18 この夏の計画
「お疲れ様。アスール」
「随分と疲れた顔をしているけど……大丈夫?」
「はは。まあ、なんとかね。今日は生徒が僕一人だけだったから、ずっと侯爵の質問攻めで参ったよ」
今日は、すっかり週末恒例となっているバルマー侯爵による勉強会の日だ。
勉強会は今日のように生徒がアスール一人だけの時もあれば、一緒にタチェ自治共和国を訪問する予定のギルベルトとラモス・バルマーが一緒の時もある。
三人居ればまだしも、一対一の授業はなかなか辛い。
今までに一度だけ、侯爵の都合で勉強会が中止になったこともあったが、その時以外は毎回きっちり優に二時間を超える講義が行われる。それも今日でなんとか五回目が終了した。
「それで? そっちはどうだったの? 乗馬は楽しかった?」
アスールがバルマー侯爵の抗議を受けている間、ルシオ、マティアス、レイフの三人は王宮の馬場で乗馬のレッスンを受けていたのだ。
「僕とレイフは今日が初めてだったから、馬房で馬に触らせてもらって、馬具の扱い方を一通り習ってから、馬を引いて馬場まで連れて行ったよ。それから馬に乗って……と言うかどちらかと言えば初めは乗せてもらってって感じだったけど、その後は馬から降りた」
アスールはルシオが続きを話すのを待っていた。だが、どうやらルシオの話はここで終わりのようだ。
「ええっ? まさか、乗って降りただけなの?」
「そう。そのまさかだよ」
アスールは驚いて、訳を知っていそうなマティアスの方を見た。
「二人の指導役をフェルナンド様が買って出られたんだ……」
「お祖父様が?」
「ああ。だから、なんだか騎馬隊に所属する新兵の訓練みたいになっちゃって……。あの二人、乗って下りてをひたすら繰り返し練習させられてたよ。次回は常歩訓練から軽速歩訓練をするとフェルナンド様が最後に仰っていた」
そう言われてよく見れば、ルシオもレイフもなんだかひどく疲れた顔をしている。
「マティアスは何をしていたの?」
「僕は適当に馬場を走らせて貰った。フェルナンド様は二人の訓練で手一杯のようだったしね」
そう言いながら、マティアスは何かを思い出したのか急にお腹を抱えて笑い出した。
「どうしたの? 急に。大丈夫?」
「ごめん! 思い出したら可笑しくて」
フェルナンドの掛け声に合わせて、ルシオとレイフの二人が馬に乗ったり降りたりをひたすら繰り返させられている姿を思い出したらしい。
「マティアスは良いよね。僕ら二人を生贄に差し出してさ、自由に馬を走らせる権利を手に入れたんだ」
そう言いながらルシオは机に突っ伏した。
「生贄って……」
「もう身体中あちこち痛いよ」
レイフはそう言って腕をグルグル回している。
「明日は早朝からフェルナンド様の剣術特訓をうけられるのか。なんだか凄く久しぶりだな」
ぐったりするルシオとレイフを横目に、マティアスは楽しそうだ。
「……マティアスは本当にフェルナンド様に心酔してるよね。あの地獄の特訓を前に目を輝かせるとか……正気じゃないよ」
「ルシオはそのお祖父様の特訓から、ここ最近ずっと逃げ回ってたもんね」
「できるなら今回も逃げ切りたかったよ。でも馬にも乗ってみたかったし……」
先日アスールから、王宮の馬場で馬に乗れるかもしれないという話を聞いたルシオは、喜び勇んでアスールの帰城に付いてきたのだ。
「それで、乗馬に釣られて参加してみたら、剣術だけじゃなく、乗馬の方もお祖父様が指南役だったわけか」
ルシオの中で、フェルナンドとの早朝訓練の辛さよりも、はじめての乗馬への期待の方が遥かに上回ったのだろう。
まさか乗馬の方にまでこんな試練が待っていようとは……思ってもいなかったに違いない。
「アスール。笑い事じゃ無いからね!」
「でも、最初が肝心! って言うしさ。僕もマティアスみたいに、早く馬に乗って走り回れるようになりたいよ。頑張ろうよ」
レイフがフォローを入れる。
「レイフって、意外と前向きだよね……。既に身体中バキバキ言ってるのに、明日は朝から地獄のような訓練が待っているんだよ。ぐぁーー」
