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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

手拉伝(しょうらーでん)

作者: 三木 はじめ

通称「手鼻のチン」、本名年齢共に不肖。彼は十数カ国語を流暢にあやつる世界語にたけた請負殺人業を生業とする謎の多い大陸系中国人。風説では父方に日本人の血を引くと言う者もいるが真偽の程は定かではない。


生い立ちは全く不明だが事情通に寄れば文化大革命大禍の最中、紅衛兵の難を逃れて広州より香港に密出国。その後、東南アジアを手始めに請負殺人業で業績を上げ頭角を現す。現在では世界中に市場を広げ請け負った仕事は必ず完遂する超A級国際的暗殺者の一人である。


ところで中国にはあるいは華僑華裔の住む地域には昔から『(ハン)』と呼ばれる殺人請負集団(本邦でいうところの仕事人集団)があった。今日の『K14』や『蛇頭』などの集団もその流れをくむものだ。


が、彼、手鼻のチンは特定の組織に属する事をこの上もなく嫌う独立系仕事人、俗にいう一匹狼の殺し屋であった。彼の矜持では集団に属する他の殺し屋達の伝統をないがしろにした西洋伝来の飛び道具で安直に目的だけを果たす事は到底容認できなかったからだ。彼は目的のみならずその手段をこよなく愛した。彼チンのその手段とは中華五〇〇〇年、歴史の重みを今に受け継ぐ職人肌頑固一徹たくみの技、他の追従を決して許さず、かつ西洋かぶれの若者達に後継者を見付けきれずにいる最後の国際級無形文化財的技量だといえる。


 さて、中国に『唐代奇伝』という古典がある。この『唐代奇伝』は、唐の時代、複数の文人によって創作られた怪異小説郡の総称である。芥川龍之介の『杜子春』や中島敦『山月記』は『唐代奇伝』の中から題材を得た事は万人の知るところである。が、中国古典研究者の間でもその上級者以外にはほとんど知られていないが、


実は今に伝わる『唐代奇伝』は『内本』で、もう一冊『唐代奇伝・外本』というものがあった。『内本』は仙人や妖怪が活躍するフィクッションだが『外本』にはそれがなく生身の人間のみが登場し多くは題材も事実に基づいている故、『内本』とは分けて『外本』と呼ばれた。


惜しむらくは『唐代奇伝・外本』の原本や写本は過ぎる戦渦動乱の中ですっかり散逸してしまった。が、その幾つかは今も中国人民あるいは世界に散らばる華裔の間で昔話として伝承されている。


そのひとつに『手拉伝(しょうらーでん)』という小品がある。『手拉伝』の粗筋は少々長いが以下の通りだ。読者諸氏が手鼻のチンの国際級無形文化財的技量を知る縁になればと思いあえて孫引きさせて頂く。

 

いつの時代にか、とある地方にとある領主がいた。

姓名は唐呂蒙、あざなは子明。

若年の折は領内につとめて善政を敷き領民は安寧と暮らす。領民は道に落ちている物を拾う者がなく夜間も家に鍵をかける必要がない程であった。が、唐子明は壮年を過ぎた頃よりまつりごとに倦み始め民声に耳を貸さず次第に暴君の様相を呈するようになった。また、この唐子明は無類の麺好きであった。毎日三食、一年中ソバを飽きる事もなく食していた。


 そして某月某日、彼の五十歳の生日(誕生日)を祝して館をあげて宴が開かれることになった。この時『長寿麺』の名人といわれる男が領内より招かれた。


『長寿麺』とは切りソバではなく手拉麺(しょうらーめん)である。『手拉麺』の『拉』は『拉致』の『拉』で字義は「引っ張る」。故に『手拉麺』は「手で引っ張る麺」となる。


