5 ただいま、おかえり
「やはり、もうアーニー先生はクリスタリアにはいらっしゃらないのですね……。なんだか、寂しいですね」
小さな溜息と共にローザが呟いた。
四の月に入るとすぐに外泊許可を申請し、シアン、アスール、ローザの三人は王宮へと戻って来ていた。
姉のアリシアが結婚のため国を離れるまでの間、可能な限り週末だけでも家族で一緒に過ごしたいと、皆の意見が一致したためだ。
「十日程前に出発されたのよ。ヴィスマイヤー卿の母国語はゲルダー語ですもの。皆にすごく頼りにされていたわ」
「お姉様も随分とゲルダー語を熱心にお勉強されてましたよね?」
「そうね。今もちゃんと続けているわよ」
アリシアがアーニー先生たち一行がハクブルムへと出発した時の様子を教えてくれた。後一月半もすれば、そのアリシアも国を離れることになる。
「クラウス様をお支えするためにも、最低限その国の言葉を話せないと困るでしょ? 私なりに必死なのよ。それに近隣の国々もゲルダー語を母国語とする国は多いと聞くし」
「そのようですね」
「貴女も学院で言語を選択するならゲルダー語になさいな」
「それは良い考えですね! そうすれば、いつかお姉様に会いにハクブルム国に行く時に困らないですみますね」
「ええ、そうね」
優しく儚げで、周りからも物静かな少女と思われていたアリシアも、結婚が決まり、すっかり自分の考えをきちんと持って意見を述べることの出来る女性へと変貌していた。
「さあ、貴女たち。そろそろお部屋へ行って休みなさい。アリシアは明日は家庭教師も来ないのだし、お話の続きはまた明日でも良いでしょう?」
パトリシアが娘たちに話を切り上げるように促した。
学院の午後の授業を終えて、急いで馬車に乗り込み、移動に二時間。王宮到着後、母と子どもたちとで夕食を食べて以降、ローザはアリシアの横にピタリと寄り添い、こうしてずっと喋り続けていたのだ。
「でも、もう少し……」
「駄目よ、ローザ。無理をして学院に戻れなくなって困るのは貴女よ」
「……そうですね。分かりました」
「良い子ね」
「では、お先に失礼いたします」
「おやすみなさい、ローザ」
「おやすみなさい。お母様、皆様」
ローザはエマに付き添われて自室へと戻っていった。
「私もお先に失礼しますね」
ローザが部屋に下がると、アリシアもそう言って自室へ戻ってしまった。
それまでずっと会話の中心だったローザとアリシアが二人とも部屋に戻ってしまうと、それまで賑やかだった室内が変に静かに感じる。
部屋に残されたパトリシアが息子たちに話しかけた。
「貴方たちは疲れていないの?」
「僕は学院と王宮との移動には慣れていますから」
「僕も大丈夫です」
「なら、良いけど」
パトリシアは優しく微笑んで、息子たちのカップにお茶のお代わりを注いだ。既に使用人たちは部屋から下がっている。
「父上とお祖父様はお忙しそうですね」
シアンがパトリシアに聞いた。
王であるカルロは常に多忙であるため、一緒に食事をとれないことなど珍しくもないが、久しぶりにローザが帰って来ているにも関わらずフェルナンドが夕食の席に現れなかったことに、シアンもアスールも内心相当に驚いていた。
二人は今回王宮に戻ったらティーグルの件をフェルナンドに相談するつもりでいたのだ。
「そうね、今はいろいろと王宮内がバタバタしているのよ。ハクブルム国に行ってしまったのはヴィスマイヤー卿だけでは無いもの」
「そうですよね」
「ああ、そうそう。お義父様から貴方たちに伝言を頼まれていたのをすっかり忘れるところだったわ。明日の朝食の前に……」
「「剣の訓練ですか?」」
シアンとアスールの声が揃った。
「ええ、そうよ。……まあ、頑張りなさいね」
ー * ー * ー * ー
「なんだ、アスール。もう降参か?」
そうは言われても、今回は自分的には “かなり健闘した方” だと正直アスールは思っていた。
