5 ピイリアの卵(2)
「本当に?ああ、良かった!」
アスールはそう言うと、ソファーに倒れ込んだ。
「ピイリアが巣箱から出て来なくなったから、きっと中で卵を温めているんだろうなとは思っていたけど……。チビ助はずっとあんな調子だし、きちんと確認できなくて。正直、すごく困ってたんだ」
レガリアは早口で捲し立てているアスールをじっと見つめている。
「部屋に戻ったら、レガリアからローザにピイリアの卵のことを教えてあげてよ。たぶん心配している筈だからね」
「……ローザに、卵の話をするのか?」
「そりゃあするよ。ローザがピイリアが卵を産むのをずっと楽しみにしていたのを、レガリアだって知っているでしょ? ヴィオレータ姉上には……そうだな、夕食の時にでも僕から伝えれば良いよね?」
レガリアが部屋に持ち帰るためのタルトレットを小箱に詰めながら、ダリオが笑顔で頷いた。
「ヴィオレータにも、話すのか?」
「もちろん! 姉上だってピイリアのことは気にかけて下さっているしね」
「だが……巣の中に、卵は一つしか無いのだぞ」
アスールは、想像もしていなかったレガリアの言葉に耳を疑った。ダリオもタルトレットを手に持ったまま、言葉を失ったように呆然とレガリアを見つめている。
「ねえ。今、なんて言ったの?」
「巣箱の中にはある卵は一つだけだ」
「それ、本当? だって、レガリア。直に見たわけじゃないんだよね?」
「見ずとも分かる。と言ったであろう?」
アスールは天を仰いだ。まさか卵が一つしか無いとは思っていなかったのだ。
「どうしよう。ローザもヴィオレータ姉上もすごく楽しみにしているのに」
「アスール。何故お前は、まだ孵ってもいない雛を誰が育てるのかなんてことまで心配するのだ? そもそも、卵が何事もなく無事に孵る保証など何処にも無いであろうに」
「そんなこと……」
確かにレガリアの言う通りだ。
ピイリアにとっては卵を産むのも、その卵を温めるのも、孵化した雛を育てるのも、何もかもが初めての経験の連続だ。
その上、そのピイリアの面倒を見るのは、ホルク飼育室に居る慣れた職員たちでは無く、全く素人のアスールなのだ。
「ピイリアにも卵にも、過度な期待はせん方が良いぞ」
「……そうだね」
「我はローザのところへ戻る。卵の話は、ローザに伝えても良いのだな?」
アスールは返事に詰まった。
伝えるべきか、まだ黙っていた方が良いのか。レガリアの口から伝えてもらうべきか、それともアスールが直接話した方が良いのか。
「待って! 卵のことは僕からローザに話すよ。今日の夕食後に、談話室に来て欲しいって僕が言っていたと、それだけローザに伝えてくれるかな?」
「分かった。そのように伝えよう」
ー * ー * ー * ー
「夕食後に集まって貰ったのは、ピイリアの卵に関して、皆に早急に話さなくてはならないことができたからなんだ」
アスールは夕食後の談話室に、ヴィオレータ、ローザ、それからルシオの三人を呼び出した。
ダリオが淹れてくれたお茶を飲みながら楽しそうに喋っていたローザとヴィオレータは、アスールの台詞を聞いてティーカップをテーブルに置いた。
アスールがこうして三人を呼び出した理由を前もって聞かされていなかったルシオも、真面目な顔でアスールを見つめている。
「今日、ピイリアが巣箱の中で卵を温めていることが判明した」
「まあ! やはりピイちゃんは無事に卵を産んでいたのですね!」
「よしっ!」
ローザとルシオは嬉しそうな声をあげる。ヴィオレータもホッとしたようで、硬かった表情を少し緩めた。
「チビ助は相変わらずで、僕はまだベランダに出ることができない。飼育室の先生に相談した結果、ダリオが水の交換と餌やりをしてくれることになった」
三人の視線を一斉に浴び、ダリオは笑顔でゆっくり頷いた。
アスールは飼育室の先生から借りた革製の手袋のこと、餌やりは寮から学生が出払っている昼間に行うことを三人に伝えた。
「それで、話というのはその卵についてなんだけど……。そんな状態なので、まだ誰も自分の目で直接巣箱の中のピイリアと、ピイリアが温めている卵を確認することはできていないんだ」
「あれっ? ダリオさんも?」
ルシオに問われ、ダリオがまた頷いた。
「巣箱の中に卵があると教えてくれたのは、レガリアなんだよ」
「どういうことですか? レガリアは鳥小屋に入れたのですか?」
「そうじゃないよ、ローザ。レガリアには分かるんだ。見なくても巣箱の中に卵があることが。……そう言っていた」
三人はアスールの話に驚いたような表情を浮かべたが、一方でレガリアにならそんなことも可能かもしれないと、納得したようにも見える。
「それで、レガリアが言うには……」
そこまで言いかけて、三人の視線に耐えかね、アスールは思わず口籠った。
「何? レガリアはいったい何て言ったの?」
ルシオがアスールに話の先を促す。
「……巣箱の中に、卵は一つだけだって」
「「「えっ?!」」」
「ピイリアは卵を一つしか産んでいないんだ」
壁際に置かれた大きな柱時計がカチコチと時を刻む音がやけに大きく聞こえる。
最初に沈黙を破ったのはローザだった。
「でしたら、その卵から孵った雛は、ヴィオレータお姉様がお育て下さい」
「……ローザ?」
やっと聞き取れるくらいの小さな声ではあったが、はっきりとローザはそう言った。
「ピイちゃんの最初の卵はお姉様に! ね、そうしましょう!」
今度は、はっきりとそう断言した。
ヴィオレータは驚いて、隣に座っているローザの手を取った。
「でも、ローザ。貴女だってずっと楽しみにしていたじゃないの! 確かに私もアスールにホルクの雛を譲って欲しいとはお願いしたけれど、貴女の方が前からアスールに頼んでいたでしょ? 私のことは気にしないでも良いのよ。また次の機会も、きっとあるでしょうし」
ヴィオレータはそう言って安心させるようにローザに笑顔を向けている。だが、ローザは真面目な顔でヴィオレータの目を見つめると、普段のローザからは想像できない程落ち着いた口調で話し始めた。
「お姉様。本当は、次では駄目ですよね?」
「えっ?」
「前に仰っていたではありませんか。学院在学中に訓練を受けたいと。あのシア兄様だってシルフィの訓練に三年かけておられました。今お姉様は既に第四学年なのです。もう学院生活は残り二年しか無いのですよ!」
ローザに指摘されなくとも、ヴィオレータだってそんなことは分かっていた筈だ。アスールは互いを気遣い合う二人に、かける言葉を見つけられずにいた。
「あのぉ。今そんなに深刻に話し合わなくても良いのではないですか?」
意外にも、ローザとヴィオレータの話に割って入ったのはルシオだった。
「確かに卵は一つしか無いけど。まだ雛が孵るのにひと月近くあるんです。今慌てて決めなくても良いのでは? 折角の美味しいお茶が冷めてしまいますよ!」
明るいルシオの声とその話の内容に、ローザもヴィオレータも顔を見合わせ、思わず笑い出した。
「そうね。貴方の言う通りだわ! お茶は温いほうが美味しいものね」
「もちろんです!」
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