2 談話室で焼き菓子を
食堂で無事にはじめての夕食を終え、四人は談話室へと移動した。
談話室の最奥にある王族用スペースのソファーセットでは、既にダリオがお茶とお菓子の準備を整えて待っていた。
「ローザ、ここのソファーセットはいつでも好きに使って構わないよ。ただし、ダリオの焼き菓子はセットじゃないからね。今日は特別だよ」
「分かっています。シア兄様」
「寮では、例え兄妹でも性別が違えば互いの部屋を訪ねることはできない。だからゆっくりと話がしたければ連絡を取り合ってここに来るしか無いんだよ。今日はのんびり食べたけれども、食堂は食べ終わったら次の人に席を譲るのが決まりだからね」
ローザはシアンから寮での注意点を頷きながら真面目な顔で聞いている。その間、アスールとヴィオレータは焼き菓子を食べながら他愛もないお喋りをしていた。
「ヴィオレータ、さっきはどうしてあんな事態になっていたんだい?」
ローザに粗方説明を終えたシアンが、真面目な顔でヴィオレータに食堂前での騒ぎについて質問をした。
「ああ、それなんですが……最初は私と仲の良い友人がたまたま二人通りがかって、ちょっと立ち話をして、ローザのこともその二人に紹介しました。そうしたらあれよあれよという間にあんな人集りになってしまって……」
「ローザを紹介して欲しくて集まったってことで良いのかな?」
「私はそう思います」
「全て三学年の学生だったか分かる?」
「違うと思います。見慣れない顔も混じって居ましたから」
「そうか……」
シアンはしばらく考え込んでからローザに向かってはっきりと言った。
「ローザ、寮内であっても絶対に一人でうろうろ出歩かないこと。近い場所であっても必ずエマに同行してもらいなさい。良いかい?」
「はい」
「絶対だよ!」
「分かっております。どこへでもエマと一緒に! ですよね?」
「そうだ」
「ねえ、ローザ。同じ第一学年で仲の良い友人はバルマー家のカレラさんだけなの?」
アスールが口を挟んだ。ローザは小さい頃から王宮でもいつもアスールやシアンの後ばかり追いかけていて、同い年の女の子と遊んでいた姿を目にした記憶がアスールにはほとんど無かったのだ。
「はい。そうですね。仲の良い友人は学院でこれから沢山作りますので大丈夫です」
「まあ……。そうだね」
王宮を出る前にフェルナンドから「近衛騎士団長の息子がローザと同じクラスになるように学院長に頼んであるから心配するな」と耳打ちされたが、息子ではクラス内はともかく、ずっと一緒に行動するのは不可能だ。
「ローザが学院生活に慣れるまで、朝は僕が一緒に学院棟まで行くよ。それで良いかい?」
「もちろんです。毎日一緒に登校ですね、シア兄様」
「登校って言ってもすぐそこだよ」
「近いのですか?」
「頑張ってゆっくり歩いたとしても、五分はかからないかな」
「あらら。本当に近いのですね」
「まあ、隣の建物だからね」
それからはヴィオレータが明後日の入学式についてや、クラス発表の見方、どんな授業が楽しいかをローザに語って聞かせていた。
ローザはいちいち細かく質問をするのだが、何故だかそれがヴィオレータを喜ばせていた。
「ところで明日は光の日でお休みですよね? お兄様、お姉様はどう過ごされるのですか?」
「私は友人たちとリルアンへ参ります」
ヴィオレータがまず答えた。
「まあ、リルアンですか? 良いですね!」
「ローザ、入学前に外出許可は貰えないよ」
アスールが空かさず釘を刺す。
「そうでした……」
「明日は部屋の片付けをしたら良いんじゃないかな? あれだけ大量の荷物を持ち込んだんだ。まさか片付けを全てエマに任せるつもりじゃ無いだろう?」
アスールは前年殆どの片付けをダリオに任せた自分のことはすっかり棚に上げて、至極当然のことのようにローザに言って退けた。
「そうですね。自分でも片付けます。アス兄様、最近ちょっと意地悪ですね」
「い、意地悪って……」
アスールとローザのやり取りを笑いながら聞いていたシアンが割って入った。
「一日中ずっと片付けじゃつまらないよね。午前中は片付けをエマと一緒に頑張って、お昼はまた一緒に食べよう。本館には明日は入れないけれど、周りを案内してあげるよ」
「うわ、嬉しいです。試験の時は中庭しか見られなかったから」
「アスールはどうする?」
「一緒に行きます。僕も行ったことが無い場所も多いので」
「じゃあ、そうしよう。今日は移動で疲れただろうから、もう部屋へ戻ろうか?」
「そうですね」
