69 アーニー先生との別れ
「どうですか? 似合っていますか?」
「ええ、とても良くお似合いですね。立派な学院生に見えますよ、姫様」
ローザの制服姿を見て、硬かったアーニー先生の顔もほころんだ。
フェルナンドの提案で、アーニー先生を家族の食事会(形式ばらない内輪の集まり)に誘っていた。
気楽にと言われても、それでも先生は緊張の面持ちで王家の私室に現れた。
「先生に入学式を見てもらうことは無理なので、今日届いたばかりの制服のお披露目会です」
「よう似合っておる。可愛いの」
フェルナンドは至極ご機嫌で、孫娘の一挙手一等足に目を細めている。
「今日はもう何度目か分からんが、ローザの合格祝いも兼ねているからの。エルンスト、其方にはローザも随分と世話になったことだし、楽しんでいってくれ」
「ありがとうございます」
アーニー先生も依頼された肖像画を描き上げたことで、今食卓を囲むメンバーとはそれぞれに随分と打ち解けたように見える。
あの大人しい性格のアリシアの方から先生に話しかけているのだから、それが良い証拠だろう。
ローザは「汚してしまったら入学式に着る制服が無くて困るだろう」とパトリシアに言われ、渋々着替えのために一旦自室に戻っていった。
着替え終えたローザが戻り、皆がダイニングに移動する。テーブルにつき、大人たちの前にワインが用意されると、カルロが立ち上がった。
「エルンスト、君が描き上げてくれた素晴らしい二枚の肖像画と、これまで王家の子どもたちのために君がしてきてくれたことへの感謝を込めて。おっと、忘れるところだった。ローザの学院合格も祝ってだったな、乾杯したいと思う」
皆がグラスを手に取った。
「乾杯」
「「「乾杯」」」
和やかに食事は進み、話題はアリシアがこれから暮らすことになるハクブルム国の話へと移っていった。
「エルンスト、君は何度かハクブルム国へは行ったことがあるんだったね?」
「はい、陛下。父方の祖母の親戚も多く居りますし。子ども時分には何度も。一番最近は二年半程前ですね。とは言っても、私が訪れたことがあるのは王都とその近隣の街だけですが」
「確か其方のお祖母様はハクブルム国の貴族だったな?」
「はい。祖母はチェトリ侯爵家の出です。既に祖母の兄である先代侯爵は亡くなっており、現在は従兄弟伯父が家を継いでおります」
「その従兄弟伯父君には、其方がハクブルム国へ行くことは既に伝えてあるのか?」
「いいえ。私が直接訪ねる方が良いかと思いまして、今はまだ何も。母には定期的にタチェ共和国に居る親戚を通して連絡はしていますが、母にも詳しいことは何も伝えてはおりません」
アリシアやフェルナンドと談笑していたはずのローザが驚いたように突然声を上げた。
「アーニー先生、お母様とはあまり仲がよろしくないのですか?」
「ええと……いえ、そんなことはありませんよ」
「だって、直接連絡もしなければ、詳しいことも伝えないなんて!」
まさかこちらの話を聞いていたとは思ってもいなかったのだろう。カルロは驚いた顔でローザを見ている。
「ローザ、ロートス王国は今、あまり情勢が安定しているとは言えないんだ。この国とは違う。ヴィスマイヤー卿にもいろいろと事情がお有りなんだよ」
「……そうですか。それはお寂しいですね」
シアンの機転でその場を取り繕うことは出来たが、何も事情を知らないローザの前でこれ以上込み入った話は出来ないと、カルロはローザに気づかれない程度に話題を少しずらした。
「それで? ハクブルムは暮らしやすい国かな?」
「はい。そう思います。王都シーンはとても美しい街です。陛下はハクブルムには一度も?」
「ああ、行ったことはない。父上は、一度行かれてましたよね?」
「確かにな。だが、もう随分と遠い昔の話だ」
それからしばらくの間、ハクブルム国の情勢や王都シーンの街の様子、アリシアのゲルダー語の進捗状況などが語られた。
アリシアもゲルダー語に関しては日々相当な努力をしていたようで「これだけ話せれば王宮内でも決して困らないだろう」と、アーニー先生から嬉しい “お墨付き” を貰っていた。
かなり話しが弾みながらの食事だったこともあって、デザートが運ばれてきた頃にはかなり遅い時間になっていた。
デザートはローザの好きなオレンジのシャーベットだったので、ローザは眠たそうにしながらも全て綺麗に食べ終えた。
「さあ、ローザ。貴女はもう部屋にお下がりなさい。今日はもう疲れたでしょう」
「でも、先生とお別れする前にいろいろお話したいこともあるし……」
「それはまた後日、昼間に時間を取って貰ったら良いわ。ね? ヴィスマイヤー卿?」
「はい。すぐに出発するわけではありませんし、姫様とはまだ私もお話したいので、後日また」
「…‥分かりました。兄様たちは下がらないのですか? 私だけ?」
ローザは眠そうな目でシアンとアスールの方を見た。
「じゃあ、私が下がらせて頂きますね。今日は勉強のし過ぎで疲れてしまいました」
そう言ってアリシアが立ち上がった。
「殿方たちはまだお疲れではないようなので、ローザは私と一緒に先に下がりましょう。それなら寂しくないわよね?」
「はい、お姉様」
アリシアは皆にウィンクをすると、ローザの手をとって部屋を出て行った。
「アリシア様はきっと良き王妃様になられますね」
アーニー先生は、閉まった扉の方を向いたまま呟くようにそう言った。
「先程の話の続きだが、エルンストはハクブルムに入ってから動くつもりなのだな?」
「はい。焦って私の居ないところでことを進めて、思わぬ落とし穴や罠に嵌るくらいでしたら、全て自分の見える範囲で確実に味方を増やそうと思っています」
「そうだな」
カルロ、フェルナンド、アーニー先生の三人は席を移動し、お酒を飲みながらも、ずっと深刻そうに話し込んでいる。
一方残されたパトリシア、シアン、アスールの三人は、綺麗に片付けられた食卓で温かいお茶を飲みながら男たちの話に耳を傾けていた。
「良いか、エルンスト。誰が味方で誰が敵か、きちんと己の眼で見極めよ!」
フェルナンドはお酒が入ったせいか、いつもより声が更に大きくなっている。
「はい。心得て居ります」
「アリシアたちの結婚式には、おそらくロートス国の要人も少なくない人数が招待されるはずだ。その者たちの目の前で私自身の口から『クリスタリア国王カルロは、次期ヴィスマイヤー侯爵であるエルンスト・フォン・ヴィスマイヤーの後ろ盾である』とはっきりと宣言する。もちろん次期ロートス国王であるクラウス殿下にも同様の立場を表明して貰う。心配するな」
「ありがとうございます」
「お主にはヴィスマイヤー侯爵家をきちんと継いで貰わにゃならんからな。アスールとローザのためにも」
「はい」
アスールからは、テーブルの下でグッと力強く握られたアーニー先生の拳が見えていた。
「必ずロートス王国を簒奪者の手から取り戻す! 我が友ヴィルヘルムとスサーナの無念を晴らすぞ!」
カルロは最後に分かれたあの日の二人の姿を思い出すかのように遠くを見つめると、その強い決意を口にした。
「はい。私も亡くなった父、それから兄や弟の無念を私の手で晴らしたいです。それから、生き残った家族の未来を守る為にも、あの国を正しい姿に必ずや戻してみせます」
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
次回より第3部として『王立学院二年目編』をスタートさせる予定です。
これからも引き続き楽しんで頂けると嬉しいです。
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