フェルナンドは大きく弾き飛ばしたアスールの木剣を拾ってきて、その場に座り込んで大きく肩で息をしているアスールに手渡した。
「……ありがとう、ござい、ます」
そう答えるのがやっとだ。
フェルナンドは下を向いたまま座り込むアスールの頭を、いつものようにわしゃわしゃと大きな手で豪快に撫でた。
「良い、良い。アスール、お前は休んでいろ。ほれ、シアン。次、行くぞ!」
三歳年上のせいか、そもそも技量が違うのかは分からないが、シアンはフェルナンドの動きについていっている。
豪快に振り下ろされる木剣を細かい剣捌きでギリギリとはいえ全て躱していく。最終的にはフェルナンドの剣が勝るのだが、一戦毎にシアンの動きが良くなっていくのがすぐそばで見ているアスールにはよく分かった。
「今朝はこれくらいにしておくか」
「「ありがとうございました」」
「二人とも随分と動きが良くなってきておるぞ」
フェルナンドはベンチに腰を下ろし、シアンとアスールが木剣を片付け終えるのを見届けると、近くへ来るようにと手招きし、二人もベンチに並んで座る。
「その後、何か変わったことはあったか?」
ティーグルのことを言っているのだろう。
「図書室でティーグルに会いました。ティーグルはローザの力がアルギス王と同じか、それ以上かもしてないと言っていました」
「ほう。アルギス王と?」
「はい」
「それで?」
「……それだけです」
アスールの答えを聞いてフェルナンドは豪快に笑いはじめた。
アスールとシアンは驚いてフェルナンドを見つめるが、フェルナンドは二人に特に何かを言うでもなく立ち上がる。
「さて、風呂でも浴びて、食事に行くか」
「あの、お祖父様?」
「ん?」
アスールはどんどん大股で前を歩くフェルナンドを慌てて追いかける。
「ティーグルのことはどうするおつもりですか?」
「どうもこうも。なるようにしかならんじゃろ」
「え、でも……」
「神獣様の考えることなど、儂らには分からんよ。まあ、悪いようにはならんじゃろう」
ー * ー * ー * ー
三人は夕食の時間に間に合うように寮へ戻って来ていた。
アスールはルシオの部屋へと急ぐ。
「おかえり、アスール」
「ただいま、ルシオ。預かってくれてありがとう。助かったよ」
王宮へ戻るにあたって、アスールはピイリアをルシオの部屋に預けていた。
一泊だけのために毎週ホルクを王宮へ連れて帰るよりは学院に残す方が良いだろうと、アスールはルシオに、シアンはラモスにそれぞれのホルクを預けることにしたのだ。
「良い子にしていたよ。最初は……ちょっと暴れていたけどね」
「ピイリアが暴れたの?」
ルシオは困った顔をして頭を掻いている。
「暴れたというか……。突いた、かな」
「そうなの? ごめんね、ルシオ。痛かったでしょ?」
「僕は……突かれてないよ」
「ええ? 君じゃ無いなら、じゃあ、ピイリアは誰を突いたの?」
「……チビ助」
「本当に? ごめん。チビ助に怪我は無い?」
「それは大丈夫だよ。多分ピイリアも本気じゃ無かったと思うし。アスールに置いていかれて不機嫌になっていただけだと思う」
アスールの声が聞こえたのだろう、ルシオの部屋の奥からピイリアがアスールを呼ぶ鳴き声が聞こえる。
「今連れて来るね」
そう言うとルシオは部屋からピイリアを入れた鳥籠をすぐに持って来た。
「本当にごめんね。来週からはピイリアも僕が王宮に連れて帰るから心配しないで」
「ああ、それなら大丈夫! 来週以降もここで預かるよ!」
「でも……」
「違うんだ、アスール。ピイリアが不機嫌だったのは最初だけだったんだ。五分もするとすっかり慣れて、後は二羽で楽しそうに遊んでいたよ」
「本当に?」
「嘘なんてつかないよ。逆に僕は勝手に遊んでいるから楽だったくらい」
「なら良いけど」
「とにかく、早く部屋に戻ってピイリアをダリオさんに頼んでおいでよ。夕食、食べに行こう。僕もうお腹ぺこぺこだ」
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