40 ハクブルム国の木箱(1)
「おかえりなさい。お母様、ドミニク兄様」
「ただいま、ローザ。皆も、出迎えをありがとう」
アリシアの結婚式を無事に終えて、ハクブルム国からパトリシア一行が戻って来た。
「お父様は、やはりまだ戻られないのですね?」
「ええ。ディールス侯爵とバルマー伯爵と三人で、タチェ自治共和国にしばらく滞在するそうよ。十日もすれば戻って来られるのではないかしら」
パトリシア一行は大量の荷物をハクブルムから運んできたようで、馬車寄せには続々と馬車が入ってきては、次々と荷物を下ろしていく。
馬車寄せは大量の荷物であっという間に溢れかえった。
ドミニクが下された荷物の運び先を城の使用人たちに指示するのだが、明らかに人手が足りていない。それほど大量の荷物なのだ。
見兼ねたフェルナンドが騎士団の詰所に連絡を入れ、若い騎士見習いたちが荷物運びに駆り出され、今や馬車寄せは人と荷物とでごった返している。
「ローザ、ここに居たら邪魔になるし、危ないよ」
ローザは馬車から次々に下されてくる、細かな彫刻が施された大きな木箱を興味津々の眼差しで見つめていた。
「ねえ、シア兄様。あの木箱はハクブルム国のものなのかしら? 見たこたがない感じの彫刻がとても綺麗ですよね」
「あれがどこの物なのかは、僕には分からないな。とにかくここに居ては本当に危ないから、先にサロンに行っていよう。木箱のことは後で母上に尋ねみたら良いよ」
「……そうですね」
「ああ、疲れたわ」
「大丈夫ですか? 母上。夕食の前に少しお部屋で横になられたら如何です?」
「心配ありがとう。大丈夫よ、アスール」
サロンに入ってきたパトリシアは実際、顔色も悪く、酷く疲れているようにアスールの目に映った。元々身体が丈夫とは言えない身に、長い船旅はさぞかし辛かったのだろう。
パトリシアは自分を気遣うアスールをそっと抱きしめた。
「さあ、貴方たちにいろいろと渡すものがあるのよ。とは言っても、お土産は……さっき馬車寄せで見たでしょう? まだ仕分けに時間がかかりそうだから、明日にでも改めて渡すわね」
そう言ってパトリシアが微笑みながら取り出したのは、綺麗なリボンがかけられた細い筒状の物だった。
パトリシアはそれをシアンに手渡した。
「シアン、それを開けて頂戴。中身を潰さないように丁寧に扱ってね。そのリボンはローザに」
そう言ってパトリシアはニッコリ微笑んだ。
シアンはパトリシアに言われた通り、先ずはリボンを解いてローザに渡した。それから慎重に包みを開いていく。中から出てきたのは丸められた数枚の紙だった。
シアンは不思議そうな顔をして、テーブルの上でその丸まった紙をゆっくりと広げていく。
「まあ!」
ローザが嬉しそうな声をあげて、テーブルに駆け寄ってきた。
その紙にはドレス姿で、この王宮で一緒に過ごしていた頃と変わらぬ優しい笑顔を浮かべたアリシアの姿が描かれていた。
「もしかして……」
「そうよ。エルンストが描いてくれたのよ。ほら、他の絵も早く見て頂戴」
二枚目の紙には花嫁衣装を着たアリシアが、軍服姿のクラウス皇太子と睦まじ気に寄り添って立っている絵が描かれていた。
「本当に素敵な結婚式だったわ」
他にも結婚式の様子が描かれたスケッチが数点、王城の外観や街の風景を描いた絵などもあった。
最初の二枚以外はどれも時間をかけずにサッと描かれたもののようだが、結婚式に参列できなかった三人とっては、姉の幸せな姿を想像するには充分だった。
「このドレスはハクブルム国の伝統的な衣装なのだそうよ」
パトリシアが一番最初に見た絵を指差した。
「ハクブルム国はガラス製のビーズの生産が盛んなのですって。この絵からは分からないでしょうけれど、このドレスにもビーズが沢山使われていて、とても素敵だったわ」
