30 物語の中の神獣たち
「あの時は、助けてくれてありがとう」
アスールはしきりとアスールの匂いを確認しているサスティーに恐る恐る手を伸ばした。
見た目よりもずっと柔らかい毛に覆われたサスティーの首筋にそっと触れてみる。サスティーが嫌がる素振りを見せないのを確認すると、アスールはサスティーの太い首に腕を回して抱きついた。
「良かった。やっぱりあの時霧の中であなたに会ったのは、僕の夢じゃ無かったんだね」
「夢の筈は無いでしょ。それにあの時、貴方は一人では無かった筈よね? 一緒に居たもう一人の男の人はどうしたの?」
「アーニー先生だったら、もうこの国には居ないんだ……。今はハクブルム国というところに行ってる。もう先生がこの国に戻って来ることは、これから先二度と無いかもしれない」
「そうなの? 私にはあの男の “さだめ” は貴方と共にあるように思えたのだけれど……」
「本当に?」
「まあ、私にはどちらでも良い話よ」
サスティーはアスールとの会話に興味を失ったようで、レガリアの方を振り返った。
「それで? しばらくここに?」
「いいや。そう長くは留まれん」
「……そう。それは残念ね」
「あの……」
ローザが遠慮がちに声をかけた。
「何? 私に何か聞きたいことでもあるの?」
「あなたはずっと誰とも契約せずに……どうやって力を保っているのですか? レガリアは凄く弱っていたのに」
「弱っていた?」
サスティーはそう言いながら憐れむような目をレガリアに向けた。
「清らかな水の湧き出る場所の近くであれば、わざわざ人の子と “契約” なんて面倒なことをしなくても、私は生きていかれるのよ」
「そうなのですか?」
「そう。私だけではなく、スヴァーグ、パンテーヴァ、チュラード、ケファール、それからテルテラも同じ」
アスールには理解できなかったが、どうやらサスティーが言っているのは他の神獣たちのことのようだ。
「水、火、氷、雷、風、地。私たちは自然の中からいくらでも力を得ることができる。でも、光を糧とするティーグルにはそれができない。だから、生きていくためにティーグルは人の子と契約するしか無いってことね」
「 “契約” はお前が思う程、そう悪いものでも無いがな」
レガリアがそう言うのを聞いたローザは、レガリアにぎゅっとしがみついた。レガリアはそんなローザの頬を鼻先で優しくそっとつついた。
「我は望んでローザと共に居る。人の子と生きるのも、存外愉快なものだぞ」
サスティーは何も答えずに、考え深げな琥珀色の瞳でレガリアを静かに見つめている。
「さあ、屋敷に戻るぞ。お前たちは、明日もまた予定があるのだろう?」
「そうですね。戻りましょう」
シアンが答えた。
「ローザはもう寝る時間だ。それに今日は我も少し疲れた。戻って休もう」
全てを言い終えないうちに、レガリアはすっと小さい姿に戻ってしまった。アスールが慌てて小さくなったレガリアを抱き上げる。
「サスティー。また会うこともあるだろう。呼びつけて悪かったな」
ー * ー * ー * ー
「ティーグルの存在ですら驚くべきことなのに、まさか水の女神アクエルに仕えていたとされるサスティーにまで会えただなんて……。この島に神獣が住んでると信じている人たちが居るとは聞いていたけれど、あれは事実だったんだね」
部屋に戻ると、シアンは先程まで自分たちの目の前で起きていたことが信じられないと、普段のシアンらしからぬ程興奮した様子でアスールに熱く語っている。
その一方で、アスールはサスティーに会えた喜びはあるものの、レイフの居ないタイミングでこの出会いが起こってしまったことに、若干の後ろめたさも感じていた。
もちろんアスールに非があるわけでは無いが、レイフから「今後は隠し事は無し!」と言われたばかりなのに……。
(朝になったらサスティーに会ったことはすぐにレイフに伝えなきゃ。不可抗力だよね? うん。僕は悪くない! 多分)
「ねえ、兄上。さっきサスティーが言っていた名前って……」
「ああ、それなら子どもの頃に母上に読んでもらった神話の絵本の中に出てきた名前ばかりだったよ。目の前で神獣サスティーの口からその名前が出たってことは……他の神獣たちもちゃんと実在するってことだね」
シアンはアスールにサスティーが言っていた他の神獣について、絵本や神話に書かれていることを掻い摘んで教えてくれた。
「火の男神イグニアに仕えるのは、スヴァーグと言うドラゴンだよ。スヴァーグは大陸西部の火山地帯に住んでいる。神話にはそう書かれている」
「火山に住むドラゴンですか?」
「そう。完全に物語の中の生き物だと思っていたドラゴンが、実際にこの世界のどこかに居るのだったら、是非一目だけでもいいから自分のこの目で見てみたいよ」
アスールもシアンと同じように「ドラゴンなんて架空の生き物だ」と今の今まで考えていた。
だが、それを言うならレガリアやサスティーだってそうなのだ。「有り得ない!」と言い切ることはできないとアスールも思った。
「でも、もしドラゴンと契約している人が居たとしたら、知らない者など居ないくらいの大騒ぎになっているでしょうね」
「そうだね。でも、ドラゴンもレガリアのように自分の意思で姿を変えられるとしたら?」
シアンはそう言って意味深な顔をして見せた。
「それなら……市井に溶け込める?」
「かもしれない」
「だったら、ドラゴンの契約者も良いですね!」
「忘れているかもしれないから言っておくけど、僕もアスールもそもそも火属性では無いよ?」
「あっ! そうでした!」
二人は顔を見合わせると、声をたてて大笑いした。
「氷の男神グラーシャに仕えるのはパンテーヴァだね。絵本で見た感じからして、雪豹のような姿なんじゃないかな。そうだね、大きさはレガリアくらい?」
「そう言えば、前にローザが氷の神は暑い地域には暮らせないから、居るとしたら寒い地域だろうって言ってました」
「確かにそうだね」
「寒い地域か……ロートス王国も冬は厳しいと父上が以前仰っていましたね」
「ロートス王国か。もしそうなら僕たちも第三の神獣に会えるかな?」
そう語るシアンは凄く楽しそうだ。
「雷の男神トニトルに仕えるのはチュラード。チュラードは金色の鹿のような見た目らしいよ」
「今までの傾向からすると、生息地は雷の多いところですよね? それってどこでしょうか?」
「雷が多発する地域なんて聞いたことがないな」
「雲の上……とか?」
「あはは。それじゃあチュラードに会うのは難しいかもね」
シアンによると残りの二神獣、風の女神シルファに仕えるケファールは砂漠地帯、地の女神テラーラに仕えるテルテラは穀倉地帯で暮らしていると、昔シアンがパトリシアから読んでもらった絵本には書かれていたらしい。
「テルテラは頭に二本の角を持つ白馬に似た生き物で、ケファールは美しく緑色に輝く羽根を持つ鳥だよ」
シアンは楽しそうに子どもの頃の記憶を手繰っていく。
「絵本の中では、二本の美しい角を持ったテルテラが枯れた大地の上を駆けると、何も無かった痩せた地面が次々と緑豊かな土地へと変わっていくんだ。あの頃、あの絵本が僕のお気に入りだったな」
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