68 合格通知とお披露目会
二の月に入るとすぐに、学院からローザに宛てた “入学許可証” が届いた。昨年同様、制服の仮縫いやら、寮のローザの部屋に入れる新しい家具の手配など、アリシアの婚礼準備にローザの入学準備も加わって、王宮の二の月は例年に無い慌ただしさで過ぎていった。
「ねえ、アス兄様。私の学院入学が決まったので、アーニー先生がクリスタリアを離れて、近々ハクブルム国へ行ってしまうのですって」
「そうらしいね」
「ご存じだったのですか?」
「前に先生からちらっと聞いただけだよ」
ローザは自分の本当の立場も、アーニー先生を取り巻く複雑な事情も知らない。アスールはどこまでの事実をローザに話して良いのか測りかねていた。
「アリシア姉上の輿入れの準備を整える役目だってね。バルマー伯爵の指示なんでしょ?」
誰もが知り得る情報だけを慎重に選び出し、話をする。
「そのようですね。どうしてバルマー伯爵は先生をご指名したのかしら? やはり先生がゲルダー語を話せるからでしょうね。先生はロートス王国の方でしたよね?」
「そう聞いたよ」
「そうなると……お姉様をお迎えする支度が全て整ったら、またクリスタリアに戻って来られるのかしら?それとも、そのままロートス王国にお帰りになってしまうかしら?」
「どうなんだろうね……」
「なんだかお兄様、素っ気無いですね」
「そ、そんなことは無いよ!」
アスールは慌てて取り繕った。
「ローザはアーニー先生が居なくなってしまうのは嫌なの?」
「もちろんです! だって、絵を教えて頂いているのもそうですけど、一緒に城下にお出掛けするのだったら、他の護衛騎士の方々よりも先生と一緒の方が断然楽しいですよ。先生はすごく物知りですし」
「でも学院に入ったら、どのみちローザはほとんど城に居ないんだよ?」
「まあ、それはそうなんですが……」
ローザも自分の我儘が通らないとこは充分に理解しているようだ。
「そうだわ。私の絵画のレッスンの最終日に、アーニー先生のお別れ会をしましょう! もちろんバルマー伯爵もお呼びして」
ローザはその思い付きにとても満足しているようで、その後もアスールに向かってどんなお茶会にしたいのか、他には誰に声を掛けるべきかなどを延々と語って聞かせた。
ー * ー * ー * ー
ローザが企画しようとしていたお茶会は、結果としては成立しなかった。
パトリシアがアーニー先生に依頼していたアリシア個人の肖像画と、家族七人揃った肖像画、その二枚の完成を祝って肖像画のお披露会を企画したのがその理由だ。
「まあ、なんとアリシア様のお美しいこと」
「それに、こちらの皆様お揃いの絵。とても優しい雰囲気で描かれていて素敵ですわね」
「どちらの絵師にご依頼なさったのかしら? こんなに素敵に描いて頂けるなら、我が家も是非お願いしたいわ」
大広間に並べられた二枚の肖像画に対し、あちらこちらから肖像画を称賛する声が聞こえてきた。
アーニー先生が描いたアリシアは、アリシア本来の優しく穏やかな気質を見事な迄に映し取っていて、今にも座っているその椅子から立ち上がり、こちらへ向かって微笑みながら歩いてきそうなくらいに生き生きとしている。
家族の肖像の方はというと、それぞれに、この人だったらこうあるだろうと思える、ごく自然な笑みを浮かべて幸せそうに並んでいた。
「忙しい合間をぬってヴィスマイヤー卿がこの絵を仕上げて下さったこと、皆から聞いています。本当に素敵な絵を、私の個人的な我儘を叶えてくれてありがとう」
パトリシアが満面の笑みを浮かべてアーニー先生と話し込んでいる。見るからに品の良さそうな佇まいで、仕立ての良い服をきっちりと着こなしたその青年は、どう見ても貴族の御曹司にしか見えない。
一国の王妃とも堂々と渡りあっているその風変わりな絵師を、周りを囲む貴族たちは不思議そうに眺めていた。
