24 船倉の小さなネズミ(1)
桟橋に戻ると、そこには大量の荷物が並べられていた。
後二日でタチェに到着すると言っていた割には、荷が多過ぎるような気もする。そんなことを考えながらアスールがぼんやりと荷物を眺めていると、ジルが近付いて来た。
「どうかしたかい?」
「ここであんなに食材を買う必要があったのかな、と思って。後二日でタチェには到着するって言ってたのに」
「海の上では、いつ何が起きるか分からないからな。嵐が来るかもしれないし、もしかすると、海賊だって来るかもしれないだろう?」
そう言ってジルは笑った。来たって、返り討ちにできるだろうに。
「まあ、備えあれば憂いなしってことだ」
そんな風に喋っている間に、二艘の筏がやってきた。桟橋にあった大量の荷物は見る間に筏へと積み込まれていく。
あんなに積んだら今度こそロープが切れて、筏と一緒に荷物が海に沈んでしまうのではないかと心配になる。
「ねえ、やっぱり僕たちもあの筏に乗って船まで戻るんだよね?」
「あれに人まで乗ったら、流石に重量オーバーだろ。荷下ろしをしてから戻って来るから、心配しなくても、俺たちはそれからだ。それに、まだ一人揃って無いしな」
「そうなの?」
「ああ。……あっ、来た、来た」
ジルの視線の先に目をむけると、フード付きの長いマントを着た人がこちらに向かってゆっくりと歩いて来るのが見えた。
その人物はジルの方へ軽く手をあげ合図を送り、アスールたちに向かって会釈をすると、アスールたちとは少し距離をおいた場所に腰を下ろした。
目深に被ったフードを取るつもりは無いようだ。
しばらくすると、二艘の筏が荷下ろしを終えて戻って来る。
そのうちの一艘に全員が乗り込み終えると、筏は再び商船に向かってゆっくりと動き出した。
「お疲れ! 首尾はどうだ?」
ジルがフードの人物に話しかける。
「そうね。まずまずってところかしら」
ジルが諜報員を拾うと言っていたので、てっきり男性なのかと思い込んでいたのだが、聞こえて来たのは予想に反して女性の声だった。
ギルベルトとフレドも同じようにその声に反応したので、男性だと思っていたのはアスールだけでは無かったようだ。
商船に戻ると、船に残され暇を持て余していた人たちが、デッキへと集まって来た。
先に運ばれた荷物は船員たちによって既に片付けられているようで、アスールたちが乗り込み終えると、直ぐに船は最終目的地であるタチェへ向け舵を切った。
ー * ー * ー * ー
「ここまで来れば、もうこれも脱いじゃって良いわよね?」
船がサスランを離れてしばらく経った頃、そう言ってジルに確認を取った後で、女性はフード付きの長いマントを脱ぎ捨てた。
マントの下から姿を現したのは、“諜報員” と言うよりはむしろ “酒場の女主人” といった雰囲気の人だった。デッキ上に居合わせた商人たちの視線がものの見事に彼女に集まっている。
アスールが余程驚いた顔をしていたのだろう。女性はアスールに向かってニッコリと微笑んだ。
「お初にお目にかかります。ヒルダ・クランです」
「クラン?」
「ええ。ジル・クランは私の兄なんです」
「おや。お姉さんでは無く、妹さんでしたか」
フレドが呟いた。慌てた息子のラモスが空かさず肘鉄を喰らわせる。
こういう感じで不用意な発言をしちゃうところは、やっぱりフレドとルシオは親子なんだなと思い、アスールは笑いたいのを必死に堪えた。
「今の発言は私が老けて見えると言うことでは無く、私の変装をお褒め下さったのだと解釈させて頂きますね」
ヒルダも負けていない。
「それより兄さん。ここは日差しが強すぎるわ。できれば中に入ってから話したいのだけれど」
「そうだな。じゃあ、中へ入ろう」
アスールは特に今日の日差しがいつもに比べて強いとは思えず、空を見上げた。
「そうじゃ無い。聞かれたく無い話があるって意味だと思うよ」
ギルベルトがアスールに耳打ちする。
周りから興味深気な視線を送っていた人たちをその場に残して、五人を引き連れたジルは船室へと移動した。
アスールたちの部屋程では無いが、ここもかなり立派な設えの部屋だ。椅子が足りないので、ジルとヒルダは寝台に腰を下ろした。
「はあ。兄さんの直感も随分と衰えたようね」
ヒルダが大きな溜息を吐いた。
「……小さなネズミが一匹紛れ込んで居るわよ」
「冗談だろ?」
「まさかとは思うけど、本当に気付いていなかったの?」
ヒルダはジルを横目で睨んでから、もう一度、今度は前よりも更に大きな溜息を吐いた。
「桟橋へ向かう途中、町の子どもたちが海に向かってやたらと騒いでいる所のに出くわしたのよ。その子たち、何をしていたと思う? 長い棒を握りしめ、縁から身を乗り出すようにして海面に浮かんでいる大量のリンゴをかき集めていたわ」
突然始まったヒルダの脈略の無い話に、ジルを除いた四人がポカンとしてヒルダを見つめている。
「まさか!」
「ええ、そう。随分と値の張りそうな、凄く立派なリンゴだったわよ」
ガタンと大きな音を立てて立ち上がったジルの顔色は、気のせいか青褪めて見える。
「悪い。ちょっと確認して来る」
ジルはそう言うと、衣装ケースの上に置いてあった剣を手に取った。
「待ってよ、兄さん。言ったでしょ、小さなネズミだって。余り怖がらせないでよ」
「ああ。一応努力はするよ」
ジルは勢いよく部屋から飛び出すと、呆気に取られているアスールたちを部屋に残して、あっという間に船倉へと続く階段を駆け下りて行った。
「興味がおありでしたら、様子を見に行きますか?」
そう言ってヒルダは楽しそうに笑っている。なんとも掴み所の無い人だ。
「折角ですから、お言葉に甘えて船倉見学でもさせてもらいましょう」
そう言ってギルベルトが立ち上がる。こちらの王子もやはり笑顔を浮かべている。アスールたちも立ち上がった。
アスールたちが階段を下りていると、更に下の方で、何かが倒れるような大きな音がした。
「きゃあ」
大きな音に続いて小さな悲鳴も聞こえて来る。
薄暗い中、急いでその悲鳴のした方へ向かうと、ジルの足元に麻袋のような塊っぽいものが落ちている。ジルはその麻袋に向かって、部屋から持ち出した剣を突き付けていた。
「兄さん!」
ヒルダの声にジルが振り返る。ジルの足元の塊がほんの少し動いたように見えた。
「おい、動くんじゃ無い!」
ジルの口から出たのは、アスールが今までに聞いたこともないくらいに恐ろしい程冷たい声だ。剣はピタリと突き付けたままである。
「兄さん。剣を下ろして」
ヒルダが再びジルに声をかける。落ち着いた、どこか温かみのある声だ。
ヒルダはジルの足元の塊に向かって、今度はローシャル語で何か話しかけている。ヒルダが言っている内容は分からないが、その口調が優しいことだけはアスールにも理解できる。
ジルが剣を引くと、塊はゆっくりと動いて、薄汚れた麻布から女の子が顔を出した。
「あっ!」
アスールは思わず息を呑んだ。
床に這いつくばって居たのは、アスールの声に驚きコインをばら撒いていたあの少女ではないか!
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