7 ローザと図書室の猫(1)
「学院の図書室も、とっても素敵なところですね!」
初めて足を踏み入れる図書室にローザは感嘆の声をあげた。
来週まで待てば第一学年の学生にも図書室が開放される予定になっていたらしいが、シアンが司書の先生にお願いして、少々特別にローザの入室許可を捥ぎ取ってきた。
第一学年に図書室への入室許可が出てしまえば、普段は静かな図書室もしばらく物珍しさから入室者が増える。
そうなる前にローザとティーグルを引き合わせる計画だ。
「それにしても、兄上はどうやってローザの入室許可を取ったのですか?」
「どうしても魔導具を作る上で参考にしたい本が有るけど、僕にはその本の題名は分からない。妹だったら、本の題名は忘れてしまっているけれど、その本を読んだことがあるので見つけられると思う!って言っただけだよ」
シアンは司書の先生にしれっと嘘をついたらしい。
「……そうでしたか」
「兄が嘘つきで、ガッカリした?」
シアンはアスールを見て笑っている。
「いいえ」
「ローザ、こっちだよ!」
シアンを先頭に、三人はいつもの場所を目指した。途中ローザはキョロキョロと図書室内を観察しながら、二人の兄の後をついてきた。
シアンはすっかり定位置となっている隣り合ったキャレルの片方にいつものように荷物を置き、近くにあった椅子を持ってきて、それをアスールのキャレルとの間に置いた。
「僕たちはここで勉強をしているから、ローザは何か好きな本を探してきて、この椅子で読んでいると良いよ。あまり遠くへ行かないでね」
「はい」
そう返事をすると、椅子の横に荷物を置き、ローザは近くの書棚の方へ向かった。並べられている本の背表紙の文字を興味津々の眼差しで眺めている。
あのあたりにあるのは、確か古語で書かれた本ばかりだったはず。アスールは時々本棚から本を引き抜いては戻すを繰り返しているローザを眺めていた。
「……妹を連れてきたのだな」
その声の主はティーグルで、今日はアスールの膝の上に座るのではなく、アスールの目の前、机の上を悠然と歩いている。
「ああ、うん。ローザの魔力のこともあるし、お祖父様が早めにきちんと君とローザを引き合わせた方が良いって仰って」
「あの男が?ふむ」
「お祖父様はあなたにローザを託したい。そう僕たちに仰いました」
隣のキャレルからシアンが覗き込むようにして、ティーグルにそう話しかけた。
「このままローザが魔力の扱いを上手くできず、ただ無駄に垂れ流しているより、あなたがローザを導く方がお互いにとって利が大きいのでは無いですか?」
「我を利用すると? 人の子如きが?」
「少なくとも、ローザにそんな意図はありませんよ。もうご存知でしょう?」
ティーグルはシアンからローザに視線を移した。相変わらずローザは書棚の前で行ったり来たりしている。
ティーグルはしばらくそんなローザの様子をじっと見つめてから、再びシアンの方に向き直った。
「ここからは……あの娘次第だ」
そう言い終えると、ティーグルはふわりとテーブルから床に降り、ローザの居る書棚の方へと歩き出した。
ティーグルはローザの近くまで行くと、注意深くローザの左足に身を寄せた。ティーグルは尻尾をそっとローザの左足に絡ませる。
一瞬自分の足に何が触れたか分からなかったようで、ローザはギョッとした顔で足元を見下ろした。そのローザの表情が一瞬にして驚きから悦びに変わるのがアスールにも見て取れた。
「まあ。あの時の猫ちゃん!」
ローザはすぐに座り込み、見つけた猫に向かって手を伸ばす。
「ローザ!」
シアンの声に驚いたローザがビクっとして、伸ばしかけていた手を慌てて引っ込めた。ローザは座り込んだままシアンと猫とを交互に見ている。
「抱っこしても良いかしら?」
それはシアンに向けて言ったのか、猫に向けて言ったのか、アスールには分からなかった。ティーグルが一歩進み出て、中途半端に伸ばされたローザの手に擦り寄った。
「ふふふ。じゃあ抱っこするわね」
そう言うと、ローザはティーグルを抱き上げた。
「とってもお利口さんね」
ローザはティーグルを抱えたままシアンとアスールに近づいて来た。ティーグルはまるでただの猫のようにローザの腕の中におとなしく収まっている。
「お兄様、この仔です! 私が入学試験の時に出会った猫ちゃん」
