44 夏の成人祝賀の宴
「ほお、ヴィオレータもローザも本当によく似合っておるのぉ」
控えの間に遅れてやって来たフェルナンドが、孫娘たちを見つけるとすぐに目尻を下げながらそう言った。
ヴィオレータとローザの二人は、先日ハクブルム国から贈られたドレスを着て、この日の成人祝賀の宴に列席することにしたのだ。
先に一度でも公式の場で着用したことのあるドレスなら、学院でのダンスパーティーで “初出” にならなくて都合が良いのではとの判断からだ。
「「お褒め頂きありがとう存じます。お祖父様」」
二人の言葉にフェルナンドの目尻がより一層下がる。
ローザのドレスは完璧にサイズ調整を終え戻ってきていた。今そのドレスの裾が、ローザが動くのに合わせて、床のすれすれをふわりふわりと楽し気に揺れ動いている。
「それにしても、ハクブルム国の職人は腕が良いの。パトリシアから聞いてはおったが、本当に見事な刺繍だ」
「お祖父様は、もしかして刺繍にもお詳しいのですか?」
フェルナンドを見つめるローザの瞳が称賛するかのように輝いた。
「えっ? あ、うん。まあ、そうだな。とにかく、素晴らしい刺繍だ」
フェルナンドが曖昧な返事を返す。
(あの感じは、どう見てもお祖父様は刺繍のことなんて詳しくないな!)
そう考えて、思わず吹き出しそうになるのを堪えていたアスールとフェルナンドの目が合った。
「アスール!」
「何ですか? お祖父様?」
「いや。まあ、何でもない」
フェルナンドの方もどうやら笑いを堪えているように見える。
「全員揃ったようだし、そろそろ大広間へ移動しようか」
カルロの声を合図に、大広間へと続く王家専用の扉がゆっくりと開かれた。
この日、バルマー伯爵家の長男のラモスが成人を迎える。大広間には父親であるフレドと母親であるラウラが揃って居た。
「本日はおめでとう。フレド!」
「ありがとうございます。成人祝賀の宴も、親として出席するというのは……なかなか感慨深いものですね」
「そうか?」
「陛下の場合はそうも言っていられませんよね。常に祝福を与える立場ですし」
「……まあな」
その後もカルロの周りには、ほんの一言でも王と言葉を交わしたい貴族たちが押し寄せ、カルロをぐるりと取り囲んだ。
アリシアの婚儀に対して祝いを述べる者も多く、カルロとしてもそう無碍にはできないようで、なかなか壇上に上がって来ない。
このままでは新成人を呼び入れることができないと王宮府長官のハリス・ドーチ侯爵から苦言が呈され、ようやくカルロは解放された。
「次回の祝賀の宴では、シア兄様がああして入場されるのですよね?」
ドーチ侯爵に名前を呼び上げられた新成人たちが大広間に入場しはじめると、ローザが小声でアスールに話しかけて来た。
「そう言えば、ローザはドミニク兄上の成人祝賀の宴には参列していないんだったね」
「はい。あの時はエマとお留守番でした」
「そうか。シアン兄上も次の祝賀の宴にはあちら側なんだね……」
そんな風に二人が小声でヒソヒソ話をしていると、なにやら一瞬、大広間が異様なムードに包まれた。
顔を上げたアスールとローザの目に映ったのは、ゴテゴテと装飾の多い真っ赤なドレスの長過ぎる裾を引き摺って、満足気な笑みを浮かべながら大広間の中央に敷かれた絨毯の上を歩いて来る女性だった。
ドレスも凄いが、更に目を引いたのはその髪型かもしれない。これでもかというくらい高く前髪を額の上にアップにし、結い上げられた後ろ髪の至る所に数え切れないほど沢山の、これまた真っ赤なリボンを付けている。
「なんだか……ものすごいな。頭が歩いてる」
アスールがボソリと呟くと、ローザがそんなアスールを咎めるように顔を顰めた。それでもアスールは悪びれる様子も無く真面目な顔でまた呟いた。
