35 果樹園のリンゴ
島での生活も終わりが見えてきた。
フェルナンドが最後に送ってきた手紙にはパトリシアたちの正式な帰国日が書かれており、遅くともその前日には出迎えをするために、ヴィスタルに戻って来るようにと書かれていたのだ。
「なんだかんだ、あっという間だったね」
「そうですね。この島での日々は、今まで経験したことのないことばかりが沢山あって、本当に毎日凄く楽しかったです」
「ローザ、まだ帰りたく無いのだろう?」
「……そうですね。でもお母様に早くお会いしたい気持ちはありますよ」
ローザのその気持ちはアスールにも充分理解できた。ここでの暮らしは新鮮で日々変化に富んでいて飽きることがないのだ。
「いけない。早くお祖父様たちへのお土産を用意しなくては!」
ローザがハッとしたように立ち上がった。
「何を言ってるの? お土産ならテレジアの町に行った時にもういろいろと買ったじゃない。あれだけあればもうお土産は充分だよ」
「駄目です、アス兄様! 肝心な物を忘れていました」
「まだ何か、足りない物があったっけ?」
「はい。私も去年アス兄様がシーディンのオイル漬けを作ったみたいに、何か手作りのお土産を贈りたいのです!」
「ああ、そう言うことか……」
確かにローザが最初に送ったフェルナンドへの手紙の中にもそんなような内容を書いていたことをアスールは思い出した。
「それで? いったい何を作るつもり?」
「ジャムです!」
確か去年の旅行の後、ルハンの離宮でルシオがローザに採りたての果物でジャムを作った話をしていた。
あの時ローザはやけに詳しくルシオに島にはどんな果物があるのか、それはどこで手に入るのかなどを質問していたのをアスールは思い出した。
「果物の収穫から始めるつもり?」
「もちろんそうですよ。アス兄様もご一緒して下さるでしょう?」
「まあ、良いけどね」
「でしたら、今日の午後、裏山に果物を収穫に行きましょうね」
「今日の午後? ……はいはい。お供しますよ」
昼食後。収穫した果物を入れるための大きな籠を二つローザは厨房から借りてきた。
(えっ。どれだけ沢山収穫するつもりなんだ?)
その籠を(アスールが)持って玄関を出ると、昼食を食べ終われば普段だったら家へと帰っている筈の子どもたちが数人、まだ玄関前でウロウロしていた。
「お待たせしました。さあ、行きましょう!」
ローザが子どもたちにそう声をかける。
「ちょ、ちょっと待ってよ、ローザ。その子たちも一緒に連れて行く気なの?」
「えっと……駄目ですか?」
よく見れば、残っていたのは五人で、そのうち二人はまだ小さな子だ。
どうやら小さい子の部屋で絵本を読みながら午後の予定をローザが話したようで、一緒に行きたいと二人が言い出したらしいのだ。
「僕たちだけで五人を連れて行くのはどう考えても無理だよ。誰が小さい二人の面倒を見るの?」
その場にはアスールとローザの他には、ジャムの制作指導を請け負ってくれたダリオが一人居るだけだ。
「アスール兄ちゃん。ミリアなら僕が面倒を見るから全然問題無いよ!」
フェイが自信満々にそう言った。
「キアナの面倒なら、俺とシモンでちゃんと見れるよ! な? シモン?」
「ああ、任せて! 俺たちも沢山収穫して、母さんにジャムを作って貰うんだ!」
ミリアは四歳。まだ三歳のキアナはルイスの妹で、普段からシモンとルイスで面倒を見ているらしい。
そうは言われても、このメンバーでは正直不安過ぎる。収穫作業に夢中になれば、フェイたちだって、きっと妹から目を離すだろう。お兄ちゃんぶっては居るが、三人だってまだ小さいのだ。
「でしたら、他の人にも声を掛けましょうか。このまま少々御待ち下さい」
ずっと黙って様子を見ていたダリオがアスールに声をかけ、屋敷に入って行った。