最後はよく分からない叫び声を上げて、ルシオは再び机に突っ伏した。
「ねえ、ところで今年の夏季休暇なんだけど……皆の予定はどうなっているの? アスールがタチェ自治共和国に行くってことは分かってるけど、マティアスとルシオは? もう何か予定が入っていたりする?」
気を取り直そうとしたのか、レイフが明るい声で二人に尋ねた。
「あー。僕は今度の夏季休暇もオラリエ領に帰るよ」
「やっぱり? まあ、そうなるよね。マティアスは長期休暇の時にしか家族に会えないもんね」
マティアスは王都ヴィスタルから最も遠い地域から来ているのだ。移動にかなりの日数を要するため、毎年前期の授業終了と同時に、家族の待つオラリエ領へ向け学院を出発しなくてはならない。
戻って来るのも毎年後期の授業が始まる直前になる。
「ルシオだってそうじゃないの? テレジアに帰らなきゃ家族に会えないでしょ?」
レイフが机に突っ伏したまま、顔だけを上げて二人の会話に参加した。
「うちの場合は、ヴィスタルにある店の方にも両親は定期的に顔を出しているからね。特に母親とは、割と頻繁に顔を合わせているよ」
「へえ、そうだったんだ」
寮が違うので知らなかっただけで、レイフは月に一、二度は、アルカーノ商会のヴィスタル支店が入っている建物の上の階にある家へと帰っていたようだ。
「それで? どうしてレイフは僕たちの夏の予定を知りたがっているのさ」
「今年も誰か島に遊びに来てくれないかなと思って。ほら、一昨年はアスールとルシオ、去年はアスールとローザ様と、ギルベルト殿下の三人が島へ来て勉強部屋の先生をしてくれたじゃない。チビたちが期待してるらしいんだ。今年の夏季休暇の間も、僕が誰かを連れて島へ帰って来るんじゃないかっ……」
レイフが最後まで言い終えないうちに、ルシオが椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がった。
「行く! 行く! 行きます! ルシオ・バルマー、今年は絶対に参加します!」
ルシオは右手を高く上げ、大きな声で決意表明をした。
「勉強部屋の先生として、もしも僕だけじゃ心許ないってレイフが言うんだったら、妹のカレラも一緒に連れて行くよ! レイフも知っているよね? カレラ。去年の入学式で挨拶した子」
「うん。覚えてるよ」
「ギルベルト殿下やアスールには及ばないかもしれないけど、カレラも一応入学からずーっと主席をキープしているからね」
ルシオは自分の事ではないのに、妙に胸を張って息巻いている。カレラ本人の意思も確認せずに、どんどん話を進めようとしているのだ。
「待って、待って!別に今すぐ決めなきゃいけない話じゃないから、ルシオ、ちょっと落ち着いてよ!」
呆れ顔のマティアスが、ルシオの腕を引っ張って、ルシオを椅子に座らせた。
「ねえ、アスール。ローザ様はどうかな? タチェ自治共和国には行かずに、一人クリスタリアに残るんだろう?」
「ローザ? ローザか……」
アスールはパトリシアの体調が芳しく無いことを友たちに伝えて良いものなのか、一瞬躊躇した。
だが、今黙っていたところで夕食の席にパトリシアが出て来なければ、どうせ直ぐに分かってしまうことなのだろう。
「実は、母上の体調があまり良く無いんだよね。……多分ローザは休暇中も王宮に残るか、出掛けるにしても、ハルンにある夏の離宮までになるんじゃないかな」
「えっ。そうなの? パトリシア様、大丈夫なの?」
真っ先に反応したのはルシオだった。流石の情報通のルシオにも、王妃の体調不良までは伝わっていなかったようだ。
「ずっと寝込んでいるとかじゃないから、心配要らないよ。夕食には出て来られないと思うけど」
「そうなんだ……。だったらこの話はローザ様に伝えない方が良いね」
「確かに、そうかもしれないね」
この話が耳に入れば、きっとローザは今年も島へ行きたがるに違いない。
「パトリシア様の体調が良くなることを願っているよ」
「ありがとう、レイフ」
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