28 ジェガという港町のお調子者
船を降りて先ず向かうのは、ジェガの街を含むダリア州を治める領主の屋敷だ。
ギルベルト王子一行は数日この領主の屋敷に滞在し、その後調印式が行われるタチェ自治共和国の首都であるタチェ市に向かう予定になっている。
内陸に位置するハクブルム国や、ノルドリンガー帝国へ入国する際には、タチェの港を利用する船も多く、そういった理由からここジェガの町も “海の玄関口” として非常に繁栄しているとフレドの勉強会で習った。
聞いていた通り、港の周辺にも様々な商店が軒を連ね、人の往来も多く、とても活気があるように見える。
アスールの支度を整えている間に、ヴィスタルで積み込まれた大量の荷物と共に、王宮府の役人たちは迎えに来ていた馬車で既に領主の屋敷へと出発したようだ。
船着き場で護衛対象二人を待っていた騎士たちが、下船したアスールの余りの変貌ぶりに一瞬目を丸くしたが、大方前もって変装の話を聞いていたのだろう、直ぐに何事も無かったかのように配置に着いた。
「ここから先、アスール殿下は私の息子、ルシオ・バルマーとして過ごすことになります。立場上、馬車や食事、その他多くの場面でギルベルト殿下とは別々になる可能性もあります。その点はご容赦下さい」
フレドがアスールの横に立ち、アスールにだけ聞こえる声でそう囁いた。
「大丈夫。理解しています」
フレドの心配を他所に、領主の館から迎えに来ていた馬車には、アスールもギルベルトと一緒に乗り込むことになった。
「そう言えば、ジルさんは今後は別行動になるのでしたよね?」
王子という立場のギルベルトだけでなく、今回の調印式に於いてクリスタリア国の総括責任者とも言えるバルマー侯爵とも今後は別行動になる可能性は多いにある。
アスールは今のうちに疑問点や不安要素を排除するべく、フレドに思い付いた質問を片っ端から投げることにした。
「そうなりますね。帰りの船でまたお世話になる予定ですのが、アルカーノ商会も商談の為タチェ市には向かうでしょうし、またそこで会うこともあるかもしれませんね」
「じゃあ、あの子は? あの女の子は、あれからどうなったのですか?」
「あの子と言うのは……ウーレン村の少女のことですか?」
アルカーノ商会の船に密航した少女とは、あの後ジルの妹だと言っていたヒルダに連れられて船室を出て行ったきり顔を合わせていなかった。
「確か、テレサと言っていましたね。彼女の件でしたら心配はいりません。我々の帰国時に一緒にクリスタリア国へ連れ帰ります。彼女が言っていたことは真実のようですし、それに彼女は被害者ですからね」
「……なら良かった」
「但し、我々と同行するわけにはいかないので、ヒルダさんがしばらく面倒を見てくれることになっています」
「そう言えば、ヒルダさんのことをジルさんは “諜報員” って言っていたけど……」
「そのようですね」
三年前のローザ誘拐未遂事件には、オルカ海賊団のメンバーが二人関わっていた。あの時にその二人の裏切り者は捕縛された。
だが、その二人を陰で操っていたプラシドファミリアの幹部数名を騎士団は取り逃してしまっているのだ。
「オルカ海賊団は、逃げたプラシドファミリアの幹部の行方をあれからずっと追っています。どうもローシャル国に逃げ込んでいるのでは? という話を掴み、今回ヒルダさんが潜入して探っていたようです」
潜入自体では何も進展はなかったようだが、偶然とはいえ今回テレサを保護したことで何か今後に繋がる糸口を掴めたかもしれないそうだ。
「アスールが支度をしている間に、ヒルダさんと会ったけど、ビックリする位別人だったよ」
不意にギルベルトが会話に入ってきた。
「別人ですか?」
「そう! アスールのその変装なんて全然目じゃ無い程にね」
「えっ?」
「バルマー侯爵が謝罪した位だから。そうだよね?」
「その通りです。あの日のヒルダさんは、潜入用のやたらと濃いお化粧と派手な衣装で別人になりきっていただけで、実際の彼女はちゃんとジル殿の “妹” でした」
そう言われてみれば、あの日のヒルダは「ジルの姉では?」とフレドに言われてかなりムッとしていた。
港から色鮮やかな建物が続く中心地を抜け、緩い坂道をしばらく進むと、扇状に広がる要に当たる位置にその屋敷は見えてきた。
「驚いた! この街は領主館までピンク色だよ!」
馬車の窓から外の景色を見ていたギルベルトが、そう言って段々と近付いて来る領主の屋敷を指差した。
透き通るような真夏の青い空を背景に、薄いピンク色の館の壁と、そこに等間隔で並ぶ白い窓枠がよく映える。
馬車寄せには、領主が自ら出迎えに出ていた。
「遠いところをようこそ! ライ・グーレンです」
よく日に焼けた大柄なその男は、人懐っこそうな笑顔を浮かべてギルベルトに向かって手を差し出した。
ギルベルトとの挨拶を終えると、領主は大股でフレドのところへ近付き、呆気に取られているアスールの横でフレドをガバッと抱きしめた。
「久しいな、フレド殿! 健勝か?」
「ええ。ライ様も相変わらずのようで……。もうこのあたりで、勘弁して下さい。背骨が!」
「おっ? すまん、すまん」
ライは先程と同じ勢いでフレドから離れた。
「まあ、先ずは中へ入られよ」
そう言うと、ライは踵を返し、自ら先頭に立って勢いよく屋敷の中へと入って行く。
フレドが苦笑いを浮かべながらギルベルトにライの後を追うようにと手で合図を送っている。
屋敷内はその外観とは打って変わり、落ち着いた雰囲気の設だった。案内された広いドローイングルームには驚くほど大きな窓があり、そこからジェガの街と港が一望できる。
「凄い!」
思わずアスールの口から溢れた言葉に、ライは嬉しそうに目を細め、アスールの方に歩み寄ってきた。
「君は、確かフレド殿のところの次男坊だったね? まだ若いが、なかなか見る目はあるようだ」
そう言ってライはバシバシとアスールの背中を叩いた。それを見たフレドが苦笑いを浮かべている。
「ここから見えるのは、私の愛する自慢の街だよ。そうそう、向こうに島がいくつも見えるのが分かるかな?」
ライの指差す方向に大小様々な島がいくつも見える。
「遠い昔、私たちダリアの民はあの島々で暮らしていたんだよ。今はその子孫の殆どがこっちの陸地に移住してしまったけれどね」
ライの話によると、温暖な島はどこも多くの種類の果樹が自生していて、一年を通して食べ物に困ることは無いそうだ。その上、海も非常に豊かで漁に出ればいつでも沢山の魚がとれるとか。
但し一度大きな嵐が来れば海は荒れ、島から出ることは愚か、島の中に居ても命の危険に晒される年もあるそうだ。
だから今、島での昔ながらの暮らしを続けたいと思う者は段々と減っていっている、とライは語った。
「我らの先祖は元々、あそこに見える島々で、自然に逆らわず自然の恩恵を受け取りながら、自由気儘に楽しく毎日を暮らしていた。だから今でもここジェガには根っからのお調子者が多いってわけさ。もちろん、それは私も含めてね」
そう言って、ライは豪快に笑った。
「今宵は、皆様を歓迎しての晩餐会を準備しています。長い船旅でお疲れでしょうから、それまでしばらくお部屋でお寛ぎ下さい」
家令に促され、一行は一先ずそれぞれの部屋へと下がることにした。
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