「ごめんなさい。アス兄様。私の考えが足りませんでした……。皆で一緒に行ったら、楽しいかと思って」
「そうだね。次からは気を付けて。外出時、ローザにはいつも護衛が付いているけど、今はそうじゃないんだから」
しばらく待っていると、ダリオはエマと、それからシアンとレイフを連れて戻って来た。
「何か楽しそうなことをするんだって?」
「僕も行くよ! これ、持ってきた。いっぱい収穫して来いって母さんが!」
リリアナから渡されたのだろう、二人はそれぞれ追加の籠を持っていた。
ー * ー * ー * ー
「先ずはこっちに行こう!」
レイフの先導で一行は果樹園に向かう。
果樹園は裏山に行く道の途中にある。
レイフの話では果樹園には小振りのリンゴの木があって、そのうちの一本の実は加工用に適しているらしい。ジャムにするのはもちろんだが、焼いても甘酸っぱくて美味しいらしく、明日のデザート用に少し収穫して来て欲しいと料理人から頼まれたそうだ。
「ここだよ」
そう言ったきり、レイフが果樹園の入り口で足を止めた。レイフは不思議な物でも見たかのように、数本あるリンゴの木を見つめて立ち尽くしている。
「どうかしたの?」
アスールがレイフに問いかけた。
「どうしたんだろう……。五日前に来た時はこんなじゃなかった」
「何が?」
「……リンゴが生ってる」
アスールたちの目の前に、真っ赤な実を沢山つけたリンゴの木が並んでいる。
「あはは、何言ってるの? リンゴの木なんだから、そりゃあ実が生っているに決まってるんじゃないの?」
「アスール、そうじゃないんだ」
「ん?」
「あの右端のリンゴの木。もう収穫作業を終えた筈の木にまで、まだ沢山実がついてる。変だよ。こんなことあり得ない!」
レイフとアスールのすぐ後ろに立っていたシアンが振り返って、ミリアとキリアと楽しくお喋りしながら、のんびりと後ろを歩いてくるローザに目をやった。
ローザの腕の中にはしっかりとレガリアが収まっている。
「そうだとすれば……きっとあの時のアレだろうな」
シアンの言葉にアスールも後ろを振り返った。
「兄上、それはもしかしてあの夜の?」
「そうだと思う。それしか考えられないだろ?」
「何? 何? 二人ともいったい何の話をしているの?」
レイフが真剣な表情でシアンとアスールの会話に割って入ってきた。
「レイフ。僕、この前言ったよね? この先で神獣サスティーに出会ったって」
「ああ、それなら聞いたよ」
「あの時、サスティーを呼び出すために、おそらくレガリアが何か “力” を裏山に向けて使ったと思うんだ」
「力を使う?」
レイフが不思議そうな顔をしてアスールを見ている。
「レガリアがはっきりそう言ったわけじゃないけど。うーん。何って説明すれば良いんだろう……」
「ある瞬間。僕らの中を不思議な “波” みたいなものが通り抜けた感覚があった」
「そう! そうです。兄上!」
あの時、確かにローザも含めて、三人は同時に声をあげた。あの不思議な感覚は絶対に気のせいなんかでは無い筈だ。
「それって、光属性の波ってこと? だからリンゴが成長したってアスールは言いたいの?」
「分からないけど……もしかしたら?」
レイフはこの不可解な状況を理解しようと考え込んでいるように見える。それから何か思い当たったようで、一瞬にしてその表情を変えた。
「ねえ、アスール。さっき、君はレガリアが裏山に向けてって言ったよね?」
「言ったよ」
「もしかしてこのリンゴ以外にも、同じような現象があったりするんじゃない?」
レイフの問いにアスールとシアンはハッとして顔を見合わせた。
「行ってみよう!」
「待って! その前に頼まれてたリンゴを収穫しないと!」
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