59 ダンス、ダンス、ダンス。
二曲目を踊り終え、そのままローザをエスコートして、アスールは大広間から東寮の学生のために用意されている続きの間へと移動した。
そこには東寮の食堂の料理人が用意した軽食と飲み物がずらりと並べられている。
アスールたちとほぼ同じタイミングで、ルシオがカレラをエスコートして続きの間へとやって来た。四人は部屋の奥の壁際に空いている椅子を見つけ腰を下ろした。
「ローザ様とシアン殿下のファーストダンス、とても素敵でしたわ」
「そうですか? ありがとう存じます。お褒め頂き嬉しいです」
「今お召しになってらっしゃるドレス、ヴィオレータ様とデザイン違いなのですね?」
「そうなのです。実は、ハクブルク国のお義兄様からの贈り物なのですよ」
「まあ、そうでしたか。ローザ様のドレスは可愛らしい感じで、ヴィオレータ様の方は大人っぽくて、お二人のイメージに合っていてとてもよくお似合いです」
ローザとカレラが楽しそうに話し込んでいるのを横目で見ていたルシオが不意に立ち上がった。
「もう大丈夫だよね?」
「ん? 何が?」
「僕がここに居なくても……。アスールもローザ様も一緒だし」
「じゃあ、思う存分食べるとするか。行ってくる!」
そう宣言して、ルシオはカレラを置いて一人でさっさと軽食が並ぶテーブルへと向かってしまった。
「ちょ、ちょっと待って! ルシオ!」
「お気になさらないで下さい、アスール殿下。兄はああいう人ですから。もう慣れています」
慌てるアスールにカレラは冷静にそう言うと、小さく笑った。
「二人は……お腹は空いていない?」
「「いいえ、大丈夫です」」
「そう? なら良いけど……。ルシオが余分に持って来るとは思えないから、後で僕が二人の分を適当に取って来るよ。それで良いかな?」
「「お願いします」」
しばらく二人のお喋りにアスールが適当に相槌を打っていると、人を掻き分けるようにしてこちらに近付いて来る人が目に入った。バルマー家のしっかり者の方の兄、ラモスだ。
「カレラ!」
「お兄様。どうかされましたか?そんなに慌てて」
「ルシオはどうした? 必ず一緒に居るようにと、あれだけしつこく言っておいたのに!」
カレラは答えずに、軽食が並べられているテーブルを指差している。ラモスはその指の先に弟を見つけたらしく、額に手を当て、はあぁと大きく溜息を吐いた。
「やっぱりか!」
「アスール殿下、本当に申し訳ありません。妹と一緒に居て下さったこと、感謝致します」
そう言ってラモスはアスールに頭を下げた。
「大丈夫です。頭を上げて下さい! ローザも一緒でしたし、僕はただここに、こうして座っていただけですから」
「それにしても……」
「ああ、やっと見つけた! 皆でここに集まっていたんだね!」
今度はシアンがやって来た。だが、一緒に踊っていた筈のヴィオレータが側に居ない。
「シア兄様。ヴィオレータお姉様はどちらに?」
「ああ。ヴィオレータは……もう寮に戻ったよ。自分の役割は全て終えたと言ってね」
「まあ。そうなのですか?」
「一応引き留めてはみたんだけど……」
「……お互い苦労するな」
「えっ? お互いって、ラモスも何かあったの?」
ラモスはカレラがそうして見せたのと同じように、軽食のテーブルを指差した。その指の先で、ルシオが友人たちと談笑しながら食べ物を頬張っている。
「ああ、なるほどね」
「全く。……困った弟だよ」
そう言いながらも、ラモスは優しい笑みを浮かべてルシオの方を見ている。シアンがそんなラモスの肩をポンと叩いた。
「そうだ、ローザ」
「何ですか? シア兄様」
「後半のダンスの相手。ダンスカードはもう埋まっているのかな?」
そう言いながら、シアンはチラリとラモスに視線を送っている。
「いえ、まだです」
「でしたら、後半最初の曲を僕と踊って頂けますか?」
ラモスが笑顔でローザに尋ねた。
「はい。もちろんです」
ラモスはローザからダンスカードを受け取ると、三曲目の空欄にラモス・バルマーと署名し、カードをローザに返した。
