33 ローザと海賊と晩御飯
「今は何をしているのですか?」
「ああ、錨を下ろしているのさ。この場所でしばらくの間、船を停め置くんだよ」
ローザの質問に答えていたのは甲板長のマルコスだった。
かなり日焼けした強面のマルコスに対しても、ローザは最初から全く物怖じする様子もなく話しかけた。マルコスを逆に戸惑わせる程に。
「ここでしばらく船を停めるのですか?」
「そうだ。今からこの海に潜って、今日の晩飯の食材を獲りに行くのさ」
「海の中に?」
「そうさ! 見てりゃ分かる」
しばらくすると若い水夫が三人、続け様に勢いよく海へと飛び込んだ。
ローザは手摺りから身を乗り出すようにして、水夫たちが飛び込んでいった海面を覗き見ている。
余りにもローザが船上を好き勝手に歩き回りたがるので、ミゲルはローザの腰にロープを結び付けた。
そのロープの反対側に結ぶものとして船長のミゲルが選んだのは、なんとマルコスだったのだ。今やマルコスは海賊船の甲板長では無く、ローザの一日お守り係と化していた。
「危ねえから、嬢ちゃん。あんまり身を乗り出すなよ!」
そう声をかけながら、マルコスはローザから伸びたロープを太い腕でしっかりと握っている。
「何を獲りに行ったのです?」
「貝だよ。この辺りはそれ程深くねえ。デッカいのがわんさか獲れるんだ」
そんな話をしている間にも水夫が一人海面から顔を出した。手には大きな巻き貝を持っている。船上から歓声が上がった。水夫は船から降ろされた籠に巻き貝を入れると再び水中へと戻っていく。
「あれを食べるのですか?」
「そうさ。軽く湯掻いて細かく切って食べる。美味いぞ!」
今度は別の水夫が何やら網のような物を持って水面に顔を出した。
「あれは?」
「ああ、あれは仕掛けておいたエビを回収してるのさ」
「エビ?」
「あの網でできた籠の中に魚を入れて一晩置いておくのさ。そうすると次の日にはその魚を食べに入ったエビが入ってる。一度入ったら出れねえ仕掛けさ」
「凄いですね!」
「だろう? あっちも絶品だぞ」
水夫たちが捕った巻き貝とエビが船へと引き上げられる。引き上げられた籠の中身を見た水夫たちの反応を見るに、短時間の割にはなかなかの大漁だったようだ。
「マルコスさんもあんな風に潜れるのですか?」
「俺か? 俺は、泳げるが潜れねえ。深く潜れる奴はこの船でも少ねえな」
「嬢ちゃんは? 泳げるのか?」
「私は今はまだ泳げません。でも、この島に居る間に泳げるようになる予定です」
「ほう。そりゃ良いな! 島の海は、浅いとこにも綺麗な魚が沢山いるから、泳げるようになったら楽しいぞ」
「それは楽しみです! あのね、マルコスさん。私の目標は、イルカと一緒に泳ぐことなのですよ」
ローザが小声でマルコスに打ち明けた。
「……。ああ、ええと。それはちょっと。まあ、今年の夏は……ちいと難しいかもな」
夕焼け空の下、皆で夕飯を一緒に食べた。
殆どは屋敷の料理人が作ってくれた物を船に持ち込んだものだったが、水夫たちが捕って来たばかりの巻き貝とエビを目の前で調理しはじめた。
「貝とエビはサッと茹でて刻む。トマトと玉ねぎとハーブも刻んで全部合わせる」
そう言いながら、一人の水夫がローザに大きな木製のスプーンを手渡した。ローザは言われた通りに大きな鍋の中身を、水夫から受け取ったスプーンで一生懸命混ぜ合わせていく。
「オイルを振りかけ、塩を加える。そこにライムをたーーーーっぷりと絞る。これが秘訣!」
水夫二人がかりで、次から次へとライムを半分に切っては絞っていく。
「さあ、これを全部まとめてサッと混ぜ合わせれば……はい。できあがり!」
あたりはライムの爽やかな香りに包まれた。
「まあ、とっても美味しそうです!」