けだし、つなぎで小麦粉をこねたこぶし大の生地玉を両手で左右に引き伸ばし、次に両手を閉じて生地の両端を右手で摘み、生地玉のもう片方の輪に左手の親指を入れ両手を左右に開く。また、閉じて麺の両端を右手に持ち替えもう片方の輪にを左手の親指をしれまた左右に開く。この作業を何度か繰り返すと二の倍々で麺の本数が増えて行く。最初の一本が切れる事もなく増えて行くところから『長寿麺』と呼ばれ縁起物として生日などの宴の余興で好まれていた。

 

当日、館の中庭にしつらえられた宴の席。コの字に机を並べ中央の上座に唐子明が座す。

彼を左右からコの字に囲むよう側近や高官取り巻きが続く。『長寿麺』の名人は唐子明の正面末席にはべる。名人の前には生地玉を並べた机と湯の煮えたぎる大釜がある。


名人は恭しく起拝し大きく深呼吸して気を入れる。名人は生地玉のひとつを両手でつかむ。先ずはゆっくりと両手をひろげ生地玉を伸ばす。そして素早く両手を閉じてまた広げる。生地玉は二本の太い線となる。そしてまた閉じてまた広げる。生地玉は四本の線となる。名人は無言だが両手を広げる度に閉じた口から唸りが漏れる。観衆も内心名人の両手の開閉を数える。


四回で八本。五回で十六本。六回で三十二本。七回。八回。九回。十回。そして最後の十一回目を数えた。本数は二の十乗、千二十四本。観衆も名人のその手際の見事さに感嘆する。


名人は自分の作品に納得するかの様に無言でうなずき大釜の中へ麺玉を投じようとした。が、その時、唐子明がそれを制した。「まだだ、今日は余の目出度い生日じゃ。余の長寿を願ってもう十回伸ばせ」


場内に緊張が走る。側近らは主人にまたもや他虐的発作が出たかと内心嘆き中には思いうんざりとする者もいた。が、暴君を諌める者はいない。名人は暴君の挑戦を受けて立ち毅然と姿勢を正す。そして両手を閉じて再び大きく開く。第十二回目、本数は二千四十八本。ひるむ事もなく名人は続けた。第十三回、四〇九六本。第十四回、八一九二本。 第十五回、一六三八四本。しかし第十六回目三二七六八本の麺の束は両手を広げきったところで中ほどよりブッツリと切れ勢いあまって左右に飛び散る。


「余の目出度い席に縁起の悪い‼︎」と唐子明は癇癪を起こし激怒する。続けて「釜ゆでにせい‼︎」と衛兵に命じる。誰も止める者はいない。衛兵は命じられるがまま立ちすくむ名人を捕らえ煮えたぎる大釜に放り込んだ。


不運にも暴君唐子明の逆燐に触れた名人は非業の死をとげる。この事件は瞬く間に領内に広がった。以来、『長寿麺』を作る者は領内から消えた。


 そして、この事件から三〇年の年月が過ぎ去ったある日のこと、一人の男が唐子明の館の門を叩いた。


男は『長寿麺』の達人と名乗り出る。麺好きの唐子明はかの時より久しく『長寿麺』を食していなかったが故、喜び勇んで早速その準備を中庭にさせた。


昔日の如く上座の床几に唐子明が座る。取り巻きが彼をコの字に囲む。達人も過日の如く唐子明の正面末席に位置する。


達人の前の大釜には湯が煮えたぎっている。達人は唐子明に恭しく起拝する。そしておもむろに懐より濡れ手ぬぐいにくるんだ生地玉を取り出す。生地玉の硬さを確かめる様に軽く揉む。深く深呼吸をする。やにわに達人は両手を広げる。生地玉が左右に伸びる。両手を閉じて再び開く。生地玉は二本になる。


