。近く兄上の婚約者の方もガルージオンから来られます。その上、私が留学先としてガルージオン国を選んだとなれば、余計な憶測を呼ぶ可能性があるとは思われませんか?」
「余計な憶測?」
「そうだな。他国からは、クリスタリア国王であるカルロは “ガルージオン国寄り” だと誤解を呼ぶかもしれないな」
「それは……」
流石にエルダも理解したようだ。
カルロがガルージオン国寄りだと思われるということは、即ち「時期国王はガルージオンの血が入ったドミニクではないか」と邪推する者まで出てしまう恐れがあるのだ。
カルロの思惑を他所に、それぞれの王子を推す派閥ができ、国内の貴族たちが分裂するのは好ましく無い。
「そうなると、近隣の国で私が “兵法” を学べるのは “ダダイラ王立学舎” だけなのです」
「だが、ダダイラ国の場合、国立高等学院は広く留学生を受け入れているが、王立学舎の方はそうでは無い筈では無かったか? 小規模で閉鎖的だと聞いた気がするのだが……」
「その通りです。ですから直接問い合わせてみたのです。まさか父上宛に返答があるとは思っていませんでしたが」
「それも、女王のサイン入りの許可証入りだぞ……」
「申し訳ございません」
「はあぁ。今更あちらに『気が変わりました。行きません』とは言い難いな。それにしても、ヴィオレータが学びたいのは兵法か……」
カルロの問いかけに、ヴィオレータは真剣な眼差しで答える。
「はい。私はハクブルム国に嫁がれたアリシア姉上やローザのように、結婚相手となる殿方を支えてることに幸せを感じて生きていくタイプではありません」
「そんなこと! まだ分からないでしょう!」
エルダが泣きそうな顔で訴えた。
そんな母親の悲痛な訴えに対し、ヴィオレータは無言で首をゆっくりと横に振った。
「私は学院卒業後は、兄上たちのように父上やお祖父様のお手伝いがしたいのです。ドミニク兄上が騎士団を、ギルベルト兄上が王宮府を手伝っているのなら、私はお二人とは別の分野でこの国のお役に立ちたい」
「それで兵法を学ぶと言うのか?」
「はい」
「お前も王位を望むのか?」
「いいえ。そういった気持ちは全くございません」
「だが、お前が留学しようとしているダダイラ国を治めているのは女王だぞ。少しは惹かれる気持ちがあるのではないのか?」
「女王が治める国だから、私がダダイラ国を留学先として選んだわけではありません」
「まあ、良い。私も当分隠居などする気は無いし、いざとなれば父上だってあの通り健在だ。すぐに後継を定めるつもりも無い。その気になったらいつでも言いに来れば良い」
ヴィオレータは当惑した様子だったが、それでも苦笑しながらカルロに向かって小さく頷いた。
「留学期間はどんなに長くても一年だ。これ以上は認めん。良いな?」
カルロの台詞にヴィオレータの顔がパッと輝いた。
「お許し頂き、ありがとうございます! 父上」
ヴィオレータはそう言うと両親に向かい深々と頭を下げた。
「本気なのですか、陛下?」
エルダはまだ娘の留学に納得できてはいないようだ。
「ああ。そもそも、お前の娘は一度言い出したら、親の言うことなどちっとも聞かないってことくらい、嫌ってほど身に染みて解っているだろう? まあ、私の娘でもあるがな」
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