27 予期せぬ先客
船がジェガ港に入って、一緒に乗っていた商人たちが我先にと下船する音が途切れてから随分経つ。アスールは特にすることも無く、ただぼんやりと一人船室の寝台に座っていた。
(……はあ。いつまでここでこうして居れば良いんだろう)
そんな風にただ漫然と時間を潰していると、それまで静かだった廊下を数人分の靴音が足速に近付いて来るのに気付いた。
「お待たせ、アスール」
扉を開けて船室に入って来たのはギルベルトだった。
そのギルベルトのすぐ後ろから、ずっと会いたかった懐かしい顔がアスールに向かって微笑んでいるのが見えた。
「先生! アーニー先生!」
「お久しぶりですね。殿下。お元気でしたか?」
アスールは寝台から勢いよく立ち上がると、エルンストの元まで一気に駆け寄った。
「僕は元気です。先生は? ああ、そうだ。姉上の結婚式の絵をありがとう。素敵な絵だって言って、ローザも凄く喜んでいて……。それに先生に会いたがってる。今回だって一緒に来たいって……」
「アスール!」
ギルベルトに声を掛けられて、アスールは自分が余りにも舞い上がっていたことに気付いた。
「お元気そうで安心しましたよ、殿下」
「先生も」
間もなく、フレドがダリオを連れて船室に入って来た。
アスール、ギルベルト、エルンスト、それからフレドの四人がソファーに座ると、もう直に下船するというのに、ダリオは四人分のお茶の準備をしはじめた。
「私は昨日の午前中にジェガに到着したのですが、昼間街を歩きていると、“とある国の王子がこの国を非公式に訪問している” という噂話を耳にしました。私は最初、てっきりその王子と言うのはギルベルト殿下のことを指しているのだと思ったのです」
「でも、違ったと?」
「はい。話を聞いていると、その王子は既に数日前に入国していて、お忍びで街歩きを楽しんでいたと言うのです」
その噂話をしていたのは、海岸沿いにある食堂の女主人で、前日その王子が店で昼食を食べていったと、客たちに自慢気に話していたそうだ。
「女主人の話では、どこの国の王子かは分からないが、一緒にいた二人の従者たちと王子はゲルダー語で会話をしていたそうです」
「ゲルダー語を話す国の王子ね……。あのようなホルク便をわざわざ寄越したと言うことは、他にも何か情報があるのでしょう?」
フレドは久し振りのエルンストとのやり取りを楽しんでいるようにも見える。
「はい。仰る通りです。王子が来店している時に居合わせたその店の常連客の話では、王子は金色の髪で、緑の瞳をした十二、三歳くらいの少年だったそうですよ」
そう言って、エルンストはアスールの方を見た。
今エルンストの口から出た “とある国の王子” の外見は、まるでアスールのことを言っているかのようにも聞こえる。
「まさか、その王子……」
それまで楽しんでいるように見えたフレドの顔が急に曇った。
「ええ、おそらく例の王子のことでしょう」
「まず間違いなくそうだろうね。それにしても、困ったな……。非公式とは言え、何もこのタイミングでこの国に来ているとはね。でもまあ、考えようによっては、先にこの情報を掴めたのは幸いとも言える。さてと、どうしたものかな……」
フレドはガシガシと頭を掻いた。
ギルベルトが一切発言しないので、アスールも黙って話を聞いていたのだが、どう考えても話の内容はアスール自身に関することだ。
その上、例の王子と言うのはロートス王国に居る(自分では無いもう一人の)レオンハルトのことで間違い無いだろう。
「一つ提案があるのですが」
「ほう。どんな提案かな? エルンスト」
「アスール殿下を侯爵の息子さん、ルシオ君に仕立てるというのはどうでしょう?」
「「ルシオに?」」
アスールとフレドの声が揃った。
「今回は、アスール殿下は未成人と言うこともあって、ギルベルト殿下とは違い “陛下の名代” を務める訳でも、調印式等の公式な会合に参加する訳でもありませんよね?」
「確かに。そのような予定は無いね」
「でしたら、殿下は今回は急に来られなくなったことにしてしまえば良いではないですか」
「それで?」
「侯爵家からは今回長男のラモス殿が訪問団の一員で参加していますよね。次男のルシオ君が一緒に居てもそれ程違和感は無いのでは?」
「そうか? 違和感……。うーん、本当にそうか?」
アスールの目の前で、アスールを置き去りにして話はどんどん進んで行く。
「実は、こんな物も用意して参りました」
そう言って、エルンストはテーブルの上に紙袋を一つ置いた。
フレドは包みを手に取り中身を確認していたが、中に何が入っているのかよく分からなかったようで、テーブルの上で紙袋をひっくり返した。
「うわっ」
「えっ!」
紙袋から出て来たのは明るい栗色の鬘だった。それもご丁寧にかなり癖の強いルシオの髪に似た鬘だ。
「物理的にも仕立て上げるのです。流石に瞳の色を変えることはできませんが、髪の色が違うだけで随分と人の印象は変わって見える筈ですよ」
エルンストはアスールに向かってウィンクをする。
皆の視線がアスールに集まっている。アスールは覚悟を決めて恐る恐る鬘に手を伸ばした。
「殿下。私が御手伝い致しましょう」
ダリオはそう言うと、アスールよりも先に鬘を手に取った。
それから、前後左右上下に至るまで全てを隈無く確認しおえると、鬘をスポっとアスールの頭の上に被せ、櫛を取り出して手際よく全体を整えていく。
「へえ、凄いね。全然違和感無いよ、アスール。似合ってる。ルシオに見えなくも無い、かな」
「うちの息子より遥かに品の良さそうな “ルシオ” が完成しましたね」
ギルベルトもフレドもアスールの顔を見て顔がニヤける。
「何? もしかして変なの?」
「変では御座いませんよ。皆様、見慣れないだけで御座いましょう」
ダリオは微笑みながら、手鏡を取ってアスールに手渡した。
鏡の中に自分では無い自分が居る。ルシオでは無いが、アスールでも無い。でも、癖の強い栗色の髪はまさしくルシオのそれだ。
「よくこんなにルシオっぽい鬘を手に入れられたね」
クセが強すぎて、すぐにあっちこっちを向いてしまうルシオの髪そのものだ。
アスールはこの変装生活が無事に終了しても、この鬘は絶対にクリスタリアまで持って帰ろうと心に決めた。こんな面白い品、何があっても皆に見せねばならない!
「お気に召しましたか?」
エルンストがまるで心中を見透かしたかの様な顔をしてアスールを見ている。
「まあまあかな。それで? 僕はこの国に滞在中ずっとルシオとして過ごしていれば良いの?」
「そうですね。どこにロースト王国の関係者が居るか分からない状況ですし、その方が安心だと思います」
「分かったよ」
「今のところ分かっているのは、あちらは王子と、王子の護衛らしき騎士との常に三人組で行動しているということだけです」
「……護衛がたったの二人? 他にも近くに配置しているだろう?」
「まあ、その辺りに関しては今配下の者たちに探らせております」
「ふぅん。配下の者たちね……」
フレドはニヤニヤ笑っている。
「それはさて置き、殿下のお支度も整った様ですし、そろそろ下船致しましょう」
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