テーブルの上いっぱいに広げられた絵のあちこちに微笑むアリシアが居る。
「良かった。アリシアお姉様はきっとハクブルム国でお幸せなのですね」
「もちろんよ、ローザ」
翌日、パトリシアはやはり旅の疲れが出たようで、朝食の席には現れなかった。
代わりにドミニクから「それぞれに渡す物があるので午後 “緑の間” に集まって欲しい」との伝言が届けられた。
緑の間とは、王宮の本館にある広間のうちの一つだ。部屋全体が落ち着いた緑色を多用しているためそう呼ばれている。
シアン、アスール、ローザの三人が緑の間に入ると、すでにそこには第二夫人のエルダ、ドミニク、ヴィオレータの三人が揃ってソファーに座っていた。
広間の壁際には前日ローザが馬車寄せで目にして、甚く興味を惹かれていた木箱がいくつも並べられている。
アスールたち三人も長椅子に並んで腰を下ろした。
最後にフェルナンドに伴われたパトリシアが緑の間に姿を見せると、ドミニクが立ち上がって口を開いた。
「過日、ハクブルム国のクラウス皇太子とアリシア姉上との結婚式はつつがなく執り行われた。ハクブルム国側より、我が王家の列席できなかった者に対し祝いの品を預かっている」
どうやら木箱の中身はそれぞれ違うようで、ドミニクは先ずはフェルナンド宛の木箱を探すと、それを使用人に指示して座っているフェルナンドの元へと運ばせた。
それから、エルダ、シアン、ヴィオレータと順番にそれぞれの木箱が運ばれていく。アスールも指定された木箱を受け取った。
間近に見たその木箱は、ローザが言っていた通り、繊細で美しい彫刻が側面に見事に施されていた。
だが、その側面の装飾部分よりもアスールが気になったのは、木箱の上蓋部分だ。
あれだけ側面に繊細な細工を施しているにも関わらず、何故か上面は素っ気ない木の板そのままなのだ。そしてその上面にはぐるりと一周溝が彫られている。
「ドミニク兄様。この場で中を開けてもよろしいですか?」
最後に木箱を受け取ったローザがドミニクに確認する。
「ああ、構わないよ。でも、ローザの力ではちょっと開けるのは難しいかもしれないね」
そう言うとドミニクはローザのところへやって来て、ローザの木箱に手を伸ばした。
「開けても良いかい?」
「お願いします」
「少し変わった箱なんだ。ローザはきっと気に入ると思うよ」
ドミニクは慎重に箱の蓋部分を持ち上げると、それをそのままひっくり返した。ローザが箱の中身を覗き込もうとすると、ドミニクはそのローザを静止して、ローザの目の前でひっくり返した蓋を箱の上にそっと戻した。
「まあ! 木箱が椅子になったわ!」
「そうなんだよ。面白いよね。木箱でもあるし、椅子にもなる」
ひっくり返した蓋の内側部分には、座り心地が良いように弾力のある布が敷き込まれている。
「ほう。これは良いな!」
声のする方を振り返って見れば、ローザとドミニクのやり取りを見ていたフェルナンドが、自分宛の木箱の蓋をひっくり返し、早速椅子の座り心地を確かめていた。
「この溝はその為のものだったのか!」
アスールも蓋をひっくり返して、さっきまで気になって仕方の無かった溝の使い道を確かめた。
「木箱も良いのだけれど、ちゃんと木箱の中身も見て頂戴ね。ハクブルム国の国王陛下から頂いたお品なのよ」
余りに皆が木箱の椅子で盛り上がっているので、パトリシアが困ったような顔をしてそう言った。
「まあ、ドレスだわ!」
ヴィオレータが取り出したのは、薄い紫色を基調とし沢山のビーズが刺繍されているドレスだった。
「あっ。私の中身もドレスのようです!」
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