23 壁に囲まれた町サスラン
ジルが「一緒に連れて行くように」とアスールに言った二人は、どうやら荷物の運び役として下船したアルカーノ商会の船乗りのようだ。
「屈強そうな護衛が殿下たちのお側に居るのでしたら、何も私が散策に付き合う必要は無さそうですね。私はジル殿と一緒にこの店に残ります。余り羽目を外さずにお戻り下さいね」
そう言って、フレドはジルと共に店に残った。
歩いてみて分かったが、ここローシャル国のサスランは本当に特殊な町のようだ。
筏の上でジルから聞かされたサスランの町とローシャル国に関する情報を、アスールは頭の中で思い返していた。
そもそもローシャル国は非常に閉鎖的な国で、国境を接する隣国とですら国交を結んではいない。唯一そんなローシャル国と友好関係にあるのがノルドリンガー帝国と言われている。これに関しては、昨年、学院の授業でも教わった。
ローシャル国は、頑なに隣国との交流を拒み、自国の情報に関してはひた隠しにしているらしい。
だが、どんな国であっても他国との交易無しに国は成り立たない。その交易の為には、当然外貨を稼ぐ必要がある。その外貨を稼ぎ出すためにあるのが、ここサスランという町な訳だ。
ローシャル国は、ここサスランに船乗りが欲しがるものを全て取り揃えている。
清潔な宿、温かい食事、美味い酒、新鮮な水や食材、船を修理するためのロープや木材などなど。航海に必要なものならば、船乗りはたとえ相場より高値でも言い値で買うしか無い。そうやって外貨を稼ぐ。
だが、サスランに上陸することはできても、ローシャル国に入国できるわけでは無い。サスランはローシャル国であっても、まだローシャル国では無いのだ。
町をぐるりと囲むあの壁が他所者の入国を許さない。そして、壁はただ高いだけでない。所々に監視の為の塔らしきものまで備えている。
ジルの話では、あの壁のどこかにあるたった一つしか無い門を通過できるのは、特別な許可証を持つ、極限られたローシャル国民だけらしい。
信じ難いことだが、サスランの町に暮らす人の大多数が外貨を稼ぐ為の小売人で、彼らはこの狭い壁に囲まれた町で暮らし、この町から一歩も出ることなく一生を終えるそうだ。
これだけ特殊な町は、おそらく他にはそうそうは無いだろう。
「アスール。母上とローザへのお土産に、これなんかどうだろうか」
ギルベルトが手にしていたのは、薄紫色の綺麗なリボンは結ばれているが、どう見ても何の変哲も無い小さなただの袋にしか見えないものだった。
「兄上、それは……いったい何ですか?」
「まあ、良いから。ちょっとこっちに来てご覧」
アスールが近寄ると、ギルベルトは手に持っていた小袋を突然アスールの顔の前に差し出した。
「うわぁ」
アスールは驚いて一歩後ろへ下がる。
「あれ?……なんだが良い香りがしますね。その小袋からですか?」
「そう。これはサシェって名前なんだって。乾燥させた花が入ってるそうだよ」
ギルベルトが見ていたのは “香り” に関係する商品を取り扱う店のようだ。『香木堂』と書かれた看板が出ている。
店頭に並べられているサシェはどれも手頃な価格帯の品のようだが、店の奥には、美しい細工の施された金属性の香炉や、色鮮やかな焼き物でできた香炉、どう見ても値の張るだろ香木がずらりと並べられている。
「中で支払いをしてくるから、アスールはここで待っていて良いよ」
ギルベルトはサシェを二つ手に取ると、アスールと護衛の二人を残して、一人店内へと入って行った。
ギルベルトを待つ間アスールが店先に並べられている商品を眺めていると、アスールの横をすり抜けて、自分と同じ年齢くらいの少女が一人店内へと入って行くのに気付いた。
少女が通り過ぎた後を、その少女の見た目とは余りにも不釣り合いな、大人びた甘ったるい香りが追いかけていった。
