30 ギルベルトの受難
「はあぁ。これでしばらくはあの厄介な屋敷とその住人たちから離れられるよ……」
馬車が走り出すと直ぐに、ギルベルトがそう言って大きな溜息をついた。
今走っているこの馬車に乗っているのは、ギルベルトとアスール、それからラモスとエルンストの四人だけだ。
ギルベルトは誰の目も気にする必要もないこの空間では、不機嫌さを隠す必要など全く無いと考えているらしい。
ギルベルトの向かいの席に座っていたラモスが、ギルベルトの口から飛び出した飾りっ気の無い台詞を聞いた途端、お腹を抱えて笑い出した。
「ラモス! 笑い事じゃないんだよ、本当に!」
「ごめん、ごめん」
ギルベルトにしては珍しく苛ついている。
「兄上、何かあったのですか?」
ギルベルトはアスールの問いには何も答えず、また一つ大きく溜息を吐いた。
アスールは何か知っているのではないかと思い、目の前に座っているエルンストの方を見た。だが、エルンストは首を横に振っている。
どうにか笑いを堪えたラモスが、心底驚いたような顔でアスールを見た。
「アスール殿下は昨夜のあの騒ぎに、全くお気付きではなかったのですか?」
「騒ぎですか? いいえ」
「ラモス、子どもと酔っぱらいは寝付きが良いんだよ!」
「まあ、そうかもしれませんね」
ギルベルトはそっぽを向いている。
「実は昨日の夜中に、ギルベルト殿下の部屋に侵入した不届き者が居たんです」
「ええっ、それは本当の話ですか?」
アスールは驚きの余りラモスに聞き返した。どうやらエルンストにとっても初耳だったらしく、驚いた顔でラモスを見ている。
「ええ。事実です」
「それで、泥棒は? ちゃんと捕まえたのですか?」
「まあ、捕まえたというか……。侵入者も、なんと言うか、その、泥棒では無くて……」
ラモスの発言はなんともはっきりしない。アスールに聞かせるのを躊躇っているかのようにも見える。
「泥棒では無いなら何ですか?」
アスールは気にせず質問を続けた。
「……夜這いですね」
「よばい? よばいって何ですか?」
アスールの台詞を聞いたエルンストが堪らず吹き出した。釣られてラモスも再び笑い出す。
「何? アーニー先生まで、どうしたの? 何が可笑しいの?」
「何も可笑しく無いよ、アスール」
答えたのはギルベルトだ。
「夜這いって言うのは、既成事実を作る為に夜中に他人のベッドに勝手に潜り込むことだよ。……普通は女性の部屋に男性が忍び込むものだと、僕は思っていたけどね」
そう言ってギルベルトはまた溜息を吐いた。
「まさか! 誰か兄上、既成事実を……」
アスールは途中まで言いかけて真っ赤になって口籠った。
「それは大丈夫! ギルベルトは無事だよ。彼のベッドで僕も一緒に寝ていたからね」
「えっ?!」
尋常で無いくらいに大きな驚き声を上げたのはエルンストだった。
「ああ、違います! 僕たち、ヴィスマイヤー卿がお考えになっているような間柄ではありませんので、ご安心下さい」
ギルベルトが不機嫌そうに横を向いたままなので、仕方なくラモスが話し始めた。
「さっきご覧になったでしょう? うちの父親のあの様子。昨晩は強いお酒を飲み過ぎたせいで、父の鼾が凄かったんです……」
領主の屋敷では、一番上等な客間が王子であるギルベルトに。次に良い部屋が王子の次に身分の高いフレドに。ラモスとルシオの兄弟には普通の二人部屋が割り当てられていた。
ところが、実際にはギルベルトの次に身分が高いのはアスールな為、フレドは自分の一人部屋をアスールに譲って、息子のラモスと同室になったのだ。
当然だが、この部屋の変更は領主側には伝えていない。
「余りに父の鼾がうるさくて、とてもじゃ無いけど眠れそうに無いから、仕方なくギルベルトの部屋に避難させて貰ったんです」
