14 ローザとパトリシア
「タチェに行くのはギルベルトとアスールの二人だけだ」
「どうしても駄目ですか?」
「どうしても駄目だ!」
週末。アスールと共に王宮へ戻ったローザは馬車寄せからカルロの執務室へ直行し、自分も二人の兄たちと一緒にタチェ自治共和国に行きたいとカルロに直談判したのだ。
案の定カルロの許しを得ることはできず、ローザはガックリと肩を落としながらパトリシアの寝室へと入って来た。
「おかえりなさい、ローザ」
ローザは泣きそうな顔をして、パトリシアのベッドへ駆け寄ると、そのままベッドに座っているパトリシアに抱きついた。
「お母様、ただいま戻りました」
「まあまあ。赤ちゃんに戻ったみたいね。私の可愛い小さなローザ。ほら、顔を見せて」
「もう、小さくはありませんわ」
ローザはパトリシアにしがみついたまま顔だけを上に向ける。パトリシアはそんなローザの額に、優しくキスを落とした。
「“小さい” は駄目なのに “可愛い” は否定しないんだな……」
ベッド脇に立っていたアスールがローザには聞こえないような小声でボソリと呟いた。そのアスールの脇腹をギルベルトが肘で軽く小突く。
「お母様、私はタチェ自治共和国へは行っては駄目なのですって」
「ローザはまだ十一歳でしょう? 他所の国を訪問するには、まだ少し早いと思うわ。それに今回はカルロは同行しないのよ。許して貰える筈は無いって、本当は貴女も分かっていたのでしょう?」
どうやらパトリシアの指摘は正しかったらしく、ローザはまたパトリシアの胸に顔を埋めた。
パトリシアは相変わらず寝たり起きたりを繰り返しているようで、顔色も冴えない。
「ローザ。そんな風にずっとしがみついていては、母上がお疲れになってしまうよ」
ギルベルトがローザのための椅子をベッドの脇に引き寄せながら、優しい口調でローザに話しかける。ローザは渋々といった感じでパトリシアから離れ、椅子に腰を下ろした。
「大丈夫よ、ギルベルト。今日はこうして久しぶりに三人の顔を見られたせいかしら、なんだかいつもよりもずっと気分が良いわ」
パトリシアの寝室に、久しぶりに家族の明るい話し声が響き渡っている。
「ねえ、お母様。お夕食はどうなさるのですか?」
「そうね……私はここで簡単に済まそうかしら」
ダイニングルームに行って食事をするためには、パトリシアは今着ている部屋着から別の衣装に着替えをしなければならない。今のパトリシアにはとてもそんな余力は無いのだろう。
それに、皆と同じものを食べられるとも思えない。
「でしたら、私の分をこの部屋に運んで貰って、私もここでお母様とご一緒してもよろしいですか?」
「それは駄目だよ、ローザ」
間髪を入れずギルベルトがローザの提案を否定した。
「どうして駄目なのですか?」
「そんなことをしたら、お祖父様も自分の食事を持って、この部屋に乗り込んで来てしまうだろう? そんなことになったら使用人が困ってしまうよ」
至極真面目な顔をしてギルベルトがそう言うので、ふふふっとパトリシアが楽しそうに笑い出した。
「そうね。それはとても困るわね。ローザは夕食は皆とダイニングでお食べなさい。今日だって貴女たちは戻って来ているのに、まだお義父様に顔を見せていないのでしょう?」
そんな話をしていると、そろそろ夕食の時間だと告げるために使用人がやって来た。
「では、夕食が終わったら、またお母様のお部屋に戻って来てもよろしいですか?」
「ええ。もちろんよ。待っているわ」
ローザはパトリシアに抱きついてから、パトリシアのベッドの上で眠っているレガリアを抱き上げようと手を伸ばした。
「ローザ、我はダイニングへは行かずに、この部屋に残る」
「あら。どうして?」
「我は食事をするわけでは無いからな。お前は夕食が終われば、また直ぐにここへ戻って来るのであろう? ならば、このままここで昼寝でもして待っておる。我に構わず行って来い」
「そう?」
ローザがパトリシアに視線を向けると、パトリシアは笑顔で頷いた。
「分かったわ。でも、お母様のお邪魔をしては駄目よ」