そんな中、おそらくはアリシアよりは少し年若いと思われる、大人しそうな娘を連れた女性がパトリシアに歩み寄った。
パトリシアはそれに気付いたようで、その女性に微笑み、発言を許した。
「歓談中申し訳ございません、王妃様。私はレスナー子爵の妻でヘンリエッタと申します」
「ええ。存じております。ごきげんよう、ヘンリエッタ様」
「こちらは娘のティエラです」
ティエラと呼ばれた少女は、パトリシアとアーニー先生に恭しく礼をとった。
「素晴らしく美しい肖像画を拝見して、母娘共に大変感激しております。もし可能でしたら、そちらの絵師の方を私どもに是非とも紹介して頂ければと思いまして、お声をかけさせて頂きました」
レスナー子爵夫人はアーニー先生にチラリと目をやる。
「そちらの方が……絵師の方なのですよね?」
「ええ。確かに二枚の絵を描き上げてくれたのはこちらに居る殿方で間違いございません。ですが、彼は絵師というわけでは無いのです」
パトリシアはこの後もおそらく同じ質問が何度も繰り返される懸念を払拭するつもりか、大広間にいる他の貴族たちにも聞こえるように手をパンパンと二回打ってからこう言った。
「皆様。この素敵な肖像画を描いて下さった方を紹介致しますわね」
絵の周りに集まり話し込んでいた人々が一斉にパトリシアに注目する。そんな中、パトリシアは最高の笑みを浮かべてアーニー先生を一歩前に押し出した。
「こちらはロートス王国から我がクリスタリア国に遊学中の、エルンスト・フォン・ヴィスマイヤー卿、次期ヴィスマイヤー侯爵です」
驚きが大広間に広がった。
「あの絵を描いたのが次期侯爵様ですって?」
「ロートス王国のヴィスマイヤー侯爵家といえば……確か、前の宰相ではなかったか?」
「ほう。彼が嫡男ですか」
皆が口々に話し出す中、パトリシアは笑顔で話を続ける。
「ヴィスマイヤー卿には、私の子どもたちの絵画の教師をお願いしておりましたの。教師としてはもちろんですが、こういった肖像画を描く腕前においても素晴らしい才能に溢れた若者ですのよ。ただ、非常に残念ではありますが、近々彼はクリスタリアを離れることが決まっております」
パトリシアの今の話を聞いて、大広間のあちこちで落胆の表情を浮かべた者が少なからず居た。
「本日は肖像画のお披露目と共に、ヴィスマイヤー卿の紹介と、ヴィスマイヤー卿への私からの最大級の感謝を込めて、こうして皆様にお集まり頂いたというわけです」
パトリシアが話し終えると、若きヴィスマイヤー卿に対しての称賛の拍手がわっと起こった。アーニー先生は少しだけ照れたような表情で歓声に応えていた。
ー * ー * ー * ー
「それで、結局ローザが考えたお茶会は中止になったわけだ?」
「そうなのです! お母様に先生を取られてしまいました」
同じ頃。
ローザが開けなかったアーニー先生のお別れ会の代わりに、シアンとアスールがローザのお茶会にこうして付き合わされている。
「まあ、いくら僕たち三人がまとまって抗議したとしても、母上には絶対に敵わないってことぐらい最初っから分かりきってるだろうに……」
「そうかもしれませんけど、最初に先生を見つけたのは私ですよ!」
「見つけたって……」
シアンが苦笑いを浮かべてローザを見ている。
「入学前にローザから夕食に誘ってみたらどうかな?」
「夕食ですか?」
「そう。お祖父様が肖像画のお礼にヴィスマイヤー卿を夕食にでも誘いたいようなことを言っていたよ。ローザの合格祝いを兼ねて」
「それは素敵ですね」
「私、今からお祖父様のところへ相談に行ってきます!」
ローザは嬉しそうにサロンを飛び出していった。
「じゃあ、お茶会はこれでお開きってことで良いのかな?」
「そうでしょうね」
シアンとアスールは今閉められたばかりの扉に向かってそう言った。
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