「では、今度こそ私がローザをきちんと部屋の前まで送って行きますのでご安心下さい」
「頼んだよ、ヴィオレータ」
「はい。お任せ下さい!」
ー * ー * ー * ー
翌日は春らしい柔らかな日差しが温かい日で、散歩をするにはうってつけの日となった。
「今日はあの白猫さんに会えるかしら?」
東寮のすぐ裏側が、試験の日に猫に出会ったあのベンチが置かれた中庭だったと知ってローザは驚いていた。
「そう、ここです! ここです!」
そう言うとローザは走っていってベンチに腰掛けた。
「まあ、この大きな木! 試験の日にはすっかり葉が落ちていたのに、今は随分と新しい葉をつけているのね」
「それは学院で一番大きな木で、元の離宮が建設された時には既にあったそうだよ」
「秋には黄色い葉に変わって、とっても綺麗だったよ」
「そうですか。秋も楽しみですね」
ローザはベンチから立ち上がろうとはせず、試験の時に会った猫を待っているようだったが、しばらく待っても猫は現れず、大きく溜息をついた。
「来ませんね……。やっぱり誰かが試験の日に連れて来ていただけなのでしょうか?」
「もう行こうよ」
「……そうですね」
訓練場の側を通った時には、既に戻って来ている騎士コースの学生たちが訓練に励む大きな掛け声が聞こえて来た。
「ドミニク兄様もここで訓練されてたのかしら?」
「そうだよ。マティアスもほぼ毎日訓練に参加しているよ。もしかすると今も中に居るかもね」
「そうなのですね」
「それを言うなら、今日はリルアンに行くって言ってたけど、ヴィオレータも時々ここに混じって訓練に参加しているらしいよ」
「えっ。お姉様がですか?」
「そうだよ。あの子は騎士コースを希望したいって言って、父上からかなり怒られてた」
三人には父であるカルロにヴィオレータが「何故駄目なのか?」と食い下がっている様子がありありと脳裏に浮かんでいた。
「騎士コースは……どう考えても無理ですよね……」
「まあ、仮にもヴィオレータは王女だからね。父上がお許しになる筈は無いね」
「それで? 姉上はすんなり諦めたのですか?」
「騎士コースへ進むことはね。でも、どうやら時々訓練に参加する権利は勝ち取ったようだよ」
「ははは。姉上は凄いな」
「そうだね」
その後、菜園を通り抜け、三人は植物園で一休みをした。
「学院でお野菜を育てているなんて驚きました」
ローザは今見たばかりの菜園に興味を持ったようだ。
「クラブ活動にも確か “美味菜倶楽部” って言うのがあるよね? アスール」
「ええと。“美味菜”? すみません。僕は知りませんでした」
「一年前、ちゃんとクラブ紹介聞いていた?」
シアンは笑っている。アスールは頭を掻いた。
「他にもね、学院では魔力の属性毎にクラスを分けて授業をしたりもするんだけど、地属性のクラスでも菜園でいろいろ育てているみたいだよ」
「地属性ですか? それは楽しそうですね」
「兄上。ローザの属性は光ですけど、きっと他に光の属性持ちは居ませんよね。“魔道実技基礎演習” の授業は一人ですかね?」
「どうするのかな。それだと変に人目を引くよね……。父上が既に学院長と話をされているだろうけど、僕は今のところ何も聞いてはいないよ」
「ローザは? 属性検査のこと、何か言われてるの?」
「魔力量だけ受けて終わりにするように言われました」
「僕と同じか」
「用紙にも何も記入する必要は無いそうです」
「用紙は提出しないってこと?」
「はい。もし誰かに属性を尋ねられても『内緒 ♪』って笑っておけば良いそうです」
「ははは、そう言われたの?」
「はい。それはお祖父様から」
きっとカルロとフェルナンドがなんらかの手を打っているに違いない。
「そろそろ戻ろう」
シアンが立ち上がった。
「そうだ。兄上、言い忘れていましたが、今日もダリオが談話室にお茶と焼き菓子を用意してくれてますよ。今戻るならオヤツに丁度良い時間ですね」
「それは嬉しいね」
「はい、とっても!」
シアンとローザの顔がぱっと輝いた。それを見たアスールが渋い顔をして独り言のように呟いた。
「ダリオは午前中から隣の部屋のオーブンを使って菓子を焼いているんだ。ダリオの部屋と僕のところは繋ぎ部屋だから、その度に美味しそうな匂いがふわわわ〜って漂って来るんだよね……。でも味見は厳禁! って言われちゃう。あれは、本当に辛いんだ……」
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