「そんなことはせん!」
「行くよ、ローザ」
「はい。お兄様」
ギルベルトに促され、ローザはパトリシアの部屋を後にした。
「貴方も早くお行きなさい、アスール」
「はい、母上。レガリア、母上をよろしくね!」
「分かっておる。早く行け」
部屋を出てアスールが扉を閉めようと振り返った瞬間、アスールの視界にレガリアが真の姿へと戻ったのが見えた。
ー * ー * ー * ー
「じゃあ、今朝はこの辺で良しとするかの」
「……あり、がとう、ございました」
フェルナンドは相変わらず息一つ乱すこと無く木剣を置いた。一方のアスールは、絞ればシャツから水滴が滴り落ちのではないかと思うほど汗をかき、やっと息をしていると言っていい程の状態でその場にへたり込んでいる。
「随分と絞られたみたいだな」
アスールがやっとの思いで顔だけを上げると、すぐ目の前でレガリアがアスールの方を見ていた。
「……レ、ガリア。なんだ、見に、来てたの?」
「朝早くから、何やら賑やかな音が聞こえて来ていたからな」
普段はアスールが学院から戻ると一緒にフェルナンドとの朝の鍛錬に参加しているギルベルトは、今朝早くに第二騎士団からの招集がかかり出かけてしまった。
ただの鍛錬とはいえ、流石にフェルナンドと一対一ではアスールには分が悪すぎた。
「おや、朝の散歩ですかな?」
フェルナンドにそう声をかけられると、レガリアはへたり込んだままのアスールに背を向け、近くのベンチに向かって歩き出した。
レガリアはそのままベンチにフワリと飛び乗り、フェルナンドにチラリと視線を送る。
「二人とも、まだぐっすりと眠っておるからな」
昨晩はパトリシアの体調が然程悪くなかったこともあって、ローザは自室へは戻らず、レガリアも一緒にそのままパトリシアの部屋に泊まったらしい。
フェルナンドもレガリアの隣に腰を下ろした。
「昨晩は随分と遅くまでパトリシアの部屋から楽しそうな話し声が聞こえてきていたと報告がありましたし、まだしばらくは二人ともベッドから出てこないでしょうな」
そう言いながら、フェルナンドはパトリシアの寝室がある東棟の二階に目をやった。
「……だいぶ弱っているようだな」
「それは、パトリシアのことを言っておられるのですか?」
「そうだ」
「……やはり。そうですか」
パトリシアの体調についてレガリアが言及したことにアスールは驚いた。
(だいぶ弱っているって、今、レガリア言ったよね?)
「そう心配せんでも、今すぐにどうこうなると言っているわけでは無いぞ」
「何か手立てがあるの?」
「……ローザが母親の近くに居れば、それだけでだいぶ違うだろう。あれは相変わらず力を垂れ流して居るからな」
「そうなの? だったら、ローザの力で母上を元気にすることも可能だってことだよね?」
レガリアは答えない。その代わりにフェルナンドが口を開いた。
「アスール。本来ローザの持つ光の力は、個人の利害のために使って良いようなものでは無いのだと儂は思うぞ。ローザが近くに居るだけでパトリシアの体調が悪化しないのであれば、それで良いでは無いか」
「でも、お祖父様」
「今誰かにローザの力が知られて、あの子に利用価値があると思われるのは困る。せめてローザが学院を卒業するまでは、この秘密は絶対に守らんといかん。アスール、分かるな?」
「……はい」
「じゃあ、汗を流して朝食にしよう。先に行くぞ」
フェルナンドはそう言うと、木剣を拾い上げ、王城へと戻って行った。
「アスール。どうした? 戻らんのか?」
レガリアはベンチから飛び降りると、まるで抱き上げろと言わんばかりに、アスールの足に擦り寄って来る。
アスールは自分の木剣を脇に挟むと、しゃがみ込んでレガリアを抱き上げた。
「ねえ、もしかして昨日僕が部屋を出た後、レガリア……母上に力を使ったりした? そっちは良いの?」
「……やはり見られていたか。まあ、なんだ。……黙って居れば誰にも分からんだろ」
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