58 猫っぽいのには理由があるのです
閲覧室の最奥。隣り合ったキャレルに荷物を置き、アスールとシアンは教科書を広げ、ティーグルが姿を見せるのを待っていた。今日は珍しく図書室に数人だが学生の姿がある。
「昨日は誰も居なかったのにな」
アスールはキョロキョロと周りを見回している。
「誰か居たとしても、こんな最奥まで来る人は少ないよ」
「そうかもしれませんけど……」
シアンは分厚い本を広げ、ノートに何か書き写しているようだ。鉛筆が紙の上を滑る音が静かな閲覧室に広がっていく。アスールも書棚から借りてきた本を開き、パラパラとページをめくるが、字の上を視線が通過するだけで中身の方は全く頭に入ってこない。
「待たせたか?」
足元の方からティーグルの声は聞こえるが、声の主はどこにも見当たらない。その時、アスールの足首に何かが触れた感覚がした次の瞬間、ふわりとアスールの膝の上にティーグルが降り立った。
「うわ。驚かさないでよ!」
「驚いたのか?」
「そりゃあ驚くよ。途中まで君の姿は全く見えなかったんだから!」
ティーグルはふんと鼻を鳴らして、アスールに不満を漏らした。
「お前が昨日持っていた石を全て寄越さぬから、我にはまだ力が足りんのじゃ。仕方あるまい」
ティーグルはアスールの膝の上に座り、悠然と前足で髭を整えている。
「兄を連れて来ると言ったな?」
「言ったよ。だからこうして連れて来ただろう?」
ティーグルはアスールとシアンを交互に眺めてから言った。
「ふん。お前がそう言うのであれば、まあ良いだろう」
(どういう意味で言ってるのかな? 僕と兄上が本物の兄弟じゃ無いって……もしかして、分かるの?)
「はじめまして。アスールの兄のシアン・クリスタリアです。お名前を伺っても宜しいですか?」
シアンはアスールとは違い、非常に丁寧な態度でティーグルに話しかけている。
「我か? 我にはお前たちに名乗るような名前は今は無い」
「無い? 昨日はティーグルだって、僕に言ったじゃないか!」
「それは我の名では無いぞ。お前は昨日我に名前を聞いたのか? 我が何者かを問うたのでは無かったのか?」
「ああ、もう。そんなのどっちでも良いよ!」
「なんだ。小僧、気が短いな」
アスールはティーグルの投げた言葉に明らかにムッとしている。シアンがその様子を見て苦笑いをした。
「じゃあ、ティーグル。君はいったい何者なの? 消えたり現れたり、人の言葉を話したり。兄上は君が神獣なんじゃないかって言うんだけど……そんなこと有り得ないよね?」
「なぜそう思う?」
「だって、君はただの猫だよね? あれ? ただの猫は喋らないか?」
アスールはぶつぶつと呟きながら、キャレルの上に開かれている本のページを指さした。
「ここ。ここに神獣ティーグルに関して書いてある一説があるんだ。良いかい? 読んでみるよ。神獣ティーグルは光の女神ルミニスに仕える気高き獣の王。その姿は雪のように白く美しい毛皮に覆われ、薄桃色の縞模様がある。その瞳は空を映しとったかの如く青く輝く……」
アスールは本を読み上げながら、無意識に撫でていたティーグルの背中に視線をやり、ぴたりとその手を止めた。
「あれ?」
「小僧、どうした?」
アスールを見上げるティーグルの瞳は夏空のように青くキラキラと輝いている。
「ねえ、兄上。これって薄桃色の縞模様だったりしますか?」
アスールの言葉にシアンがティーグルの背を覗き込んだ。
「そうだね。僕の目にも薄桃色の縞模様に見えるよ」
「えっと……」
「まあ、そうなんじゃない?」
「そう? なんですかね? ははは」
アスールはティーグルの背中の上に置かれたままの自分の手を慌てて引っ込めた。
「どうした?」
「別に何でも……」
「背中を撫でられるのは……嫌いではないぞ」
ティーグルの全てを見透かすかのような青い目がアスールをじっと見つめている。アスールは溜息をついた。
「本当に君は神獣ティーグルなんだね?」
「神獣が何かは分からんが、我がティーグルであることに間違いは無いぞ」
