63 アリシアの婚約式(2)
顔合わせ、晩餐会も無事に終わり、いよいよ婚約式当日の朝を迎えた。
数日前から城内はずっと落ち着かない雰囲気で、誰も彼も慌ただしく動き回っている。
朝食を普段通りのんびりと食べているローザの横で、側仕えのエマが使用人たちに次々と指示を出している。今日はローザだけでなくシアンとアスールの衣装管理もエマが担当するようだ。
「さあ、シアン殿下もアスール殿下も姫様のお食事が終わるのを待つ必要はございませんよ。お二人のお衣装はお部屋にご用意済みです。お早くお支度下さいませ」
シアンとアスールは追い立てられるように食堂を後にした。それでもローザはのんびりと果物を口に運んでいる。
「姫様。姫様が一番時間がかかるのですから、もういい加減にお食事をお終いになさいませ」
「もう少し食べたかったのに……」
「昼食に姫様のお好きなものを用意するようにと、私から料理人に伝えておきましょう」
「ふふふ。ありがとう、エマ。さあ、着替えちゃいましょう♪」
婚約式は城の聖堂で厳かに執り行われている。
ハクブルム国皇太子クラウスとクリスタリア国第一王女アリシアが祭壇の前に揃って並び、今まさに誓いの言葉を述べ、誓約書にサインをしているところだ。
この後、両国王の友好の証として王のサインが入った文書が交わされる。今回の訪問では、ハクブルム国王の弟でもあるレムブル公爵が王の名代として文書を受け取ることになっている。
「アリシアお姉様、とってもお綺麗ですね」
「「そうだね」」
「ハクブルム国で執り行われる結婚式も、このような感じなのでしょうか?」
「さあ、どうだろう。僕もそういった式に参列したことはないから分からないな」
「きっと素敵なお式になるのでしょうね」
国内での婚姻であれば弟妹も参加もできようが、遠い異国の地への輿入れではそうもいかない。シアン、アスール、ローザといったクリスタリア留守番組は、アリシアの結婚式には参列できないのだ。美しいであろう姉の花嫁姿を見ることはかなわない。
祖父であるフェルナンドでさえ国に残る。そのフェルナンドは、嬉し涙がこぼれ落ちるのを隠すことなく、孫娘の晴れ姿にじっと見入っていた。
式が終了すると、すぐその足で王宮正面にあるバルコニーへ向かった。既に前庭には第一王女の婚約を祝う大勢の市民が詰めかけていた。
カルロがバルコニーに姿を現すと、待ちわびていた人々からワッと歓声があがる。カルロに続いて美しいドレス姿のアリシアの手を引いたクラウス皇太子が登場すると、その歓声はさらに大きくなった。
「婚約おめでとうございます」
「クラウス皇太子!」
「アリシア様。どうかお幸せに」
アリシアが嬉しそうに歓声に手を振って応えている。
フェルナンド、パトリシアに続き、王族が次々とバルコニーに出てくる。式直後のこの “顔見せ” にはフェルナンドの弟筋であるスアレス公爵家一家も、カルロの二人の姉夫妻も揃い、クリスタリア王家関係者が一堂に会した。
収まらない歓声の中、カルロが一歩進み出て手を上げる。それに気付いた群衆がカルロの発言を聞こうと口を閉じ、それまでの喧騒が嘘だったかのように前庭は静まりかえった。
「本日、我が娘であるパトリシア・クリスタリアと、ハクブルム国第一王子であるクラウス・ハクブルムとの婚約が正式に取り交わされた」
再びワッと歓声が上がる。
「今日の良き日を、ここに集まってくれた皆と共に祝いたいと思う。振る舞い酒と、少ないが料理も用意した。楽しんでいってくれ」
予期せぬ王からの振る舞いに群衆が沸き立つ。カルロは手を振り、しばらくの間、止まぬ歓声に笑顔で応えていた。
「お父様ったら、大人気ですね」
ローザが手を振りながら、集まった人々の様子を楽しそうに見ている。
「そうだね。ここで振る舞い酒を出すところが父上らしいよ」
「料理も用意しているって仰ってましたね。料理人は大変だったでしょうね……」
「まさか! 城の料理人はもうすでに手一杯のはずだから、さすがに街の料理屋数軒に頼んだんだと思うよ」
