37 それぞれの夏の過ごし方(1)
「話は分かったわ」
シアンからレガリアの発した “気” について聞かされたリリアナは小さく溜息をついた。
「悪い話では無さそうだし、数年間楽しませて貰えるってことで良しとしましょう。島の住人たちには特に私の方から知らせるつもりは無いわ」
「分かりました」
「シアン」
「はい」
リリアナは真面目な顔でシアンの目を見てそのまま話を続けた。
「レガリアには、こういった事は今後できる限り控えるように言った方が良いわよ。結果としてローザに注目が集まってしまうかもしれないわ。それは困るでしょ?」
「……そうですね。伝えます」
「戻ったらフェルナンド様にもきちんとお話ししてね」
「もちろんです」
「……シアン。貴方も苦労するわね」
そう言いながら、リリアナはシアンをそっと抱きしめた。
ー * ー * ー * ー
それからの日々は本当にあっという間だった。
毎日子どもたちの勉強を見てやりながらも、その合間に四人は学院から出されている夏の課題を進めなければならない。
特に、シアンに出されていた課題はアスールたちの想像を遥かに超える量で、数年後の自分たちの姿を想像し恐怖を覚えた程だ。
シアンはそれらの大量の課題をこなす傍ら、彼の愛鳥であるシルフィを鍛え上げることにも熱心に取り組んでいた。
海賊船に乗せてもらう話が出た時にシルフィを飛ばすことを買って出て以降、シアンは何度かリリアナの依頼でテレジアにあるアルカーノ商会との手紙の遣り取りを請け負った。
シルフィは今では海上を飛ぶことにもすっかり慣れたようで、回を重ねる毎に飛行時間を縮めている。
「ありがとうシアン、助かったわ。それにしても、今日もシルフィちゃんは随分と早く戻って来たわね。後は長距離飛行の訓練をするだけね」
そう言いながらリリアナはシルフィにご褒美のオヤツを与えている。
「そうですね。徐々に距離を伸ばして、一年後、王宮とこの島との往復飛行ができるようになっていると良いのですが……」
「それは良いわね。貴方がこの島に来れたとしても、来られなかったとしても」
「はい」
学院卒業後は、シアンも兄のドミニク同様王族の一員として公務に携わるようになるのは必至で、おそらくこの島でこの夏のような長期の休暇を過ごす事は叶わないだろう。
それはシアンも、公爵令嬢であったリリアナも充分に理解している。
「この夏は僕にとって、本当にかけがえのない日々でした」
「そうね。……私もよ」
一方、アスールはこの夏に目覚ましい進歩を遂げた。
この夏三回目の釣りで、遂に自分の手で針に餌を付けることに成功したのだ。
(ルイスとシモンがローザの面倒を見るのに手一杯だったため、仕方無く自分でやらざるを得なくなったというのが本当のところだが)
「一度心を決めればなんとかなる!」
いくらそうルイスに言われても、あのウネウネクネクネモゾモゾするアイツは気持ち悪いし、怖いものは怖い。そんなアスールにミリアがぽつりと言った。
「もしかしてアスールお兄ちゃんは、その虫が怖いの?」
側に居たフェイとレイフが、居た堪れないという表情を浮かべてアスールからすっと視線を逸らしたのが見えた。
「怖い? そ、そんなことは無いよ。別に、どうってことは、無いし」
「そうだよね。ミリアも怖くないよ!」
そう言うとミリアはひょいと餌箱からウネウネを一つつまむと、いとも簡単に針先にそれを躊躇なく取り付けた。
「あれには参ったね!」
その晩レイフは、その日のアスールが青褪めながらも釣り針に餌を付けた勇姿を、皆に面白可笑しく身振り手振りをつけて何度も語って聞かせた。
「レイフ、良い加減にやめてよ! 僕の話はもういいから!」
「だって本当に面白かったんだもん。でも、できるようになったんだから良かったよね、アスール」
「……まあね」
「ミリアのお陰だね」
「……」
レイフはといえば、夏の間フェルナンドからの指示を守ってシアンとアスールを相手に、剣の鍛錬を懸命に続けていた。
