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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

蛇女

作者: モナキ

 昔々、よく晴れた晩秋の日のことだった。

 ある寒村の、すすき野原の一本道を、村外れの墓場に向かって進む葬列があった。

 一面のすすきは西陽に照らされて輝き、どこか遠くで鳥が鳴いていた。

 その葬列のなかに、まだ少女と呼んでもおかしくないほどの若い女がいた。

 女はその胸に位牌を抱いていた。

 この葬列は、女の死んだ夫のものであった。

 妻である彼女は、夫の突然の死に打ちのめされていた。

 背に垂らした長い髪を、すすき野原を渡る風がなぶっていっても、彼女はうつむいたまま歩くばかりで、そういうからくりのようだった。

 そんな彼女を横目に気遣いながら、棺桶を担いだ村人たちは押し黙って、ゆっくりと墓場に向かって歩みを進める。


 あの人が死んだ。

 もう目を覚まして、私の名を呼ぶことはない。

 その事実を飲み込むよりも、道端の石ころを飲み込んで見せる方が、まだ容易いことに思えた。

 泣き疲れたその視界に映る景色は、全てがゆらゆらと陽炎めいて見えた。

 頭が高熱を出しているように重い。

 なんでこんなことになってしまったのだろう。

 私たちは幼馴染みで、昨年夫婦になったばかりだった。

 好き同士で結婚したので、祝言を挙げられないほど貧しくても幸せだった。

 小さな家で二人、木のうろで温め合う小鳥のつがいのように暮らした。

 そんなある日、夫が山一つ越えた町へ行商に行く事になった。

 村の人たちは時折町へ行き、田畑に出られない日に作りためた草履や細工物を売っては小金を作っていた。

 馬なんて持たない私たち村人は、町への行きも帰りも男の足で半日かかる。

 夫は出掛けに、たくさん売れたらその金で、お前に似合いの着物を買ってくるよ、と私に笑いかけた。

 夫は結婚のとき、貧乏ゆえに私にろくな花嫁衣装も着せられなかったことをずっと気にかけていたのだ。

 それに私はなんと答えたか。

 そんな過ぎたこといいのに、とか、それよりも冬越しのための食べ物を多く買ってきてよ、とか、可愛げのない返しをしたと思う。

 幼馴染みで夫婦になったがゆえの照れ隠しだった。

 でも、妻のことはなんでもお見通しの優しい夫は笑って、じゃあ行ってくるね、日暮れまでには帰ってくるからと言って、結局それが、私が生きたあの人を見た最後だったのだ。


 現金な私は、夫が自分のために選んでくるという着物への期待に胸を膨らませて、家事をしながら上機嫌で過ごした。

 しかし夫は日が暮れても、夜が更けても帰ってこなかった。

 月のない夜だった。

 私は寝るに寝られず、不安に押し潰されそうになりながら一人夜明けを待った。

 

 ようやく空が白み始めたころ、私は村の家々を回って早起きの村人たちに事情を話し、連れだって夫が帰りに通るはずの道をたどり始めた。

 夫は道中に急な病で動けなくなったのかもしれない。

 野犬に襲われたのかもしれない。

 私は必死で夫の名を呼び続けた。

 そうして村から遠く離れて、日が昇りきったころ、私が目にしたのは、道に転がっている夫の亡骸だった。

 その背に深々と突き刺さっている山刀から、夫に死をもたらしたのが、病でも野犬でもないことが知れた。

 夫の亡骸からは財布がなくなっていた。

 夫を殺したのは追い剥ぎだった。

 亡骸のなかで目を引いたのは、その両手がしっかりと握りしめてそのまま指が固まっていた、女物の衣だった。

 その衣は美しい花や宝物が精緻に染め抜かれた見事なものだったが、亡骸の血を吸って無惨な血染めになっていた。 

 大きく裂けてしまった布地から、盗賊と取り合いになり夫が抵抗したことが知れた。

 私はその有り様をみて、その場で気を失ったらしい。


 私が気がついたとき、自宅の布団に寝かされていた。

 目が覚めても腑抜けのようになってしまった私をみかねて、頼もしい村の女たちがあれこれと葬儀の手はずを整えてくれて、その間私はずっと弔問にやってくる人々に頭を下げていればよかった。