そのアンバランスさに違和感を感じたアスールが店内に目をやると、少女は慣れた様子で香木をいくつか買い求めている。
その時、アスールは突然何かを思いついたように目の前の籠の中からサシェを一つ掴み取ると、店の扉を開けて急ぎ足で店内へと入り、ギルベルトに向かって声をかけた。
「兄上、お待ち下さい! 姉上にも同じ物を差し上げるのは如何でしょうか」
アスールの声に驚いたのだろうか? ギルベルトの手前に立っていた少女が、アスールの方を振り返ると同時に、手に持っていた財布を下に落とした。
派手な音を立てて、コインが床一面に散らばった。少女は慌てた様子でコインを拾い集めている。
アスールも足元に転がってきた数枚のコインを急いで拾いあげると、黙って少女にそのコインを手渡した。
少女は無言でコインを受け取りながら、奇妙なことに、アスールの顔を食い入るように見つめてくるのだ。
アスールは思わず苦笑いを浮かべた。
「アスール、サシェをもう一つ買うの?」
なかなか来ないアスールに、痺れを切らしたギルベルトが声をかけてきた。
「はい。アーニー先生にお願いすれば姉上にも渡して貰えるかもしれないと思って」
「ああ、そうだね。良い考えだよ。ヴィスマイヤー卿に頼んでみよう!」
アスールはギルベルトに持っていたサシェを手渡し、ギルベルトは追加でもう一つ分の代金を店員に支払った。
次にアスールが気付いた時には、少女は既に支払いを終え、店を出た後のようだった。
サシェを買った後も、ギルベルトとアスールの二人は大通りにある数軒の店を見て歩いた。
そのまましばらく歩いて行くと、どこからか覚えのある香りが漂ってくる。アスールはその香りに誘われるように脇道へと足を一歩踏み出した。
「お待ち下さい!」
強い力で腕を掴まれ、アスールは大通りへと引き戻された。見れば、アスールの腕を掴んでいるのはジルがつけてくれた護衛のうちの一人だ。
「ここより先は、お二人が足を踏み入れて良い場所ではありません」
昼間なので気付かなかったが、脇道を進んだ先にあるのはどうやら “花街” のようだ。甘ったるい香りが風に乗って漂って来ている。
(ああ、これ。やっぱりさっきの子からしたのと同じ香りだ)
「ここより先は、例え昼間であっても余り治安が良い場所とは言えません。そろそろジル殿の待つ店へ戻りましょう」
「何か良いものは見つかりましたか?」
店へ戻るとジルとフレドが笑顔で出迎えてくれた。
「ローザたちにお土産を買いました」
「ああ、それは良かった」
既に商談は終わっているようだが、店主を含めた三人はお茶を飲みながら話を続けている。まだしばらくかかりそうだ。
店の使用人らしき女性がお茶とお菓子を運んで来て、四人に席を勧めた。ギルベルトとアスールは進められるまま、ソファーに座ってお茶を飲むことにした。
女性が運んできたお茶は、今まで飲んだことの無い不思議な香りのするお茶だった。決して不味くは無いが、慣れない味にアスールは早々にカップを置いた。
護衛の二人は席には座らず、立ったまま、戸惑う様子も見せずにあっという間にお茶を飲み干した。
先程の様子から、町の位置関係も完全に把握しているようだし、おそらくこの店にも何度か足を運んだことがあるのだろう。単なる荷物運び要員とも思えない。
「では、そろそろ船に戻りましょうか」
そう言ってジルが立ち上がった。
ジルは店主に別れの挨拶をすると、元来た道を船着き場へ向かって歩き出す。
「ねえ、荷物は? 買い物をする為に下船したんだよね? それに誰か拾うって言ってなかった?」
「ああ、それならもう全て揃ってますよ。行けば分かります」
そう言うとジルは白い歯を見せて笑った。
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