すっかり身体に染み込んでしまっている我流の剣技をどうにか矯正したいようで、シアンの鍛錬の様子を、シアンが戸惑う程近くで観察して自分の剣に活かそうと精進している。
「レイフ。兄上に近付き過ぎると……危ないんじゃないかな?」
見兼ねたアスールが声をかけたが、
「大丈夫だよ。万が一剣が飛んできてもちゃんと避けるし、怪我をしたとしてもそれは僕の責任! 文句は言わないからね」
と、一向に気にする様子は無い。
初めのうちはかなりやりにくそうにしていたシアンも、今では観察されることにもすっかり慣れてしまったようだ。
シアンはシアンで海賊たちが頻繁に使う “短剣” に興味を持ったようで、ミゲル船長やジルを見かけると、短剣を使った戦い方を熱心に教わっていた。
ー * ー * ー * ー
「僕はローザだと思うな!」
「そうかしら?」
「うん。僕もローザちゃんだと思う」
「そうだね。僕も二人の意見に賛成かな」
「まあ、シア兄様まで?」
いよいよ明日、アスールたち王家一行は一か月近くを過ごしたこの島を出て王都ヴィスタルへと戻る。
「あらあら、何の話をしているの? 貴方たち四人の楽しそうな声が廊下の向こうにまで響き渡っているわよ」
「本当? 今ね、この島でこの夏一番楽しんだのは誰か? って話をしてたんだよ」
賑やかな食堂にリリアナが入ってきた。レイフがリリアナに今までの遣り取りを掻い摘んで話して聞かせた。
「それで、一番はローザなのね?」
「お兄様たちはそう仰るのですけど……」
「あら。ローザは誰だと思うの?」
「私は、アス兄様だと思います。だって、アス兄様ったらあんなに日に焼けて!」
「「確かに!」」
シアンとレイフの声が揃った。
「誰が一番でも、貴方たちがここでの毎日を楽しんでくれたのなら、私は本当に嬉しいわ。それで? 貴方たちの今日の予定は? 最後に何をして楽しむの?」
リリアナがシアンに尋ねる。
「今日は勉強部屋の後、皆で海へ泳ぎに行こうかと思っています」
「あら。最後の日ぐらい勉強部屋はお休みしても構わないのよ」
「いえ、最後の日だからこそ、きちんと参加しますよ」
「そう? そうしてくれるのなら、私としては助かるけど……。そうね。じゃあ、料理人に言ってお昼用のお弁当を用意させるわね。海岸で食べると良いわよ」
「やったー!」
リリアナの提案にレイフがすぐに食い付いた。
「ねえ、母さん。イアン兄さんは今テレジアの商会に居るんだよね? 夕方には帰るって話だったけど、もっと早く戻って来られないかな? 最後だし、皆で海水浴に行きたいと思って」
「イアン? さあ、どうかしら。誘えば戻って来るんじゃない? ホルクを飛ばしてみたらどう?」
「そうだね。そうしたら……兄さんの分のお弁当もお願い」
「イアンの分は返事が来てからで良いでしょ?」
「大丈夫! もし兄さんが来られなくても問題無いよ。皆でしっかり全部食べるからね」
「まったく、レイフったら! 分かったわ。五人分ね」
「よろしく!」
リリアナが食堂から出て行くとレイフがシアンに、シルフィをオクルタ島のイアンのところまで飛ばして欲しいと頼んだ。
「それ、ピイリアじゃ駄目かな?」
「えっ?」
「シルフィの代わりにピイリアに手紙を運ばせるのは……どう?」
レイフがシアンを振り返って見ている。レイフでは判断できないのだろう。
「最初の一回目は挑戦してみないと分からないよ。僕は、試してみたら良いと思うけど」
アスールの予想に反してシアンはあっさり承諾した。
「やった!」
「失敗しても、兄さんの分のお弁当を僕らで食べれば良いってだけの話だしね」
「レイフ、それってちょっと酷くない?」
「そうですわ。ピイちゃんならテレジアにだってきっと飛んで行けます!」
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