「そうか。そうですよね」
シアンもアスールもずっと笑顔を崩さずに手を振りながら話している。
「下には、どんなお料理があるのかしら? ちょっと見てみたいわ」
「「ローザ!」」
「もちろん見に行ったりは……しませんよ?」
「何故疑問形? 補佐官に言われたこと、ちゃんと覚えているよね?」
「……はい」
その後、間隔を空けて更に二回 “顔見せ” をするためバルコニーへと出た。二度目からは今日の主役であるパトリシアとクラウス皇太子の他は、カルロとその家族、それから先王フェルナンドだけになった。
「あの、お聞きしても良いでしょうか?」
「もちろんですよ。ローザ様。なんなりと」
「クラウス様の正装はもしかして騎士団の制服なのですか?」
いつの間にかローザがバルコニー中央に立って居るアリシアの横に移動して、クラウスに話しかけていた。
「これですか? 私も国では第一騎士団に所属をしていますが、これはその制服とは似てはいますが少し違って、王家の独身の子息用の正装なのですよ」
クラウスは婚約者の小さな妹の可愛らしい質問に優しい表情で真摯に答えている。
「そうなのですね。とても素敵ですね。ね? アリシアお姉様」
「ふふ。そうね。とってもお似合いです」
「ありがとう。では、私からも質問を。クリスタリアでは、それぞれに決まった色をお持ちなのでしょうか? 例えば……ローザ様はピンクのお衣装が多いように思うのですが?」
「はい、その通りです。私の持ち色はピンクなのです!」
「持ち色? 持ち色とは何ですか?」
何ですか? と尋ねられても、ローザも正直あまり良く分かっていないので、他国の王子に説明するのは難しい。困っているとアリシアが代わりに説明をしてくれた。
「この国では、王の子どもたちは本名では無く、成人するまで幼名で育ちます。その理由は私も存じませんが、幼名は色に関係しています。ですので自分の幼名に即した色の衣装を着ることが多いです。今日のような正装は特に」
アリシアは他の弟妹たちが揃って並んでいる方を指し示した。
「ほら、シアンは水色、アスールは青。ここに居るローザは殿下が仰った通りピンクです。ドミニク兄様とヴィオレータは二人とも紫なのですよ」
アリシアは隣に立つクラウスに一生懸命説明をしている。
「ああ、だから貴女は薄い緑色のドレスなんですね? リマ姫」
「まあ……」
婚約者から懐かしい幼名で呼ばれ、アリシアは真っ赤になってしまった。
ローザはそんな仲睦まじい様子の二人からそっと離れて、兄たちのところに戻って来た。
「くふふ。お二人はとっても仲良しで、お幸せそうです!」
「いったい何の話をして来たの?」
「クラウス様の衣装と私たち兄妹の衣装のお話です」
それだけ言うと、ローザは観衆に手を振りながら、今度はフェルナンドの方へ歩いて行ってしまった。
「ローザは自由気ままで良いですね。そう思いませんか? 兄上」
「そうだね。あの子は本当にいつも楽しそうだよね」
そう言ってから、シアンは声のトーンを明らかに落とした。歓声に消されてシアンの声はすぐ横のアスール以外には聞こえてはいないだろう。
「そう言うってことは、アスールはもう自由気ままでは無いってことかな?」
「まだ自由ではあります。でも、もうローザのようには気ままでは無いと思います」
「そうなの?」
「アーニー先生。いえ、ヴィスマイヤー卿が先遣隊の一人として、ハクブルム国へ行くことを兄上はご存じですか?」
「ローザから聞いたよ。先生が居なくなっちゃうって言っていた。ハクブルム国がロートス王国の隣国だから……ってことかな?」
「そうです。卿には個人的な事情もあって……ロートス王国へ戻るタイミングを見計らっているらしいのです」
「ロートス王国か……。徐々に動き始めるってことだね?」
「そう思います」
シアンはポンとアスールの肩に手を置いた。
「一人じゃ無いよ。僕は……違うな。僕も家族も皆、いつだって君の味方だからね」
そう言うとシアンはまた正面を向き、観衆に笑顔で手を振った。