6 二人の留学生
「ねえ、アスール。第四学年と第五学年に新しく留学生が来てるって知ってた?」
「そうなの?」
アスールとマティアスとルシオでいつものように並んで昼食を食べていると、ルシオが少し離れたテーブルに視線を向けながら話し始めた。
ルシオは情報通だ。
何処で仕入れて来るのか、各教科の先生の人柄や成績の付け方に関する情報、他学年で最近話題になっている噂話、果ては食堂の料理人が交代になった話まで、いろいろな話をこうして普段の何気無い会話に織り交ぜて来る。
「あのテーブルに居る二人がそうなのか?」
マティアスが見つめる先に座っていたのは、明らかに周りに居るクリスタリア国民とは風貌の異なる二人だ。
大柄な学生は学院にも多いが、二人は背が高いだけではなく非常にガタイがいい。肩幅が広く身体に厚みがある。制服を着ていても筋肉質なのが容易に想像できる。
「そうだよ。兄弟なんだって」
「どこの国からの留学生なの? 知っているんでしょ?」
「ラキア国だって話だよ」
「ラキア国? それはまた随分と凄いところから来たんだな」
マティアスが驚いたのも頷ける。ラキア国はクリスタリア国がある大陸にある国では無い。海を渡り、遥か南の遠方にある島国のーつだ。
「悪魔が住むと言われるほど荒れる海峡を越えねば辿り着けない」と第二学年の前期の授業の時に先生がそう言っていたのをアスールも思い出していた。
「ラキア国を含めて、あの一帯にある島々に暮らす人たちの航海技術は凄いんだって。そもそも船の構造自体が全く異なるらしいよ」
食事を終えたらしい二人が席を立ち、数人の学生たちに囲まれて、出口があるこちらへ向かって歩き出した。集団の中には見慣れた顔もある。
その内の一人が座っていたアスールに気付き足を止めたので、必然的にその集団がアスールの居るテーブルの横で立ち止まる形になった。
「アスール殿下。お食事中大変申し訳ありません」
「こんにちは、フリオ先輩。もう食事はほとんど済んでいますので問題ありませんよ」
声をかけてきたのはフリオ・ディールス。
ディールス侯爵家の次男で、今年の学院執行部の部長だ。そう言えば、ギルベルトが以前「留学生が学院に慣れるまでの世話も執行部の役割のうちの一つだ」と言っていた。
「こちらの二人はラキア国から来ている、第五学年と第四学年の留学生です」
「はじめまして。ナタイ・ラコトーブです」
「ケアヌ・ラコトーブです。どうぞよろしくおねがいします」
フリオから挨拶の相手が王族だと聞いていたのかもしれない。二人の顔と声から緊張が伝わってくる。
「アスール・クリスタリアです。クリスタリア国へようこそ。学院での生活で困ったことがあれば何でも言って下さいね」
そう言って、アスールはニッコリと微笑んだ。
アスールの笑顔に釣られたのだろう、よく日に焼けた二人の小麦色の顔の上にも白い歯が溢れた。
フリオはこの後二人を連れて学院内を案内して歩くと言って、すぐに食堂から出て行った。
「ラキア国って言語は確か……」
「パナン語だよ。あの辺りの国の多くはパナン語か、パナン語に近い言葉を話してるんだって」
去って行く集団を見送りながらルシオが言った。
「もしかして、ルシオはパナン語も選択してるのか?」
「この学院にパナン語の選択科目は無いよ」
マティアスの問いにルシオはそう言って笑った。
「そもそもこの学院に、パナン語を話せる先生なんて居ないんじゃないかな。あの海峡を越える大変さから、今までほとんど大陸の国々とは交流の無かった国らしいし。うちの父親もラキア国から留学生が来るって聞いて、かなり驚いてたからね」
どうやら今回の情報源はバルマー侯爵のようだ。