 夫も私もすでに親兄弟を亡くしているのは、この狭い集落の誰もが知っていることだったので、誰もが私に、困ったことがあれば頼りなさいよと言葉をかけてくれた。

 そんな優しさも、頭が鉛のようになってしまった私の耳を右から左へ抜けていくだけだった。

 夫を葬るに際して私が唯一自分の意見を言ったのは、納棺を手伝ってくれた近所のおばさんに、この血染めになった衣はどうしようかと訪ねられたときだった。

 夫が町で私のために買ってきてくれた、きれいな着物。

 これを盗賊から守ろうとして死んでしまった。

 見るのも辛くて、夫と一緒に棺桶に入れて葬ってくださいと頼んだ。

 おばさんはなにも言わずに頷いた。


 そうして場面は私の目の前を嵐のように通りすぎ、今、葬列の一員として歩いている。

 村境に建てられた道祖神の脇を葬列の最後尾が通り抜けたとき、ふと、葬列の先頭を行く鉦の音がやんだ。

 顔をあげると、雲が垂れ込めて空が黒くなっていた。

 先程までは軽やかに野を渡っていた風が、湿り気を帯びている。

 一雨くるのかしら。

 私がぼんやりとそう思ったとき。


 どーん


 すぐそばで雷が落ちた。

 誰もがそう思っただろう。

 轟音とともに葬列のすぐ脇でかっと光るものがあり、土ぼこりが舞って、私はとっさに袖で目を覆った。

 続いて男たちの悲鳴。

 棺桶を担いでいたはずの若い男衆の声だ。

 私が身を屈めたままなんとか顔をあげると、そこには想像を絶する光景があった。

 大蛇だ。

 そう判断するまでに数秒を要した。

 あまりにも大きかったので、地に伏す人々の真ん中に暗緑色に鈍く輝く鱗の壁が現れたとしか見えなかったのだ。

 それがとぐろを巻いた蛇だとわかったのは、その鱗の壁から空に向かって延びる、一本の鱗の柱の先端に蛇の頭があったから。

 その巨大な蛇の頭は、棺桶を咥えていた。

 蛇はそのあぎとで易々と棺桶を噛み砕いた。

 白い剣のような牙の隙間から、死んだ夫の腕が揺れていた。

 「返せーっ!」

 私は立ち上がり、大蛇に向かって叫んでいた。

 地面にうずくまる葬列の人々の間を縫って、大蛇に向かって駆ける。

 「亡骸を返せーっ!」

 大蛇は叫ぶ私など意に介さず、夫の亡骸を飲み込んだ。

 そして、地上でわめきながら大蛇のとぐろを叩く私を、黄金の目で一瞥すると、煙のようにかき消えてしまった。

 

 大蛇に腰を抜かした村人たちは、逃げるように各々の家へ帰っていった。

 私も一人、家に帰ると、床に座して拳を握りしめていた。

 惨めだったし、何より自分が憎かった。

 夫を送り出し、土産物への期待に浮かれている間にその夫は盗賊に殺されて、挙げ句の果てにその亡骸を化物に食われてしまった。

 馬鹿で無力な自分への怒りに震えた。


 とんとん


 ふと気づくと、家のなかは真っ暗になっていた。

 確かに家の戸を叩いた音がしたので、明かりをつけずに戸に歩みより開けると、そこにいたのは、見知らぬ、背の高い、目の覚めるような美女だった。

 白い肌は暗闇に浮かび上がり、淡く光っているようにさえ見えた。

 切れ長の目、高く通った鼻筋、口紅はつやつやと赤く、微笑みのかたちに弧を描いていた。

 美女からは、よい香りがした。

 夜に咲く花の香りだ。

 美女の顔も、美女が着ている、絵草紙でしか見たことのないような姫君の衣装にも目を引かれるものがあったが、私が釘付けになったのは、その腕に抱いている男の赤ん坊だった。

 眠る赤ん坊は、きれいな女物の衣に包まれ、その衣の端を握りしめていた。

 血染めでも裂けてもいないが、確かに夫とともに棺桶に納められたはずの衣に。 

 美女は私に言った。

 「この子を産みましたら、どうしてもあなたのもとに帰りたいと言って聞かないんですの。」 

 天上の笛のように滑らかな声で。

 「この子はきれいな衣を持っていたので、衣をわたくしに捧げるのであればいいでしょうと言ったのに、この子は衣もあなたのものだから持って帰るのだと言い張るの。わたくし、いつもは、人のわがままなど聞かないのですけれど、この子が衣を握りしめて離さないのがいじらしくって、わがままを許してしまったの。あなた、この赤子が欲しいかしら。」

 美女は静かに笑うと、赤ん坊を凝視して固まっている私の手をとり、眠る赤ん坊を抱かせた。

 すやすやと眠り続ける赤ん坊は、鼻の形も、左の頬のほくろも、私の大好きなあの人のままだった。

 涙は尽きたと思っていた私の両目から、ぼろぼろと涙が滴り、赤ん坊に降り注いだ。

「…あの人なの…?」

「ええ、そうよ。欲しいかしら?」

「っはい、どうか、この子を私に下さいませ。」

 私は赤ん坊を抱えたまま、美女の目を見つめた。

 美女の瞳は黄金。

 このときにはもう美女の正体が分かっていたが、憎しみはなかった。

 いま抱くのは、亡骸を喰らって赤ん坊を産んだという異形の力への畏れと、どのような姿であろうと、盗賊に殺された愛する夫を、命ある形で私に返してくれた感謝だった。

 美女はつとその指を、紅を引いた唇にやり、私に微笑みかけた。

 「条件があるわ。」

 「はい。なんでも致します。」

 「この家の庭の、花が咲く木の下に、わたくしを祀る社を建てて頂戴。小さくてもいいわ。約束するならば、その赤子をあなたにあげましょう。」

「必ずお約束致します。」

 私は赤ん坊を抱いたまま可能な限り深く美女に腰を折り、頭を垂れた。

 美女は満足げに頷くと、優雅に踵を返し、そしてまばたきのうちに闇に溶けるように消えてしまった。


 そして私に再び幸せな日々が訪れた。

 社は、春の夜に白い花を咲かせる木の下に建てた。

 私の知る木の花で、もっとも美しいそれが、あの蛇の女神にふさわしいと思ったのだ。

 夫に生き写しの子を連れて、社を磨くのが毎朝の私の日課だ。

 子は最近つたい歩きを覚え、よく笑うようになった。

 私はきっと生涯、明けない夜に奇跡をもたらしてくれた異形の蛇を畏れ敬い、社を守るだろう。

 

 


 


 


 


 

 

 

 

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