「そうみたいだね。でも……小さいよね?」
アスールは一応遠慮がちに尋ねた。
「……小さいか。まあ、否定はしない。ルミニスが天に戻ると言い出した時、我はこの地上に留まることを選んだ。それ故、我は我の糧である光の加護をルミニスより得られなくなってしまった」
それでも千年ほどは何の問題もなく過ごせていたらしい。だが次第に自分の力が衰え始めていることに気が付いた。
そんな時に出会ったのが、後に初代クリスタリア国王となるアルフォンソ・クリスタリアだった。アルフォンソは強力な光と雷の属性の持ち主で、その二つの属性でもって国を作り上げ、導いた。
ティーグルはアルフォンソの人柄に惹かれて彼を守護し、アルフォンソもまたティーグルに魔力を与えて、互いに良き関係を築いた。
「だが、人の子の寿命は短い」
アルフォンソの死後、時折強い光属性を持つ子がクリスタリア王家に生まれ、その度にティーグルは彼らを守護してきたそうだ。
だがどういうわけだか、いつの頃からか、気付けば光と闇の属性を持つ者が極端に減ってしまっていた。
「人の子から力を分けて貰えねば、我は衰えゆくのみ。アルギスが最期の力で作り上げた魔石の中に我を封じてくれた。我はその中で次に力のある者に出会える日まで深い眠りについた筈だった」
「でも、お祖父様の曾祖父様の時代にその石は掘り出されてしまったのですね?」
「まだ強い光の属性持ちが現れていないのに?」
「そうだ」
あれから五十年以上は経っている。ティーグルは今では常に実体を保つことなど遠に出来なくなっており、今は小さな姿で時々光の魔力の持ち主を探しに出るのがやっとの状態らしい。
「お前さんには、ほんの少しだが光の属性もあるようだな」
ティーグルはシアンに向かってそう言った。
「だが、昨日の魔力はお前さんの物では無いな」
「違います。あれは僕たちの妹のものです」
「妹? そうか妹か」
「はい」
アスールはシアンがローザの存在を明かしてしまったことに驚いた。
「もし僕が貴方に魔力を分けたとして、貴方はここから離れることは可能なのですか?」
「無理だな。お前さんの魔力は光よりも氷と、それに他の混じり合った魔力が強すぎる。今の我では、強すぎるその魔力の渦の中から光だけを選び取ることは出来ない」
「そうですか」
「それで。その妹というのは、ここには居らんのだろう? 近くにそれらしき気配は無いからな」
「ええ。王都の王宮に」
「そうか」
ティーグルは膝の上でアスールに撫でられながら眠ってしまったのか、すっかり動かなくなった。
「兄上。ローザのことを話してしまって良かったのですか?」
「大丈夫だと思うよ。彼がローザに害を及ぼすとは思えない」
「そうかもしれませんが……」
「お祖父様に来てもらおうか」
「えっ?」
「学院祭に。その日ならば可能だろう?」
「そうですね。でも、どうしてお祖父様なのですか?」
アスールにはシアンの考えていることが今一つ理解できないでいた。
「ローザがここに来ることは、確実に許可は出ない。父上もお忙しいので来られないだろう。でも、お祖父様なら? この話をすれば飛んで来て下さるよ。確実にね」
シアンには何か考えがあるようだ。
(だって、兄上のあの表情は……絶対に何かを企んでいる)
「そういえば、昨日の石一つでどれ位の力を得られたんだろう?」
アスールはティーグルの背中を撫で続けながら、昨日からずっと気になっていたことが、思わず口から溢れ出てしまった。
「今程度の活動なら半年。もしくは一年には満たん程度だな」
「そんなに? って、起きてたの?」
「寝てなど居らん。力を節約しているだけだ」
「そうなんだ……」
「それで? そこに持ってきている光の欠片を寄越す気には、まだならんのか?」
「気付いてたの?」
「当然だ」
アスールはシアンに視線を投げた。シアンが頷いている。アスールはポケットに手を突っ込み、ローザのセクリタをその手に掴んだ。
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