55 飛行訓練認定試験(2)
ピイは無事にアスールの左腕に降りたった。特に疲れた様子もなく、元気そうに見える。
「無事に戻りましたね。ではそのままホルクを連れて飼育室まで行って下さい。書類の確認と、念のために健康チェックがありますので」
先生の指示に従って、アスールはピイを連れて飼育室へと向かった。シアンが笑顔で手を振っている。側にラモスとフーゴが居るので、どうやら寮へと戻るようだ。アスールはシアンに手を振った。
飼育室の入り口でアスールはピイの首からセクリタを外しポケットにしまった。それからピイの足に取り付けられている筒から丸められた書類を取り出し、そのまま受付に提出する。
部屋のソファーではルシオが座ってアスールを待っていた。
「無事に帰って来たね! 一旦奥の飼育ゲージに預けるんだ。問題無ければすぐに返してもらえるよ。チビ助はここだよ」
ルシオが足元の鳥籠を指差した。鳥籠にはカバーがかけられている。
「分かった。行ってくる」
アスールはルシオに言われた通り扉を開けて、ピイを連れて飼育スペースに入った。奥のゲージの中に今日の試験に参加した数羽のホルクがチェックの順番を待っている。
ゲージの前にはアスールの直前にゴールしたホルクを連れた五学年生の女子学生が先生と話していた。
アスールに気が付いた二人が振り返り、先生が早口で言った。
「すぐに預かるので少しお待ち下さい」
「はい」
「ピイィ」
あまりにもタイミングよくピイも返事をしたので、そこにいた女子学生がもう一度振り返ってピイを見て笑っている。
アスールはピイの頭を軽く撫でながら、困ったように微笑んだ。
「その子、随分と懐いているのですね。大きさからして、雌鳥よね?」
「はい。先輩の子も雌鳥ですよね?」
「ええ。今年は七羽中二羽も雌鳥が孵ったのね。珍しいわ」
「そうなのですか?」
「私の知る限り、去年は四羽孵ってゼロ。その前の年は五羽中一羽だけよ」
「その前の二年間もゼロですよ」
ゲージの中から先生が話に加わった。
「さあ、お預かりますので、このゲートからこちらへ渡して下さい。順番に健康状態に問題が無いか見ていくので、殿下は向こうのソファーで待っていてもらえますか? 終わったらお知らせします。ゴーシャさんも確認したいことがあるから待ってて貰えるかな?」
「「分かりました」」
「? ……殿下?」
「はい。アスール・クリスタリアです」
女子学生はアスールが名乗った名前を聞いて、顔を引き攣らせている。
「申し訳ありません。私は第五学年のミカエラ・ゴーシャと申します。無礼をお許し下さい」
ミカエラは丁寧に頭を下げた。
「ここは学院ですので、どうかお気になさらず」
「…‥はい」
アスールはとりあえずミカエラと共に飼育スペースを出ることにした。
待っているようにと言われたが、学生が待てるようなソファーは飼育室には一つしか無い。一緒の席には座れないとひどく遠慮するミカエラを、最終的に強引にアスールがルシオが待っているところへ連れて行く羽目になった。
「実は私は今日は急遽交代しただけの代理人なのです。今までの飛行訓練にはずっと別の者が参加していたのですが、生憎今日は体調が悪くて」
「そうだったのですね。確か……もう一羽の雌鳥の担当は、第三学年の男子学生さんでしたよね?」
「はい。私の弟です」
「弟さんでしたか」
「はい。私は去年訓練に参加していたので、ぶっつけ本番でも弟はなんとかなると思ったのでしょう。お昼休みに急に代理を頼まれました」
「そうでしたか」
ミカエラは雇傭システムで飼育室に関わって既に三年目になるそうだ。卒業後はホルク関連の仕事に就くことが既に決まっているらしい。
「ホルク関連? それって、具体的にどんなお仕事か伺っても構いませんか?」
ルシオが興味を示してミカエラを問い詰めている。
「ええと……」
「もしかして、他人に言ってはまずいお仕事ですか?」
「そういうわけでは……」
「ミカエラさん、そのお二人になら話しても大丈夫だと思いますよ。ルシオ様も、そのような勢いで質問をしたら、女性は怖がってしまいますよ。尋問ではないのですから」
