1 アスールとピイリアと新しい日々
「ほお、これは、これは」
ゲント先生は満足そうに微笑みながら、期待に満ちた表情を浮かべて自分の答えを目を輝かせながら待っているアスールとルシオの方へ向き直った。
「数日見守っていれば良い結果が得られそうですね」
「先生。それって、つまり?」
「ええ、そうです。もうすぐ卵を産むでしょう」
「「やったー!」」
アスールとルシオの大きな声に驚いたチビ助が、ピイリアを守るように羽根を広げて立ち上がり、頭を突き出すと、こちらを威嚇するかのように口をカーっと開いて見せた。
「すまん、すまん。もう行くよ」
ゲント先生はアスールたちに静かにするようにと唇に指を当ててサインを送った後、その指で部屋の中を指し示した。
アスールは頷きルシオを連れて、なるべく音を立てないように部屋へと戻った。
「大丈夫でしたか?」
「まあ、問題無い。だが、あんな風に突然大声をあげたりするのが駄目なことは君たちにも理解できたね?」
「「はい」」
アスールとルシオは新学期を待たずに、ピイリアとチビ助を連れて学院の寮へと戻って来ていた。
休暇中にアスールの部屋のベランダにあるピイリアの鳥小屋を、ホルク飼育室の指示に則って改造をしてもらった。
ピイリアが卵を産んで温めている間も、孵った小さな雛たちを育てている間も、親子が快適に過ごしやすいようにだ。
その鳥小屋に、ひと月前に王宮で用意して、ピイリアとチビ助が少しずつ手を加えていった、ピイリアのお気に入りの “巣” を運び込んだのだ。それが三日前のことだ。
「ほう、これはまた素晴らしい!」
ゲント先生はダリオが用意した焼き菓子を気に入ったようだ。
「今日はお時間をとって頂き感謝します」
「構いませんよ。以前、フェルナンド様からもお話は伺っておりましたし、こうして美味しいお茶とお菓子を頂いただけで充分です」
そう言ってゲント先生は笑った。
昨年の秋に起きたアスールの部屋への侵入者騒動の後、魔法師団による徹底的な調査が学院のホルク飼育室にも入っていた。
侵入者のうちの一人が、首謀者であるドリハン侯爵家の関係者であり、ホルク飼育室に勤務する現役の教師だったからだ。
常駐では無いにしろ、ホルク飼育室に定期的に顔を出しているゲント先生も、後日聞き取り調査のため魔法師団に呼び出されたそうだ。
フェルナンドはその聞き取りの場に居合わせ、ホルク好きの二人はすぐに意気投合したらしい。
「それでは、何か困ったことがあればホルク飼育室の者にお尋ね下さい」
「はい、よろしくお願いします」
ゲント先生は、ダリオに包んで貰った焼き菓子を手に機嫌良く帰って行った。
「ダリオ、今日もありがとう。ゲント先生、とても喜んでいたよ」
「いえいえ。この位、どうと言う程のことでは御座いません」
ダリオは片付けの手を休めることなくそう答えた。
「でも、今後一番大変になるのは、どう考えてもダリオさんだよね。僕たちが学院に行っている間、ずっと世話をするのはダリオさんになっちゃう訳だし」
ルシオの言う通りだ。
アスールとルシオが先生の説明を聞いている間も、細かな注意点を忘れないようにと、ダリオは立ったままずっとメモを取っていた。
「学院生活も三年目になりますと、菓子を焼く位しか私の仕事も無くなって参りましたので、小さきものたちの面倒を見るのもきっと楽しいですよ」
「僕としては、ダリオさんに焼き菓子を作る楽しみも捨てて欲しくは無いけどね」
そう言って、ルシオはテーブルに残った焼き菓子に手を伸ばした。
ー * ー * ー * ー
「それでは、後、数日ということですか?」
「たぶんそうなるね」
入学式の前日。去年に引き続き今年も大荷物を抱えたローザと、殆ど何も持たない身軽なヴィオレータが、仲良く寮へと戻って来た。
