33 その頃、ヴィスタルでは……(1)
王家を揺るがす大問題が起きようとしていた。
「なんだ、これは!」
カルロは持っていた書類の束を執務机の上に叩きつけた。綴じられていた書類はその衝撃でバラバラになり、執務室の床のあちこちに飛び散った。
怒りの余り握り締められたカルロの拳がワナワナと震えているのが見て取れる。
周りに居た王宮府の役人たちは、普段は至って温厚なカルロの余りの変貌振りに絶句し、遠巻きにカルロを見つめたまま一様に立ち尽くしていた。
「今すぐヴィオレータを王宮に呼び戻せ!」
「ヴィオレータ姫は、現在ユーサスの離宮に滞在中では?」
散らばった書類を拾い上げていた秘書官が、怯えた顔でカルロを見上げながらそう答えた。
「そんなことは分かっている! ホルクを飛ばして戻って来るように伝えれば良いではないか!」
秘書官にしてみれば、とんだとばっちりである。
ドミニクの婚約者となるガルージオン国の姫君用の部屋を用意する為、現在王宮西翼は改装工事の真っ最中だ。
当然西翼には工事関係者が出入りをすることになる。余計なトラブルを避ける為、工事が終了するまでの間、夏季休暇で帰城していたヴィオレータとエルダの二人は、母娘でユーサスにある夏の離宮に移動していた。
「陛下、いったい何事ですか?」
執務室に入って来たのはイズマエル・ディールス侯爵だ。秘書官のうちの誰かが気を利かせて、イズマエルを呼びに行ったのだろう。
フレド・バルマー侯爵がタチェ自治共和国へと出掛けている今、カルロをなだめられるのはもう一人の側近であるイズマエルしか居ないと判断したに違いない。
「ああ、イズマエルか。これを見てくれ。今さっき届いたばかりだ」
カルロはそう言って、秘書官が拾い上げてくれたばかりの書類の束をイズマエルに手渡した。イズマエルはページを整えながら中身を確認している。
「これは……ヴィオレータ様の?」
「ああ。あの娘、また勝手にやりおった」
「……ダダイラ国ですか」
イズマエルは書類をきちんと揃えてカルロへと戻した。
「確か今、フェルナンド様もユーサスに滞在中でしたよね?」
「ああ、昨日辺りハルンからユーサスに移動した頃だ」
フェルナンドは今年の夏季休暇の前半をハルンでローザたちと、後半をユーサスでヴィオレータたちと過ごす予定になっている。
「でしたら、ホルクは私の方でフェルナンド様宛に飛ばしておきましょう」
「そうだな。頼む」
ー * ー * ー * ー
エルダ様 ヴィオレータ様
確認すべき事案発生につき、大至急帰城されたし。
イズマエル・ディールス
「ヴィオレータ、ちょっと良いか?」
「何でしょうか? お祖父様」
ユーサスの離宮の庭でヴィオレータはホルクの雛と戯れていた。最近になってヴィオレータは、雛を鳥籠の外に出して自由に飛ばす練習を始めていた。
まだ短い時間に限っての練習を始めたばかりだが、こうして慣れさせておけば、後期開始後すぐに始まるホルク飼育室で飛行訓練をスムーズに受けられるとアスールからアドバイスを受けたのだ。
「たった今、王宮からホルクが飛んで来たんだが……。そのホルクを儂に寄越したのは、何故だかイズマエルなんじゃよ」
「ディールス侯爵ですか?」
「ああ」
フェルナンドはホルクが運んで来た小さな紙をヴィオレータに手渡した。ヴィオレータは受け取った紙に書かれている短い文章を読んで、驚いた様な表情を浮かべた。
「えっ? 宛先は私とお母様なのですか?」
「そうなんじゃ。その上、詳しいことは何も触れておらん。いったい何事だろうな」
「……。お祖父様、やはり王都へ帰らないと駄目ですよね?」
ヴィオレータの様子からして、フェルナンドはおそらくヴィオレータには思い当たる節があるのだろうと考えた。
「送り主がカルロでは無く、イズマエルからだからなぁ。儂は一刻も早く王都に戻った方が良いと思うぞ」
「……分かりました。お母様にお知らせして来ます」
「そうだな。それが良い」
「お祖父様は、どうされますか?」
「儂か? お前たちが居ないユーサスに残っても仕方あるまい。一緒に帰るよ」
今から大急ぎで帰る準備をしたとしても、出発は明日の朝になってしまうだろう。
フェルナンドはイズマエル宛にその旨を書いたの手紙を付けてホルクを飛ばすことにした。
「王宮で、いったい何が起きているやら……。面倒なことで無ければ良いがな」
ー * ー * ー * ー
「離宮にて夏の休暇をお過ごしでしたのに、この様な形で急にお二人をお呼びたてしてしまい、誠に申し訳ございません」
先ずはイズマエルが謝罪を述べた。
「謝罪は受け入れますわ」
「感謝致します」
「ですが、侯爵からのホルク便に “大至急” と書かれていましたから、私たち、取るものも取り敢えず大急ぎで戻って参りましたのよ。いったい何事ですの?」
第二夫人であるエルダは、基本的には国に関わる様な重要な案件に一才関わってはいない。
今回こうして二人揃って王宮に呼び戻された理由が自分にでは無く、娘にあるのだろうと薄々気付いているようだ。
イズマエルへの強気な発言とは裏腹に、エルダは心配そうな表情でヴィオレータに何度も視線を送っている。
「イズマエルにホルクを飛ばす様に指示したのは私だ」
「陛下が?」
「ああ」
カルロは執務机から立ち上がるとエルダとヴィオレータが座っているソファーへとゆっくりとした足取りで近づき、テーブルに持っていた書類をそっと置いた。
今日のカルロは冷静さを保っているように見える。
「それは、一昨日私のところへ届けられたものだ」
エルダが恐る恐るその書類に手をのばした。ページを数枚捲り、信じられないといった顔で隣に座っているヴィオレータの方を力無く振り返る。
「貴女、なんてことを……」
ヴィオレータを見つめるエルダの表情からは、完全に血の気が失せていた。
「ヴィオレータ。それが何なのか、聡いお前のことだ、もう察しはついているのだろう?」
「ダダイラ王立学舎への留学に関する書類だと思います」
ヴィオレータはカルロの目を正面から見つめ、臆することなくはっきりとそう答えた。エルダが泣きそうな顔で口元を押さえている。
「そうだ。それもダダイラ国の女王直筆サインの記された留学許可証まで入っている」
「女王のですか?」
「ああ」
ヴィオレータは一瞬戸惑ったような表情を浮かべた。
「確かに私はダダイラ国の王立学舎へ留学を希望する旨の書類を送りました。ですが書類は間違いなく王立学舎へ送ったのであって、女王宛に何かを送った覚えは私にはございません!」
カルロはヴィオレータの返事を聞いて、小さく溜息を吐いた。
「確かにそうかもしれん。だが、お前は誰だ?」
「えっ?」
「ヴィオレータ。お前はクリスタリア国王の娘なんだ。それは分かるな?」
「もちろんです」
カルロはとても静かな、だが揺るぎない眼差しをヴィオレータに向けた。
「お前の判断は王家の意志と見做されることもある。事と次第によっては、お前の不用意な行動や発言が、この国を揺るがす事態を引き起こす可能性すらあることを自覚せねばならない」
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