ラモスがローザのカードにサインをしているのに気付いたのだろう。いつの間にか周りに貴族たちが集まり出した。自分もローザをダンスに誘えはしないかと、声を掛けるタイミングを見計らっているようだ。
だが、ローザの側には常にアスールかシアンが張り付いていて、誰もローザに声を掛けることができないのだ。
笑顔でカードをラモスから受け取ったローザは、しばらくの間そのダンスカードを手に持ったまま何やら考え込んでいる。
「あの、お兄様。休憩時間の間に、他の寮の方の控えの間を訪ねては駄目なのですか?」
「他の寮の? もしかして西寮?」
「いいえ、北寮です」
「北寮? レイフだったら……北寮では無くて西寮だよ?」
「レイフ様ではありませんわ。学院ではイアン様とレイフ様にお声がけしては駄目なのでしょう?」
「ああ……そうだったね。じゃあ誰に?」
「地属性クラスで一緒のお友だちです。ずっと放課後の練習をお二人は頑張っていらして。最後の授業の時にダンスパーティーの当日、一緒に一曲踊るお約束を致しました。ですが、今日はまだお見掛けしていないのです……」
「地属性クラスの? もしかして、実家が農場を経営しているっていう彼のことかな? 確か名前は……」
「ホセ・ソラナス様です」
「ローザ、ちょっとダンスカードを貸してご覧」
「はい」
シアンはローザのカードを受け取ると、四曲目の空欄にホセ・ソラナスと書き込んだ。
「最後の曲は、また僕と踊ってくれるよね?」
「もちろんです!」
シアンは最後の空欄にサインをして、ダンスカードをローザに返した。
「彼の名前も書き込んでおいた。ローザがラモスと三曲目のダンスをしている間に、僕からソラナス君に話をつけておくよ。心配しなくて良い。彼の顔は知っているからね」
「そうなのですか? では、お願い致します」
ホセの顔を知っていると言ったシアンにローザは少し驚いたようだったが、何も言わずに受け取ったダンスカードをドレスに取り付けている。
そんなローザの様子を笑顔で眺めていたシアンだったが、不意に思い出したかのようカレラの方に向き直ると、恭しくカレラに右手を差し出して言った。
「カレラ様。四曲目のダンスのパートナーに立候補することをお許し願えますか?」
カレラは突然のシアンからの申し出に心底驚いた表情を浮かべ、すぐ横に座っている兄のラモスを見ている。ラモスは優しい笑みを浮かべてカレラに頷いて見せている。
「……喜んでお受け致します」
カレラは耳まで真っ赤に染め上げ、小さな声でそう答えた。
シアンとラモスが顔を見合わせて笑い合っている。このシスコン気味の兄たちは、妹たちのカードの空欄を早々に埋めてしまいたいと考えているのだろう。
シアンがカレラのダンスカードにサインをする間、アスールはラモスの視線が自分の上に降り注ぐのをひしひしと感じた。
「あの、カレラ様。もしよろしければ僕も一曲お願いできますか?」
「はい。もちろんです」
「じゃあ。ラストは僕とだね、カレラ」
ラモスはカードをシアンから受け取ると、さっさと自分の名前を書き込んでから、それをアスールに手渡し、耳元でそっと囁いた。
「ご協力感謝致します。アスール殿下」
「そろそろ何か食べるかい? 僕があそこからローザの好きそうなものを見繕って来ようか?」
シアンは立ち上がると軽食が並べられているテーブルを指さした。
「ありがとう存じます。ああ、でも……どんな物が並んでいるのか私も見たいので、シア兄様とご一緒してもよろしいですか?」
「もちろん! カレラさんもどう?」
「はい。では私もご一緒させて頂きます」
「ならば、僕も行こうかな」
ラモスも立ち上がった。
「悪いな、アスール。先に行ってくる。このまま皆の分の席の確保を頼むよ」
シアンは周りに集まり始めた貴族たちが、ローザのダンスのパートナーを希望しているのではなく、空いている席を探していると勘違いしたようだ。
(兄上は、鋭いのか鈍いのか……。それとも、狙ってああ言っているのかな?……まあ、どちらでも良いけどね)
「……はい。僕のことは気にせず、ごゆっくりどうぞ」
「もういい加減あの食いしん坊のお腹も満たされている頃でしょうから、弟を呼び戻して参りますよ」
ラモスはそう言うと、アスールに満面の笑みを向けた。