ローザは興奮気味に話し続けた。
「それにしても、どうしてこんなところに? もしかしてこの図書室で飼われている猫なのかしら?」
シアンとアスールはティーグルがどうするつもりなのかを計りかね、そのまま黙って様子を見ていた。
ローザは椅子に座り、ティーグルはローザの膝の上で丸まって目を瞑り、気持ち良さそうに背中を撫でられている。
「可愛いと思いませんか?」
ローザが二人の兄に尋ねる。
「そ、そうだね……」
アスールがたどたどしくそう答えると、ティーグルは片目だけを開けてちらりとアスールを見上げた。
「ねえ、ローザ」
「なんです? シア兄様」
「その仔を撫でていて、ローザは何か感じない?」
「ええと、何かって何ですか?」
ティーグルは今度は頭を上げて、シアンをじっと見つめている。
シアンは少し困ったように一瞬笑って、それから静かにローザに向かって話し始めた。
「あのね、ローザ。ローザが今膝に乗せているのは猫ではないんだよ」
「? どう見ても、猫……ですよね?」
シアンは首を横に振った。
「猫で無いなら……何ですの?」
ローザは訳が分からないという表情でシアンとアスールを見た後、膝の上の「猫では無い」とシアンから言われたそれに視線を落とした。
「お前の兄が言うように、確かに、我は猫ではない」
ローザは膝の上に乗せた猫では無いそれの声に驚いて、それまで背中を優しく撫でていた両手をパッと上に上げた。
「もしかして……今、喋りました?」
「驚かせたか?」
「……少し」
「それは悪かった」
「いえ」
ローザはどう振る舞うべきか分からないという表情で、身体を強ばらせ、両手を上げたまま、両脇に座る二人の兄を交互に見ている。
「そんなに心配しなくても、危害を加えられるようなことは絶対に無いから安心して良いよ」
シアンの台詞にアスールも大きく頷いた。ローザがふうっと息を吐く。
「猫では無い。人の言葉を話すことができる。いったい何者なのですか?」
「ティーグル。神獣なんだって。ほら、これを見てご覧」
アスールが一冊の本を開いてローザに手渡した。
ローザはずっと上げたままだった手をアスールの方へと伸ばし、差し出されたその本を受け取った。以前アスールが見つけたティーグルについて書かれた部分に目を通す。
「本当に? ルミニス様の?」
ティーグルが返事をするより前に、アスールが何度も頷いているのをローザが大きく見開いた瞳で見つめている。
「そうですか。神獣ティーグル……」
ローザは持っていた本をアスールに返すと、躊躇いがちに右手をティーグルの身体の上にそっと下ろした。ティーグルは頭を少し動かして「背中を撫でろ」と言わんばかりにローザの空いた左手の上に顎を乗せる。ローザは右手で優しくティーグルの背を撫でた。
「ローザ、魔導実技基礎演習の授業で、地属性の先生から魔力の扱いを習っているだろう?」
「はい、習っています」
「ティーグルの話によると、今のやり方では魔力をただ無駄に垂れ流しているだけだそうだよ」
「えっ? そうなのですか?」
「どうやらそうらしい」
ローザは驚いた顔で膝の上のティーグルに目をやった。
「授業中に溢れたローザの魔力は、ティーグルが全部回収済みだよ。ティーグルは光の魔力を糧にして生きているそうだからね」
シアンは前にティーグルから聞いたことをローザに話して聞かせた。
これまで長い年月、光の属性を持つ者が現れなくてティーグルが徐々に力を失いつつあったこと。
ローザがアスールに渡したホルク通信用のセクリタの欠片と、お祖父様に渡した大きなセクリタを使って少しだが力を取り戻すことができたこと。
もしローザが望むのであれば、ローザがティーグルに魔力を分け与え、代わりに魔力の扱い方などをティーグルから教わることも可能だということなど。
「私があなたに魔力を渡すには、セクリタに魔力を溜めてそれを渡せば良いのですか?」
「それも一つの方法ではある」
「他にも?」
「その辺に垂れ流してあれば、我が勝手に回収して歩く」
ローザはそれを聞いてクスリと笑った。
「後は……」
「後は?」
「一番手っ取り早いのは、我と其方が契約を交わすこと。だな」
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