11 カルロからの提案
「遅くなりました」
「お帰り、アスール。元気そうだね」
アスールが執務室へ到着すると、机の上に積み上げられた書類の向こう側で疲れた顔のカルロがアスールに向かって手を振っていた。
カルロの両脇にはいつものようにフレド・バルマー侯爵が控え、彼もまた酷く疲れた顔をしている。
相変わらずカルロの執務室は仕事で溢れかえっている。
「父上、随分とお疲れのように見えますが……」
「ああ。実際疲れているよ。なあ、カルロ?」
「そうですね。このところ少しばかり急ぎ片付けねばならない案件が……」
そう言いながらフレドは机の上の書類を指差して苦笑いをする。
確かに、カルロの執務机を見る限り最早 “少しばかり” と言っていられる仕事量では無いということは誰の目にも明らかだ。
「父上。受け取って参りました」
「ああ、ギルベルト。ラモスも一緒か。二人とも、助かったよ。アスールも来た事だし、そっちでお茶にしようか」
執務室に入って来たのは、第二王子のギルベルトと、ルシオの兄でバルマー侯爵家長男のラモスだった。
ラモスは王立学院卒業後、この春から王宮府内で事務官見習いとして働いている。
五人はソファーセットへと移動した。すぐさま使用人たちがお茶とお菓子の用意をする。
「そう言えば、確か兄上は今、第二騎士団に所属されているのですよね?」
ピイリアと雛のことがあったので、今日はアスールにとっては本当に久しぶりの帰城になる。
第二騎士団に所属している筈のギルベルトと、こうして王宮で顔を合わせることになるとは、アスールは全く思っていなかったのだ。
「ああ、そうだよ。なのに第二騎士団所属の僕がどうして今、王宮で書類運びをしているかって?」
「ええ、まあ」
「王子の騎士団への所属は、あくまで形式的なものだ」
息子二人のやり取りを聞いていたカルロが口を挟んだ。
「有事の際、王家一丸となって最前線に立つ。その為には成人した王子は例外なく騎士団に所属し、常日毎からきちんと訓練を積んでおく義務がある」
そう言いながら、カルロは紅茶にミルクをたっぷりと注ぐと、それを一気に飲み干した。
「だが、ここしばらく近隣諸国とは非常に友好的な関係が続いていることもあって、四六時中訓練に励む必要は無くなっている。だったら、空いている時間は何に使うべきか? 王と言う存在は非常に多忙なのだよ、アスール。猫の手も借りたいくらいに」
カルロはアスールに向かいウィンクをした。
「それが息子たちの手なら、猫の手などに比べれば遥かに都合が良いですよね、陛下?」
フレド・バルマーがそう言って、ギルベルトとラモスの方を見て笑っている。
どうやらギルベルトもラモスも父親たちから、なんだかんだと体良く使われているようだ。
「そう言えば、アスール。ここへ来る前に、パトリシアのところへ顔を出して来たのだろう?」
カルロが真面目な顔でアスールに尋ねた。
「はい。母上は……随分とお疲れのようですね」
「……そうなんだ」
「ずっとあの調子なのですか?」
「ここ数日は……特に酷いな」
「そうですか」
「それでな。お前たち三人に提案があるんだが……」
「「「三人?」」」
三人の声が揃った。驚いたのは、どうやらアスールだけでは無かったようだ。
ギルベルトとラモスも、いったいどんな話がカルロの口から飛び出すのかと、緊張した面持ちでカルロの顔を見ている。
「昨年の秋以降、我が国とタチェ自治共和国の間でいろいろと新しい試みが始まったことに関しては、皆も多少は知っているだろう?」
「「「はい」」」
ハクブルム国で行われたアリシアの結婚式の直後、カルロとフレドはタチェ自治共和国へと足を伸ばし、数日間をかけて新たな貿易や今後の交流について話し合いを行った。
「あの時タチェ自治共和国側とは一旦大まかな取り決めをしただけで、しばらくはお互いに状況を見極め、その上できちんと条約などを取り決めようと言う話になった」
「もうすぐ一年になりますので、そろそろ条約を締結する時期だろうと言う話になりました」
フレドがカルロの話を引き継いだ。
「条約締結の為、七の月の早い時期にタチェ自治共和国への訪問を予定しております。その際、陛下の名代をギルベルト殿下にお願いしたいのです」
「父上の名代を? 僕が務めるのですか?」
ギルベルトは突然の話に驚いた顔をして、カルロとフレドを交互に見ている。そんなギルベルトに向かってカルロが大きく頷いた。
「今はこの執務室を見れば分かるだろが、とてもじゃ無いが長期間私が国を離れるのは無理だ。まして、パトリシアがあの調子だしな」
カルロは窓の外に目をやり、小さく溜息を吐いた。
「タチェ自治共和国でギルベルト殿下にお願いしたい最重要事項は、調印式への出席です。どの案件も既に大筋で合意しているものばかりなので、陛下の名代として殿下が文書にサインをし、それを交換しさえすれば万事つつがなく終了です」
「侯爵は……随分と簡単に言いますね」
「実際、ギルベルト殿下にとっては、ちっとも難しいことでは無いと私は思いますが? もちろん私も殿下に同行させて頂きます」
「……分かりました。名代の件、謹んでお引き受け致します、父上」
「ああ、よろしく頼む」
タチェ自治共和国へはバルマー侯爵と共に、彼の息子であり、仕事上でも部下にもあたるラモスも同行するらしい。
テーブルの上に広げられた書類を前に、アスールを除く四人は、出発前に決めておく詳細についての話し合いをしている。
アスールの鞄の中には、ヴィオレータからフェルナンドに返しておいて欲しいと言われ預かっている封筒が入っている。
(……お祖父様はどうしたんだろう?)
「それでだな、アスール! ギルベルトの補佐として、お前もタチェへ行って来い!」
「えっ。僕もですか?」
自分には全然関係の無い話だと、呑気にお茶を飲みながらぼんやりと考え事をしていたアスールは、驚きの余り持っていたティーカップを落としそうになった。
「アスールはまだ十二歳だが、外国訪問としては早過ぎる年齢と言う程では無いだろう。ギルベルトも確か最初にマルテーラ公国を訪問したのは、今のアスールと同じ位の年の時だったな?」
「はい。十一歳でした」
マルテーラ公国とは国境を接する三国の内の一国のことで、クリスタリア国とは長きに渡り非常に友好的な関係を築いている。
余りはっきりとは覚えていないが、以前ギルベルトから外国訪問に関しての話を聞いたことはある。
「タチェ自治共和国への出発は王立学院が夏の休暇に入った直後になるだろうから、特に問題も無いな?」
「えっ?」
「そうですね。その頃に出発するのが一番良いと思います」
自分の置かれた状況を未だ飲み込めていないアスールを置き去りにしたまま、カルロとフレドの話はどんどん先へ進んで行く。
「あの、父上!」
アスールは意を決し二人の会話に割り込んだ。
「僕は、いったい何をしにタチェ自治共和国へ行くのでしょう? 王子とは言え、まだ成人もしていない者が帯同してもお役には立てないのでは無いかと……」
「ああ、そのことか」
カルロは持っていた書類をテーブルに置いた。
「確かにまだ成人前のお前に、役に立って貰おうとは思っていないよ」
カルロはそう言って笑った。
「この機会に、少し外の世界を見てくると良い。ハクブルム国から、通訳としてエルンストが来てくれることになっている」
「アーニー先生が?」
「そうだ。久しぶりに会いたいだろう?」
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