達人は軽快にに両手を開閉する。唐子明や観衆らはその回数を数える。 三、四、五。回を重ねるごとに麺は細くなって行く。一四、十五、一六、一七、一八、一九、二〇。達人は依然止める気配も見せず自信に満ちた表情で動作を繰り返す。二一、二二、二三、二四、二五、見守る者達は固唾を飲んで目を見張る。一本一本の麺は髪の毛よりも細く見える。五〇、五一、五二、五三、本数は達人の両手の間で切れる事もなく増えて行く。


七八、七九、八〇、八一、尚も達人はひるむ様子もなく黙々と両手を開閉する。眼孔は何者かに憑かれたかの如くまばたきもせず両手を閉じるたびに気を吹き込むように深呼吸している。一〇一、一〇二、一〇三、一〇四、一〇五、一〇六、一〇七。その場の観衆らは達人の放つ気に呪縛されたのか身動きひとつ出来ない。



そして、一〇八回目を数えた。両手は大きく広がりそのまま中空に円を描きながらまた近づく。近づく両手を達人は一旦胸元に引き寄せついに満身の気を込めて両手を真上に押し上げる。


勢い長寿麺の束は真上に伸び上がる。が、あまりの細さの為、麺の一本一本は観衆には見えない。あたかも一条の霞が達人から沸き起こっている様だ。


霞は三楼の瓦まで達する。達人は巧みに両手を操る。霞は天女の羽衣のように揺ら揺らと中空に漂い見上げる観衆を感嘆魅了する。


その時、達人は両手をゆっくりと背後に傾けるや。羽衣もゆらゆらと達人の後方へ落ちてくる。羽衣がゆらゆらと地面に接するかしないかのその刹那、達人は両腕を満身の気を込めて前方へ振り下ろす。つられて羽衣も達人の前方に投げ出された。


時に俄かに黒い雨雲がわき起こる。が、観衆の目には羽衣は突如豹変し怒り狂う一匹の龍と映った。そして怒龍は唐子明に襲い掛かる。達人は両腕を巧みに操り押し出した両手を胸元へ引き寄せては押し出す。怒龍は唐子明の首をとぐろ巻き付きに勝ち誇ったかの様に雁首をもたげ雄叫びを上げる。かみなりが鳴る。


瞬時の出来事に観衆らは我を忘れ呆然とする。数分が過ぎ去った。誰かが何かを叫ぶ。憑き物の落ちた観衆らは我に返って主君を探す。上座には事切れた唐子明の亡骸があった。そして、達人は何時しか姿を消していた。


 この達人、実はかの名人の忘れ形見であった。過日、父親の非業の最期を知った時その復讐を天に誓った。苦節三〇年、生地玉のつなぎの配合に千試千敗、手拉麺の操りに万試万敗。ついに精進の甲斐実り道を極め宿願が成就したのであった。


閑話休題

話は手鼻のチンに戻る。手鼻のチンの国際級無形文化財的技量とは、つまり、引き伸ばした手拉麺の生地玉を投げ縄の様に自在に操り離れた相手を絞殺出来る技である。正に中華五千年、歴史の重みを今に受け継ぐたくみの技、後継者も無き最後の国際級無形文化財的技量だといえる。


もっとも『手拉伝』中の達人の一〇八回伸ばしは白髪三千丈のお国ならではの誇張である。手鼻のチンは一〇八回も伸ばさない。彼はその日の体調にもよるがおおむね三〇回前後である。それでも三〇回伸ばせば本数にして二の二九乗、五三六八七〇九一二本。仮に一本一メートルで概算すればその全長は約五三万キロメートル。


地球をゆうに一三周してしまう程である。わずかこぶし大の生地玉が地球をゆうに一三周。当然その細さは繭糸よりほそい。中華五〇〇〇年、脈々と受け継がれて来た東洋の神秘、正に国際級無形文化財的技量だといえる。また、繭糸より細くできる秘密はつなぎにあるが、その配合は門外不出秘伝中の秘伝だ。


今も何処かの誰かに雇われて請負殺人業に勤しむ手鼻のチンであるが、その詳細は他編に委ねたい。

まずはこれにて完。


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