「向こうにとっても同じことが言えるんだとしたら、彼らが留学できるくらいのクリスタリア語をラキア国内で習得するのもかなり大変だったろうね。さっきの挨拶を聞いただろう? 凄いことだと思うよ」
ルシオは最近急に言語に興味を持ち始めたらしく、今年度の選択科目として複数の外国語の授業を受けている。
数人の先生方から「同時進行で数種類の言語を選択すべきでは無い」と指摘されたにも関わらず、ルシオは断固として引かなかった。
「僕もヴィスマイヤー卿ように多くの国の言葉を習得して、いつか世界の国々を見て回りたいと思っているんだ」
ルシオが将来のことを語るのを聞いて、アスールとマティアスは驚きのあまり顔を見合わせた。
「世界を見て回る? 食べて回る……の間違いでは無く?」
「ああ、それも良いね!」
マティアスの問いに、ルシオは笑いながら答えた。
どこまでが冗談で、どの位ルシオが本気で言っているのかは定かではないが、今年のルシオが選んだ選択科目の数々が、アスールとマティアスを驚かすには充分な内容だったことは間違いない。
「そう言えば、アスールは今年もゲルダー語を続けているんだっけ?」
「ああ。初級Bは去年の後期に無事合格したから、今学期は中級Aのクラスに参加するよ」
「えっ? 中級?」
マティアスはアスールの答えに驚いたようだ。
学院の外国語の授業はそれぞれ入門、初級A、初級B、中級A、中級B、上級A、上級Bクラスと七段階のレベルにクラスが分かれている。
外国語の選択科目は第一学年の後期から始まってはいるが、学期末の試験は他の教科に比べかなり難しいと言われている。
入門クラスは授業に参加してさえいれば、余程のことが無い限り学期末の試験でも合格を貰える。だが、上のレベルに上がれば上がる程試験の難易度は上がり、結果、その合格率は下がる。
そのためか、楽に単位が取れる入門クラスだけを渡り歩く不届き者も出る程だ。
「じゃあ、アスールは一度もゲルダー語の再履修はしていないってこと?」
「今のところ、はね」
「それは凄いね」
「そうでも無いよ。僕は学院入学前からゲルダー語は家庭教師に来てもらって皆より先に学んでいたし」
「それはそうかもしれないが。ところで、どうしてアスールはルシオのように他の外国語を選択しなかったんだい?」
「僕は器用じゃ無いからね。掛け持ちなんてしたら頭が混乱しちゃうよ。先ずはゲルダー語をマスターしたいと思ってる」
「アリシア様が嫁がれたハクブルム国も近隣諸国もゲルダー語圏だよね。いつかアスールがハクブルム国のアリシア様を訪問する時にも役立つし、ゲルダー語はアスールにとっては一番身近な外国語だよね」
ルシオがそう言って笑った。
「そうだね」
アスールも笑顔でそう答えはしたが、アスールの目的はハクブルム国への訪問では無い。その隣国、ロートス王国への帰還なのだ。
この場でアスールの口から二人に話してしまえれば、こんな秘密を抱えずに済んで楽に慣れるのだが……。
ゲルダー語はアスールにとっては単なる外国語では無く、ゲルダー語こそが本来アスールにとっての母国語なのだ。
この事実は絶対に漏らしてはならないアスールの秘密だ。
「さあ、そろそろ僕たちも行こうか」
アスールが食べ終えた食器を手に席を立った。
「そうだな。いつまでもダラダラと食堂の席を占領しているのはまずいな」
マティアスがアスールに続く。
「ええっ。二人ともちょっと待ってよ!」
「ルシオはまだデザートが残っているんだろ? 中庭のベンチでアスールと待っているから心配するな」
揶揄う二人を横目に、ルシオは皿に残っていたデザートを慌てて口に放り込んだ。
お読みいただき、ありがとうございます。
続きが気になると思って頂けましたら、是非ブックマークや評価をお願いします。
評価はこのページの下側にある【☆☆☆☆☆】をタップすれば出来ます。