ピイリアが卵を産むのをずっと心待ちにしている二人は、早速アスールとルシオを談話室へと呼び出し、ゲント先生の所見を聞きたがった。
雛が無事に孵った暁には、アスールはその雛たちをローザとヴィオレータに譲る約束をしている。気の早い二人はカルロの許可を得て、この長期休みを利用して工事を依頼し、既に部屋のベランダに鳥小屋の設置を終えているのだ。
「それにしても、どうして兄妹だと言うのに、お兄様のお部屋に行くことが許されないのかしら?」
「それは、規則だからね」
「卵を温めているピイちゃんを側で見守りたいだけなのに……」
「そうよね。折角なら自ら殻を破って雛が出て来る勇姿が見たいわ!」
「お姉様、生まれたての雛は、一番初めに見たものを親と思うそうですよ。ピイちゃんではなくてアス兄様を親だと勘違いしてしまったらどうしたら良いのでしょうか?」
「学院に行っている時間が長いことを考えると、勘違いされるのはきっとダリオだと思うわ」
「確かにそうですね。羨ましいです……」
ローザとヴィオレータは、まだピイリアが産んでもいない卵と、それこそ孵るかも分からない雛の話題で盛り上がっていた。
突然自分の名前が話題にあがったダリオは、二人の背後でニコニコ微笑みながら話を聞いている。
「ところで、チビ君はこのまましばらくは、ピイちゃんと一緒の鳥小屋で生活するのですか? 確か、前に雄鳥は雌鳥と交代で卵を温めたりはしないと仰ってましたよね?」
不意にローザが質問を投げかけてきた。
「ゲント先生の話では、しばらく今のまま一緒にしておいて、二羽の様子を見るのが良いのではないかと。抱卵中、近くに雄鳥が居ることをとても嫌がる雌鳥も居るそうですが、一概にそうとも言えないそうなので」
ルシオにしては珍しく、ローザの問いかけにスラスラと答えた。
「引き取りに行った時に入った飼育スペースに、確か雄鳥は居なかったね。居たのは母鳥と、その雛たちだけだったよ。今はまだ分からないことだらけだから、その時々で対応していくしか無いと思う」
アスールがそう付け加えた。
「はぁ。楽しみですね!」
「そう言えば、ローザ。カレラさんは? 寮内で一緒に行動していないなんて珍しいね」
「お誘いはしてみたのですが、少しお忙しいようなので、残念ながら断られてしまいました」
この一年、ローザはルシオの妹のカレラとすっかり仲良くなり、学院内でも、寮に戻ってからも殆どの時間を二人は一緒に過ごしていた。
「忙しい?」
「はい。お部屋の片付けをお手伝いするそうです」
「へえ、そうなの……」
ローザの誘いを断ってまで部屋の片付けを手伝いたいと思う相手がカレラに居たことが、アスールは少し意外だった。
「カレラはマイラの手伝いをしているんだよ!」
「マイラって……もしかして、下の妹の?」
「そうだよ」
「だってあの二人は……確か二歳差だったよね? なのに、なんで今この寮にその妹が居るの?」
「ああ。カレラは一の月生まれで、マイラは翌年の十二の月生まれなんだ。殆ど二歳差だけど、実際には一歳と十一ヶ月しか離れていないから、学年は一つしか離れていない。明日入学する新入生だよ。言わなかったっけ?」
「……聞いてないよ」
「そうだった? 知っているとばかり思っていたよ」
ルシオは気にする風も無く笑っている。
「ねえ、ルシオ。まさか明日の新入生代表挨拶も、君の妹だったりしないよね?」
「えっ?」
「去年みたいに」
「……。聞いてないよ! もしそんなことになったら……僕の兄としての立場は一体どうなっちゃうんだ?」
青褪めたルシオを見て、アスールは悪戯っ子のようにペロリと舌を出した。
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