「だって、あれはちょっと。ローザだって、本当はそう思うだろう?」
「アス兄様!」
「シドゥラー伯爵令嬢だよ」
「「お知り合いですか?」」
「知り合いと言うか、今日の参加者は、皆僕と同学年だからね」
シアンが困り顔でそう言った。
「彼女も学院の学生だよ。二人とも、寮で見かけたことくらいあるんじゃない? まあ、今日のあの姿では……分からなくても仕方ないけどね」
次に名前を呼ばれ入場して来たのは、淡い色合いのドレスを纏ったご令嬢だ。そのご令嬢は足元を時々チラチラと確認しながらヨタヨタと歩いている。
前を歩くテレサ・シドゥラーの長いドレスの裾を踏まないように気を使っているのだろう。
「気の毒に……」
このアスールの意見に反論する者など、おそらくこの大広間には一人も居ないだろう……。
ー * ー * ー * ー
「あの後、大変だったらしいよ」
「何がですか?」
「成人祝賀の宴だよ。僕たちが退出を許された後」
宴から数日が経過していた。いよいよ明日、シアン、アスール、ローザの三人は学院へ戻る予定になっている。
ヴィオレータはといえば、祝賀の宴の翌朝にはさっさと一人で学院へと戻り、剣術クラブの練習に参加しているのだとエルダが嘆いていた。
「何かあったのですか?」
「あったも何も……」
新成人へのメダル授与式後、大広間では新成人を囲んで和やかに社交が繰り広げられるのが慣わしだ。
参加者の殆どが新成人とその両親。そこに主催側の王家の主だった面々、王宮府や騎士団から招かれた数名が加わる。
毎回お酒が振る舞われるので、未成年のアスールたちはある程度のところで、カルロから退席を許されるのだ。
「あの真っ赤なドレスのご令嬢、覚えているだろう?」
「もちろんです。シドゥラー伯爵家のテレサ様でしたよね?」
「そう、確かそんな名前だった!」
「テレサ様がどうかされたのですか?」
「されたなんて、そんな可愛い感じじゃ無かったらしいよ。なんでも、酔っ払ってドミニク兄上に婚約話はどうなっているのかと詰め寄った挙句、持っていたお酒をそこらじゅうにぶち撒けて、たまたま近くに居たラモスさんの服と、どこかの令嬢のドレスを台無しにしたんだって」
「本当ですか?」
「そうらしいよ。その後はシドゥラー伯爵に抱えられるように退席したって聞いた」
「まあ……。それで、ラモス様と、そのドレスにお酒をかけられてしまったご令嬢は大丈夫だったのですか?」
「それなら、母上が代わりの服をすぐに用意したらしいから大丈夫でしょ」
それを聞いてローザはほっとしたように小さく息を吐いた。
「ところで……アス兄様は、どこでそのようなお話をお聞きになったのですか?」
王宮内ではそれっぽい噂話は全く聞こえてきていない。伯爵家の醜聞だ。おそらく緘口令が敷かれているに違いない。
「ルシオからだよ」
「確か、今日はお祖父様との剣の鍛錬の日だと仰ってましたね」
「そう。マティアスとレイフも一緒にね」
剣の鍛錬が終了した後、バテバテになっている三人に、面白い話があるとルシオがこっそりこの話を教えてくれたらしい。
こうして噂話というものはどんどん広がっていくのだ。
ルシオの話によれば、前日、テレサ嬢はかなり不機嫌そうなシドゥラー伯爵に付き添われて、バルマー伯爵家まで謝罪に訪れたそうだ。
「どうやら本人は酔っていたせいか、全く何も覚えていないらしいよ」
「そんなことがあるのですか?」
「さあ。僕だってお酒を飲んだことは無いからね。分からないよ」
「まあ、そうですよね」
「ちなみに、昨日は極々普通の装いで謝罪しに来たってさ」
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