アスールとルシオの関係と同じように、ギルベルトとラモスも子どもの頃からの付き合いは長く、もしかするとアスールたち以上に仲が良いかもしれない。
それに、あれだけ大きいベッドだったら自分もルシオと一緒に寝ても全然気にならないだろうとアスールも納得した。
「僕が扉側に寝ていたので……」
突然のベッドへの侵入者に驚いたラモスが、侵入者をベッドから蹴落としたそうだ。
普通だったら、未婚の男女が夜中に同じ寝室に二人だけで居ただけで疑われる。既成事実など必要無いのだ。おそらく侵入者はそれを狙ったのだろう。
「でも、部屋に居たのはギルベルト殿下お一人では無かったということですね? つまり、作戦は失敗したと」
「まあ、そんなところです」
「それで、侵入者は誰だったのですか?」
エルンストはある程度答えを予想しているような口振りだ。
「第三夫人の娘。妹の方です」
「ほう。姉では無く、妹の方でしたか」
昨晩ギルベルトと話をした後で、母親が姉に向かって「何番目の夫人でも良いからクリスタリア国に嫁げたら良いわね」と話しているのを聞いて「姉では無く自分が!」と考え強硬手段に出たそうだ。
騒ぎを聞きつけたフレド・バルマーが駆けつけ、夜中に一悶着あったらしい。
侵入者が領主の娘だった為、穏便に済ませて欲しいと頭を下げられ、仕方無く「今後お互いにこの件に関して一切口を閉ざす」ということで同意したようだ。
クリスタリア国としても「未遂とは言えこのような話が表沙汰になっては外聞が悪い」とフレドが判断を下したのだ。
道理で朝からずっとギルベルトの機嫌が悪い訳だ。
フレドにしても二日酔いの上に、この王家を揺るがし兼ねなかった厄介事による寝不足。あれだけ体調が悪そうだったのも頷ける。
「……全然気が付きませんでした」
別の階に部屋が与えられていたエルンストはともかく、すぐ近くの部屋に居たのに気付かなかったアスールはしょんぼりと肩を落とした。
「今後はお部屋の前に見張りを置いた方が良いかもしれませんね。もしくはラモス君が毎晩ギルベルト殿下の部屋に侍るという手も……」
「それは流石に遠慮させて頂きます」
「いずれにせよ」
それまでどこかふざけた感じのエルンストが、突然真面目な顔をして言った。
「こう言った強硬手段で無いにしても、今後もギルベルト殿下のところに縁談絡みの話を持ち掛けて来る者は多いでしょうね」
「先生、昨日もそう言っていましたね」
「今回はギルベルト殿下の側に陛下もパトリシア様もいらっしゃらない。直接殿下に娘を売り込む絶好の機会ですからね」
「……そうなのだろうか?」
ギルベルトは頭を抱えている。
「それが嫌なのでしたら、殿下も早く婚約者を決めておしまいになれば良いのですよ。少なくとも婚約者さえ決まっていれば、結婚式が済むまでは次の名乗りを上げる者は出ませんからね」
「僕は第二夫人を迎えるつもりなんて無いよ!」
「ギルベルト殿下がそう心に決めていらしたとしても、周りは好き勝手を言うものですよ。貴方は王位継承権を持つ王子なのですから」
ラモスがニヤニヤしながら二人の会話を聞いている。
「ラモス君。貴方だって今や筆頭侯爵家の跡継ぎなのですから、この外遊中に何が起きるか分かりませんよ」
「えっ、僕もですか?」
急に矛先が自分に向かって来たので、ラモスの背筋がピンと伸びた。
「いろいろ僕たちに苦言を呈しているけど、そう言うヴィスマイヤー卿だって、結婚するどころか婚約者だってまだ居ないじゃ無いですか」
ギルベルトが反撃した。
「私ですか?」
「ええ、ヴィスマイヤー卿も立場は我々と同じですよね?」
「ああ、そういえばお伝え損ねておりましたね。婚約者でしたら、ちゃんと居りますよ」
エルンストはそう言って、ニッコリと微笑んだ。
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