7 小さな命(1)
「そうか。それは残念だったな……。だがな、ローザ。お前は、本当にそれで良いのか?」
「……はい」
フェルナンドは俯くローザの頭に手を置くと、慈しむようにその大きな手でローザの頭をそっと撫でた。
ー * ー * ー * ー
「じゃあ、ローザ様は昨日から王宮に戻ってるんだね?」
「そうだよ。今頃母上たちとお茶でも飲みながら、楽しくお喋りをしている頃じゃないかな」
四の月に入り、既に数日が経過していた。ピイリアが抱卵を始めてから、そろそろひと月近くが過ぎようとしている。
誰彼かまわず威嚇をしていたチビ助も、あの後しばらくすると徐々に落ち着きを取り戻し、アスールもルシオも今まで通りベランダに出て餌やりを再開できるようになった。
それと同時に、アスールはやっと巣箱の中のピイリアの様子も確認することが叶ったのだ。
その目で確認するまで微かな期待を捨てきれていなかったのだが、レガリアが言っていた通り、やはり巣箱の中に卵は一つしか無かった。
「ねえ、アスール。もうそろそろ、いつ卵が孵っても良い時期に入っているよね?」
「そうだね。飼育室の卵も、もういくつか孵っているって聞いたから、こっちももう間もなくなんじゃないかな」
「できれば、こうして僕らが寮に居る時間帯に出て来て欲しいよね!」
今週に入ってからずっと、アスールとルシオは授業が終わると一目散に寮へと戻り、こうしてアスールの部屋でほとんどの時間を卵が孵るのを待ちながら過ごしている。
いつあの固い卵の殻を破り、小さな雛が顔を出すのか誰にも分からないからだ。
ここ数日、あの食いしん坊のルシオが毎食猛スピードで食事を終え、さっさと食堂を後にするので、いったい何事が起きているのかと皆が不思議そうな顔をしてルシオを見ているらしい。
マティアスが笑いながらアスールにそう報告してくれた。
「ねえ、なんだか外が少し騒がしくない?」
そう言いながら、ルシオは立ち上がると様子を見ようとベランダへ向かって歩き出した。確かにルシオの言う通り、ベランダで何か物音がする。
「おーい、チビ助。どうかしたのかい?」
ベランダに出ていったルシオが、チビ助にそんな風に声をかけている声が部屋の中に居るアスールのところまで聞こえてきた。
「アスール!」
「どうかした?」
「ちょっと! いいから早く来て! ダリオさんも!」
ルシオの声は焦ってもいるようだが、ひどく弾んでいる。アスールは慌ててベランダへと向かった。
「見て!」
アスールがベランダの扉を開けると、ルシオは鳥小屋の中に居た。
ルシオの左肩の上にはチビ助がとまっており、ルシオの頭の上には巣箱の中で抱卵しているはずのピイリアがちょこんと座っているではないか。
「ピイリア!」
「ピィィ」
アスールが鳥小屋へと入りながら声をかけると、ルシオの頭の上にいたピイリアが嬉しそうに囀りながらアスールの肩へと飛び移って来た。
ピイリアは久し振りのアスールとの対面に、甘えるかのように頭をぐいぐいとアスールの頬に押しつけてくる。
「卵はどうしたの? 温めていたんじゃないの?」
「ピィィピィィ」
巣箱の前に立っていたルシオが、アスールに向かって手招きをしている。ルシオは、アスールが巣箱を覗けるようにと少し横へ移動した。
アスールはルシオの横に並ぶと、巣箱の中をそっと覗き込んだ。
「うわぁ。なにこれ? これって、もしかして……クチバシ?」
「だよね! そうだよね!」
卵の割れ目から小さな薄いオレンジ色のクチバシらしきものが飛び出している。
じっと見つめていると、中からの衝撃によって小さく卵が揺れるたびに、少しずつ少しずつひび割れが大きくなる。
「まだしばらく時間はかかりそうですね。今のうちに移動させては如何ですか?」
不意に後ろからかけられた声に驚いてアスールとルシオが振り向くと、鳥小屋の外にダリオが微笑みながら立っていた。
「そうだね!」
「そっか。すっかり忘れてたよ!」
アスールとルシオは一旦部屋へと戻り、急いで鳥籠を取ってくると、ピイリアとチビ助をそれぞれの鳥籠へと入れた。
思いの外、二羽は特に抵抗するでもなく、おとなしく鳥籠へと入ってくれた。
ダリオは二羽が収まった鳥籠を両手で軽々と持ち上げると、アスールの部屋へと運び入れる。
「アスール。気を付けてね!」
「分かってる!」
アスールとルシオは、最後にゲント先生に会った時の先生の言葉を思い出したのだ。
中から雛が卵を割って出ようとしはじめたら、母鳥は驚いて卵を温めるのを止めてしまうかもしれない。
雛が卵から出るにはかなりの時間がかかる。卵が冷え切ってしまい、中の雛の体力が奪われることの無いように、巣を室内に移動した方が良いと言われていたのだ。
アスールは両手を巣箱に差し入れて、揺らさないように細心の注意を払いながら、卵の入った巣を引っ張り出した。
ルシオが先ずは鳥小屋の入り口を、続いてベランダの扉を順に開けてくれ、アスールは両手で巣を大切に包み込むように抱え、なんとか部屋へと運び込むと、前もって用意しておいた箱の中へそっと下ろした。
「はあぁぁ。緊張した……」
「お疲れ様。アスール」
二人は顔を見合わせ、ホッと息を吐いた。
「では、後は私が」
「分かった。後はダリオに任せるよ」
アスールとルシオはそれぞれの鳥籠からピイリアとチビ助を出してやった。二羽が揃ってベランダの鳥小屋から出るのはひと月以上振りだった。
「おいで、ピイリア。君の可愛いおちびさんが出てくるには、もう少し時間がかかるんだって。久しぶりに君の大好きな木の実でも食べるかい?」
「ピィィ」
ピイリアはアスールがオヤツの準備をしている間、アスールの肩にとまったまま楽しそうにずっと囀っている。
「さあ、これで大丈夫でしょう。我々にできることと言えば、小さな命の頑張りを側で見守るだけで御座いますね」
ダリオがそう言って立ち上がった。
木箱の中に置かれた巣の中で、小さな命が外の世界へ飛び出そうと必死にもがいている。だが、誰も手を貸すことは許されない。
自分の力だけで殻を破り、中から這い出てくることすら難しい程の生命力では、この先、外界で生きていくことなど到底不可能だからだ。
「「頑張れ!」」
アスールとルシオが卵を見つめている間も、卵のひび割れはそれ程広がってはいかなかった。
ピイリアは卵の上に座ったり、卵が動くのに驚いて飛び退いたりと忙しい。
「殿下。そろそろ食堂へ行かれませんと、夕食を食べ損なってしまいますよ」
ダリオが懐中時計を見ながらアスールに声をかけた。
「えっ、もうそんな時間?」
「はい」
窓の外に目を向けると、外は日が落ち、すっかり暗くなっていた。確かに食堂が閉まってしまう時間までもう間も無い。思った以上に時間が経過している。
「大変だ! ルシオ、急がないと!」
アスールが急に立ち上がったので、驚いたピイリアがアスールの肩から飛びたった。そのままピイリアはふわりと窓際の止まり木に降りる。
ピイリアを追いかけるようにチビ助も、ルシオの肩から止まり木へと移動した。
「ごめんよ、ピイリア。驚かしちゃったね」
「ピィ」
「夕食を食べてくる間、待っていてね。すぐに戻るよ!」
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