「手伝ってくれた嬢ちゃんには、一番重要な味見係をお願いしようかな」
水夫がローザに今度は小さなスプーンを手渡した。ローザが目を輝かせる。
エマが眉をひそめ「毒味も無しに海賊の作った得体の知れない物を食べさせるなんてあり得ません!」といった表情をシアンに向けた。
だが、シアンにはローザを止める気は全く無いようで、海賊たちとローザのやり取りを笑って見ているだけだ。エマが天を仰いだ。
ローザは鍋にスプーンを差し込むと、たっぷりとライム果汁に包まれた貝とエビを乗せ、躊躇うことなくスプーンを口に運んだ。
「うわー。凄く美味しいです!」
既に船長から酒を飲むことを許された者たちも居るようで、ローザの「美味しい」の一言に一気に船の上は盛り上がる。
「それで、これは何というお料理なのですか?」
「えっと、これの名前? うーん。そうだなあ……そう! “海賊のマリネ” だ!」
ワインの樽が開けられ、デッキ上では肩を組んで歌を歌い始める者も出てきた。ローザはレイフとイアンと一緒に、手拍子をしながら輪になって海賊の歌を聴いている。
シアンとアスールは少し離れた場所から、楽しそうな皆の様子を眺めていた。
「いつもこんな風に皆で賑やかに食事をするのですか?」
アスールが干し肉をツマミにワインを飲んでいるミゲルに声をかけた。
「まさか! 一度海に出たら、数日から数週間は海の上だ。そうなると新鮮な肉や野菜は手に入らない。硬いパンと干し肉。良くて釣った魚と根菜のスープが付くこともある。それも手の空いてる者から順に食べる。酷い時は立ったままな」
「今日は特別! このワインだって君たちのお祖父様からの差し入れだしね」
副船長のジルが、ワインがたっぷり入ったカップを手に持ってアスールの横に腰を下ろした。
「普段この船に積んであるワインとはまるで別物ですよね、船長?」
「ははは。そう贅沢を言ってくれるな」
もうすっかり真夏の太陽も水平線の下に沈んでしまい、真っ暗な海の上にあるのは、煌々と明かりを点け愉しげな歌声の響くこの海賊船と、空に浮かぶ数多の星々だけになった。
「今日は船に乗せて頂いてありがとうございました。この間はオクルタ島も見せて頂きましたし。オルカ海賊団にとっては、どちらも秘すべき対象の筈ですよね?」
シアンが静かに話し出した。
「まあ、そうだな。でも、お前さんたち兄妹は誰にも喋らないだろ?」
「僕たちは。……ですが、ローザは分かりませんよ?」
シアンの台詞にアスールがローザの居る方に視線を向けると、ローザが欠伸をしながら瞼を擦っているのが目に入った。
「おや。小さなお姫様はそろそろ寝る時間か?」
ミゲルはワインのカップを床に置くと、立ち上がり、歌を歌っている輪の方へ向かって歩きはじめた。アスールは慌ててミゲルの後を追う。ミゲルはアスールに「心配するな」と手で合図をした。
「さあ、そろそろ子どもは寝る時間だ!」
ミゲルは海賊たちの輪に混じって座り込んでいたローザの後ろに立つと、そうローザに声をかけた。
「まだ大丈夫です。眠くはありませんから!」
「そうか? さっきから何度も欠伸をしているのが見えたぞ」
「……でも」
「今寝ておかないと、後できっと後悔することになるが。それでも良いのか?」
「どういうことですか?」
「必ず起こしてやるから、今は少し寝ておけ。船長室のベッドを貸してやる」
そう言うとミゲルは座っているローザを後ろからひょいと持ち上げると、そのままローザを抱き抱え歩き始めた。
「きゃあ」
「すまん、すまん」
「寝て起きたら、何かがあるのですか?」
「ああ。今まで見たことが無いものを見せてやる。約束だ」
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