受付にいた顔馴染みの職員がカウンターの向こうから声をかけてきた。
「それは失礼致しました。ちょっと興味があったもので」
「いいえ、大丈夫です。卒業後は騎士団のホルク隊で、団のホルクたちのお世話をすることになっています」
「そうですか。騎士団で。いろんな仕事があるのですね」
そのまましばらくホルクについて三人で話し込んでいると、奥に居た先生がピイを連れてやって来た。
「特に問題はありません。今日はおそらくかなり興奮していると思うので、静かに休ませてあげると良いですよ」
「はい」
「来週の水の日が最後の飛行訓練になります。必ず参加して下さい」
アスールは先生からピイを受け取って鳥籠へ入れるとカバーをかけた。先生はそのままそこでミカエラと話しはじめている。
アスールとルシオは鳥籠を持って飼育室を出ようと歩き出した。
フーゴが伝えてくれたのだろうか、入り口の外にはダリオが迎えに来てくれているのが見える。
「少しお待ち下さい! アスール殿下」
受付の奥からこの飼育室の主任をしている先生が慌てて追いかけて来た。先生は何やらヒラヒラとした紙を手に持っている。
「さ、先程、提出された、しょ、書類なのですが……」
先生はたいした距離を走ったわけでもないだろうに、ぜいぜいと大きく肩で息をしている。
「何か不備がありましたか?」
「不備はありません。しょ、書類は完璧です」
まだ息が整わない。いくらなんでも太り過ぎか、運動不足なのでは無いだろうか?
「裏に……殿下宛のお手紙が」
「僕宛の手紙ですか?」
「ええ。このように」
そう言って、ヒラヒラさせていた書類をアスールに差し出した。筒から取り出してそのまま渡したので気付かなかったが、確かに裏に小さな文字で何かがびっしりと書かれている。
アスールは溜息をついた。
「ローザだ」
「申し訳ありません。何が書かれているか分からなかったので、途中まで読んでしまいました」
「そうですか」
「本来この書類はすぐに保管しなければならない物なのですが、お貸し致しますので、すぐにお返事を書いて差し上げて下さい。今から書けば今日中にホルク便を飛ばすことも可能ですよ。書類はその時に戻して下されば結構です」
「分かりました。すぐに返しに来ます」
「はい」
アスールは戻って行く先生の大きな背中を見送って、再び溜息をついた。
「ピイは私が御部屋まで連れて帰りましょう。殿下は図書室で姫様宛の御返事を書かれては如何でしょうか?」
ダリオが鳥籠に手を伸ばしながらそう提案してくれた。
「そうだね。そうさせて貰うよ」
「では、ホルク便の料金は私が支払っておきますので御安心下さい」
「ありがとう。ピイを頼みます。それと、ルシオ。待っててくれたのにごめんね」
「構わないよ。また夕食の時に」
「また」
ー * ー * ー * ー
アスールは図書室へ急いだ。
いつものように一番奥の閲覧室のお気に入りのキャレルに座ると、また丸まってしまった書類を両手で押し広げた。
そこには小さなローザの字でびっしりと文字が書き込まれている。ホルクが運べる手紙の大きさなんて高が知れている。そこによくこれだけの文字を書き込んだものだと、正直呆れもしたが、一方で賞賛に値するとも思った。
その時、何かが座っているアスールの膝の上にふわりと降りたった感覚があった。
「うわっ」
思わず声が出る。
だが、膝の上を見ても何も乗っていない。何も無いのだが、重みはある? 見えない何かが膝に乗っている。その上、その何かに上着のポケットあたりを引っ掻かれているではないか!
「なんだよ、これ!」
アスールは気味が悪くなって、ポケットの周辺を手で払いよけた。何かが一瞬手の甲に触れた感覚があって、膝の上に感じていた重みが消える。
「乱暴者め!」
アスールの足元から不機嫌そうにアスールを見上げていたのは、例の、猫っぽい白っぽい何かだった。
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