2 ヴィオレータの選択と新学期
「そう言えば、姉上は結局どうされたのですか?」
「どうって? アスールはいったい何の話をしているのかしら?」
「えっと、第四学年で姉上が進まれるコースに関してです」
「ああ。それなら淑女コースにしたわ」
そう言うと、ヴィオレータは何が可笑しいのか、ふふふっと声に出して笑いはじめた。
「予想外って顔ね、アスール」
「いえ、そんなことは……」
「あるでしょ?」
「……はい。まあ」
「正直で宜しい」
ヴィオレータが決めたと言った “淑女コース” とは、学院卒業後に職に就くことを考える必要など全く無い貴族の令嬢方や、一部の裕福な商家の娘たちが好んで選ぶ、一部では “花嫁育成コース” などと揶揄されこともあるコースのことだ。
王立学院では、第三学年終了直前に、第四学年以降のコース選択希望を全ての学生が提出しなければならない。それはアスールたち王族であっても例外ではない。
選択できるコースは全部で五種類ある。
文科コース、技科コース、商科コース、騎士コース、それからヴィオレータが選んだと言った淑女コースだ。
ちなみに、ドミニクは騎士コースを、ギルベルトは文科コースを選択した。
淑女コースの授業内容は、ダンスや刺繍、裁縫、音楽、社交などを中心に組まれている。
もちろん他のコースの授業を選ぶことも可能なのだが、そんなことをした例は過去に殆どないと言われている。
ちなみに、淑女コースは騎士コースと同じDクラスに振り分けられる。
「お姉様。確か前に、刺繍や裁縫はあまりお好きではないと仰っていませんでしたか?」
「ええ、そうよ。ローザはよく覚えているわね」
ローザの問いに、ヴィオレータが満面の笑みを浮かべながら答えている。
「それなのに、淑女コースをお選びになられたのですか?」
「そうよ。淑女コースと騎士コースとはね、実はクラスが一緒なの。だから、選べるカリキュラムが重なっているらしいのよ。例えば “刺繍” の時間が “馬術” だったり、“音楽” と “裁縫” の時間が両方とも “剣術” だったりね」
そう言ってヴィオレータはローザに向かってウィンクをして見せた。
カリキュラムが重なっているとは言っても、実際には、騎士コースの学生が “馬術” の代わりに “刺繍” を選択したり、“剣術” の訓練を受けずに “音楽” や “裁縫” の練習をするなんてことはあり得ない。
淑女コースを選んでおきながら、同じ時間枠の騎士コースの科目を選択しようなどと考える令嬢が、ヴィオレータ以前にこの学院に在籍していたとは思えない。
ヴィオレータはその最初の一人になろうとしているのだ。
新学期が始まり、ヴィオレータが提出する選択科目の届け出を見た先生たちが慌てふためく様子が目に浮かぶ。
「姉上。その話、父上とエルダ様は当然ご存知なのですよね?」
カルロはヴィオレータが騎士コースを選択したいとの願いに対し、絶対に首を縦には振らなかった。そのことは、王家の者であれば誰もが知っている。
「さあ、どうだったかしら。私からは、特に何も話してはいなかった気もするわね」
ヴィオレータは平然とそう答えた。アスールは思わず目を覆いたい気持ちになった。
「……大丈夫なのですか? その……後で姉上が、お二人から怒られたりしませんか?」
(それ以前に、姉上のその奇抜な科目選択を、果たして学院は受け入れるのだろうか?)
「その時はその時よ!」
ヴィオレータは完全に開き直っているようだ。
「王族だからと言って、選ぶ授業の内容にまであれこれ意見されるなんて、私は絶対に願い下げだわ。せめて学院に在籍している間だけでも、自分の好きなことをするくらい許されたって良い筈よ! 貴方たちはどう? そうは思わない?」
「お父様は私にも、好きなことをしたら良いと仰いましたわ!」
ローザがヴィオレータに加勢する。
(ローザ。それは流石に……時と場合によるだろう? はあぁ。こんな時に兄上さえ居てくれたら……)
ルシオが気の毒そうな目をアスールに向けているのが分かる。
この二人の姉妹と過ごさなければならない学院でのこれからの二年間を想像して、アスールはなんとも言い難い不安を覚えていた。
そうは言っても、明日になれば新学期は始まってしまう。
朝一番でクラス発表が張り出されるのだ。今更アスールがどうこう言っても、科目はともかく、ヴィオレータが選んでしまったコースを変えられるわけはないのだ……。
「僕たち皆が平穏に、この一年を無事に過ごせることを祈るしかないのかも……」
アスールの言葉を聞いているのか、いないのか。この日のヴィオレータは、終始機嫌が良さそうにアスールの目には見えた。
ー * ー * ー * ー
学院生活の三年目がスタートする日、朝一番にアスールを驚かせたのはルシオだった。
アスールとマティアスが揃って朝食を取るために階段を下りていくと、食堂の入り口でルシオが二人に向かって笑顔で手を振っているではないか。
「おはよう! アスール。マティアス」
「おはよう、ルシオ! 今朝はいったいどうしたの? 君にしては……随分と早起きだね」
「失礼だなあ。まあ、そう言われても仕方ないけどね。去年は悪かったなと、僕もそれなりに反省してるんだよ」
そう言われてみれば、いつまで待っても朝食に下りてこないルシオをマティアスが叩き起こしに行ったのは、確かに一年前のクラス発表の日だったとアスールは思い出した。
「ルシオ。ちゃんと改心したんだな」
普段あまり表情を変えないマティアスの顔が、なんだか少し綻んで見える。
「うん? 去年は朝食をちゃんと全部食べられなかったからね。入学式の途中でお腹が鳴りそうになっちゃってさ。堪えるのが大変だったよ。だから今日は、しっかり食べてから入学式に臨むよ」
「……本当にブレないな」
呆れるのを通り越したのだろう、マティアスにしては珍しく声をたてて笑い出した。
予想通り、今年も三人は揃ってAクラスになった。
新しい教室へ移動すると、早めに寮を出発したためだろう、まだ教室には誰も来ていない。三人は、すっかり定位置となっている一番後ろの席に腰を下ろした。
三年目ともなるとクラス替えに対して新鮮味も無くなって来るのか、後から教室へと入って来る新しいクラスメイトたちも、適当に空いている席を探し、さっと荷物を置いてそれぞれ慣れた様子で挨拶を交わし合っている。
二年間の学院生活を通して、もう「貴族だ! 平民だ!」とお互い一線を引き合うことも殆ど無くなりつつある。それはアスールにとっては心地の良い変化だ。
「ねえ、アスールは来年、文科コースを選択するよね?」
唐突にルシオが切り出した。
「そうだね。そのつもりだよ」
「マティアスは、やっぱり騎士コースでしょ?」
「ああ。入学時から、騎士コースに進むつもりでずっと訓練を続けてきたからね」
ずっと近くで見ていたのだから、アスールもルシオもマティアスの努力はよく知っている。
「そうなると、来年からは僕だけが別のクラスになるんだな。教室で、こんな風に並んでくだらないお喋りに興じていられるのも、もうこの一年で終わりなのか……」
「マティアス。くだらないって言うのは、余計だよ」
「はは。悪い、悪い」
珍しくマティアスは饒舌だ。
「そろそろ講堂へ移動しようか!」
「そうだね」
この教室で、また新しい一年が始まる。三人は講堂へ向かって歩き出した。
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