22 タチェ行きの船
「タチェ自治共和国の港ジェガまで、何事も無く無事にこのペースで進めれば後三日と言ったところですね」
そう話すのはジル・クラン。
オルカ海賊団の頭領ミゲル・オルケーノ船長の右腕であり、海賊団主船の副船長だ。だが今回ジルは海賊船の副船長としてでは無く、アルカーノ商会のテレジア本店 “副支配人” という立場でこの船に乗っている。
「前にタチェの港までは一週間はかかると父上から聞いたのですが、後三日で到着ですか?まだヴィスタルを出て二日。全然計算が合わないですよね?」
「ギルベルト殿下。船が違うんですよ」
ジルは白い歯を輝かせて、得意気に笑った。
王立学院が夏季休暇に入ると直ぐに、クリスタリア国王カルロの名代として第二王子のギルベルトを団長に立てた一向がヴィスタルを出港した。
主なメンバーとして、ギルベルトとアスールの他、条約締結のため王宮府からフレド・バルマー侯爵を含めた役人が十名選抜された。その中にはバルマー侯爵家長男のラモスの姿もある。 更に、今後両国の交易の担い手となるクリスタリア国の三つの有力商会から、それぞれベテラン商人が計十名乗船した。そのうちの一人がジル・クランだ。
それ以外にも、全体の護衛のための騎士が二十名。ギルベルトの側仕えのフーゴ、アスールの側仕えのダリオ、料理人や医師など、かなりの人数がタチェ行きの船に乗り込んでいる。
今回はアルカーノ商会が、この最新鋭の大型商船と乗組員を提供してくれた。
「この船は例のあの船同様、海の上を速く進む事を一番の目的に造られた特別仕様の大型船です。豪華さや快適さでは王家の船には到底太刀打ちできませんが、速さにかけてはこれ以上の船にはそうそうお目に掛かれないと自負しております」
なんだかジルの喋り方が、島に居た時と違う。この喋り方が商人ぽいのかどうかと聞かれてもアスールには分からないが、どうにも違和感があって変な感じがする。
「殿下、言いたいことは分かります。だけど、そのニヤケ顔で俺の事をじっと見つめるのは……できれば止めてくれ」
ジルはすれ違い様、アスールの耳元で他の人には聞き取れない様な小さな声で囁いた。
船の旅は、想像していたよりもずっと快適だ。多分それは、乗っているのがこの船だということもあるのだろう。
ギルベルトとアスールに割り当てられた船室はとても上等な部屋だったし、今のところ海は穏やかで揺れも少ない。
食事も船の中で調理しているとはとても思えない程美味しい物が毎回提供されている。
ジルと船長が何か話し込んでいる。それが終わると、ジルはこちらへ向かって歩いて来た。
「明日の朝、ローシャル国の港に立ち寄ります。数時間しか寄港しませんが殿下たちお二人も、良ければ私と一緒に下船してみますか?」
「良いのですか?」
「構いませんよ。ですが下船すると言っても、のんびり街を散策している暇はありません。それと、船を降りられるのは限られた人数だけです。護衛騎士は付けられませんが」
ジルの話を一緒に聞いていたフレドがギルベルトに向かって小さく頷いた。
「僕とアスールと、それからここに居るフレド・バルマー侯爵の三人で下船します」
そう言ってから、ギルベルトはフレドを改めてジルに紹介した。乗船初日にざっと全員が自己紹介はしているが、まだ親睦を深める程ではなかったようだ。
「はじめまして、バルマー侯爵。ジル・クランと申します。侯爵の御高名はかねがね承っております。以後お見知り置き下さい」
「こちらこそ。ところで、どう言った理由でわざわざ我が国とは国交の無いローシャル国の港へ船を着けるのか、お聞きしても構いませんか?」
フレドがジルに質問した。
「位置的には、ここは丁度中間点。皆様方のお食事用に新鮮な肉と葉物野菜をローシャル国の港で仕入れる予定です。それから、うちの諜報員を一名拾います」
ー * ー * ー * ー
船はローシャルの港に着岸はせずに、港内に錨を下ろして停泊した。
「こんなところに錨を下ろすのですか?」
「もうすぐ迎えが来ますよ。船はここに残して、ローシャル国へ上陸する者だけ迎えに来た小船に乗り込みます。ほら、あれです。こっちに向かって近付いて来ているのが見えるでしょう?」
確かにジルが指差す方向から、小さな船が近付いて来る。船と言うよりは……あれはどう見ても唯の筏だ。
最新鋭の大型商船の真下に横付けしたのは、丸太を縄で縛っただけと言っても良いくらいの酷く簡素な作りの筏だった。
「本当にあれに乗って? 無事に岸まで辿り着けるのですか?」
フレドが下を覗き込みながら不安を口にした。
「大丈夫ですよ。私はあの類い筏のロープが切れて海に投げ出された経験は、まだ一度もありませんから」
そう言ってジルは笑っている。フレドの笑顔が凍りついた。
「どうされますか? 下船は取りやめますか?」
「僕たちはあれに乗っても構わないよ。ねえ、アスール?」
「はい、兄上。侯爵はこの船に残りますか?」
「いいえ。私もお供しますよ。例え縄が切れたとしても、私は泳ぎは得意ですからね」
実際に降りてみると、筏は思いの外大きく頑丈そうだった。これならロープが切れて海に放り出される心配は無さそうだ。
その上、港内は波も殆ど無いに等しいので、然程揺れることも無く、筏は無事に桟橋に到着した。
ここはローシャル国内でも大きくは無い港町のようだが、それなりに活気はある。筏を降りたアスールたちはあっという間に港の小売人たちに取り囲まれた。
「新鮮な果物は如何?」
「このレースのハンカチをお土産に買っておくれよ」
「折角船を降りたんだ、温かい食事はどうだい?」
大型商船に掲げられたアルカーノ商会の商会旗とクリスタリア国旗を見た小売人たちは、ここが儲け時と思ったのだろう商魂たくましく、辿々しくはあるが皆クリスタリア語で話しかけてくる。
「ああ、悪いけど俺たちは何も買う気は無いよ! さあ、退いて! 道を開けて通してくれ! もう向かう店は決めてある」
ジルが声を荒げると、集まって来ていた小売人たちは不満気な表情を一様に浮かべて、呆気に取られているアスールたちを残してあっという間に去って行った。
「ここサスランは小さな町で、これと言った産業はありません。港に停泊する船から降りてくる客に、さっきみたいに寄ってたかって商品を売りつけようとするんです。ほら、次のお客が到着したみたいですよ」
ジルが指差す方を振り返ると、さっきまでアスールたちに群がっていた一団が商品を手に、近付いて来る筏を待ち構えている。
「あはは。良いものを見せて貰ったよ」
ギルベルトがそう言って楽しそうに笑っている。アスールも釣られて笑った。
ジルに連れられて入った店の中には、新鮮な食材が山のように積まれていた。支払いを終えた先客が店を出て行くと、それを追い掛けるように沢山の木箱が運び出されて行く。中には沢山の野菜や果物が入れられている。
「肉や魚は隣の店ですよ」
アスールがキョロキョロ辺りを見回しているのに気付いたジルが、今歩いて来た道の更に奥を指差した。
「私はここで少し商談がありますので、その辺りを見て回りたいようでしたら、この者たちをお連れ下さい。腕は確かです」
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