少女地獄、もしくは繰り返す極楽のはなし
娼館と探偵と血なまぐさいはなし
その日私は知人の紹介で、ある娼館に訪れたのだった。
一風変わった少女ばかりを取り揃えたと言う娼館は箱庭のような街の一角にあると言う。古めかしい骨董品屋の横の細い階段を降り、暫く歩くと知人の教えてくれた『葬儀屋のBAR』と言う名前の店が見えてくる。ここに娼館まで案内してくれる人物がいると言う話だった。
私は店の中に入り、何故か幾ら見ても顔の解らない店主に娼館の名前を告げると店主はにやりと笑って私を店の奥に案内する。店の奥には何重もベールを重ねたような瀟洒な作りの小部屋があり、その中では端正な顔をした優男と背筋がぞっとする位に美しい少女が私の事を待っていたのだった。
ふたりは部屋の長椅子に背中合わせの姿勢で座り、骨牌を手に婆抜きをしているように見えた。いったい何が楽しいのか私には解らないが。黒い長砲を着た優男は喬生と名乗り、白い着物に光沢のある黒い半だら帯を締めた少女は苻麗卿と名乗ると、ふたりは私に向かってにこり笑って見せたのだった。
ようこそいらっしゃいましたとふたりは二人で一人のように声を合わせて言う。見事なユニゾンに私が怪訝な顔をすると、ふたりは私がそんな顔をするのがおかしくて堪らないとばかりにくすくすと笑う。少女は手に持った扇子で優雅な手つきで口元を隠し、優男は手で口元を同じく優雅な手つきで隠してくすくすと笑ったのだった。
まるで、私の事を嘲笑っているかのような笑い声。
くすくす笑う声。私が何がそんなにおかしいのかと思っていると、符麗卿と名乗った少女が目の端を拭いって失礼と言う。そして、貴方はどんな少女がお望みなのでしょうかと少女は扇子で口元を隠したまま私に訊ねて来る。猫のように細められる目に愉しげに歪む赤い唇。少女は私の目をじっと見つめるとにこりと笑う。
思わず吸い込まれそうな少女の目に私は見とれてしまうが、どこか毒がある眼差しだと思う。いわば、娼館の主だと言う少女自体良くできた人形のようだった。黒檀のように黒い髪に雪のように白い肌、そして血のように真っ赤な唇を持つ美しい少女。私は少女に促されるまま、自分の望みを口にする。少女と優男の奇妙で意味深な笑み。まるで、ふたりだけで悪巧みをしているような彼らの顔に背がぞくりと震えた。
私の話を聞いた後、少女は軽く頷きながら優男の顔を覗き込む。
何か問うていると言うよりも、まるど少女の悪戯っ子のような眼差しは優男が次に言う台詞を知っているかのようだった。優男は嘆息をつくと、お客様のご希望に合う妓ならば、先日メンテナンスから戻って参りましたので、お客様のお望みに叶いますと思いますと柔らかな口調で言う。
口調と同じように優しげの良さそうな優男の笑みは、無残にも少女の躯を売っているような人物には見えなかった。容姿と言い、物腰と言いいかにも女に惚れられそうだなと私は思う。それにしても、目の前のふたりの関係は何なのだろうか。私の疑問は最後も解ることがなく、私はふたりに連れられて店の表に出る。
墨を溶かしたような闇夜。優男は右手に雪洞、左手は少女の右手を捧げ持ち、少女は残りの左手で裾長の着物の裾をちょこんと持っていた。そして、少女は私の方に振り返ると、それでは参りましょうかと私に言う。その声に誘われるかのように、幻か何かのような光景に私がぼんやりとしながら歩き出す。暫く歩くと、高い塀のあるお屋敷につく。娼館には到底見えない屋敷に、私が不思議そうな顔をすると少女は私の心を読んだようにこちらがお望みの物がある場所ですよと言ったのだった。
少女と優男に連れられて足を踏み入れた屋敷の中はまるで涅槃の光景。いきなり、屋敷の中に蓮花が浮かぶ水庭が現れて私は驚く。天井には人間大の鳥籠が二つ吊り下がり、一方には大陸風の衣装を身に纏った少女が入れられ、もう一方は欧州風の衣装を身に纏った少女が入れられていた。
ふたりの少女は聖歌のような歌を謳っていた。
言葉をなしていない美しい歌声。
少女たちは喜びも苦しみも感じていないように虚ろな瞳のまま謳い続ける。私が訝しげな顔をすると符麗卿は「あれは、人形ですから」と面白そうな顔をした。そして、符麗卿は少女達の歌に合わせて謳い出す。少女達と負けずとも劣らないない美しい声。結局、符麗卿は少女達に合わせて最後まで謳ったのだった。
符麗卿は謳い終わると、水庭の真ん中で優雅な物腰で一礼する。まるで一枚の絵のようだった。一礼をした彼女は私の前までくると、さて貴方のお望みの場所にお連れしましょおうかと言ったのだった。
苻麗卿と喬生によって私が連れて来られた部屋は真ん中に黒い棺が鎮座した殺風景な部屋だった。棺の中にいるのは、まるでジュリエットが着ているような白いドレスを着た人形のように見える少女。緩やかに波立つ長い黒髪、白磁のように白くて滑らかな肌、薔薇色の頬。全てにおいて私にが思い描く完璧な少女そのものだった。
私は棺に恐る恐る近づき、少女の白鳥のようにほっそりした首に手を掛ける。首を絞められて、苦しくなったのか瞼を閉じている少女の顔が微かに歪む。濡れたような赤い唇から吐息のような物が漏れる。いつの間にか、部屋の中には私を案内してきた苻麗卿と喬生はいず、私は胸を高ぶらせながら少女の首を締め続ける。興奮の余りについつい荒くなる息。
少女は私の手の中で命の炎を消しつつあった。私は少女が涅槃に落ちる一瞬を見る為に首を締め続ける。私は舌で唇を忙しなく舐めながら、その一瞬を待ち続けた。少女の首ががくりと落ち躯から力か抜けた。私は言いようのない恍惚の余韻に浸りながら少女の細い首から手を外す。黒い欲求を果たした私は興奮冷めやらずの状態のまま踵を返して部屋の外に出ようとした、
その時だった。
背後で衣擦れの音がした。私は棺の中の少女ならば、自分の手で涅槃に送った筈だと訝しがりながら振り向く。私の背後に立っていたのは、さっき私の手の中で冷たくなった筈の少女。少女は私の顔を見て、朱い唇を歪めて笑う。唇の間から見えるのは、異様に鋭い犬歯。少女は陶器のように滑らかな両腕を私の首に巻き、体重を掛けて私を屈ませると首筋に鋭い犬歯を当てたのだった。
暗転、暗転、暗転。
首筋の皮を破って入りこむ歯。少女の歯が体内に入った途端、身体中に言い表しようのない恍惚が電流のように走りまくり、私は幽冥境の端を漂ったのだった。次に気がついた時には『少女屋』と言う名前の娼館にいる所か『葬儀屋のBAR』にも二度と息つけなかったのである。
その日から、私は私が殺した筈の少女を求めて、町を彷徨するようになった。あの手の中の感触、花のように首が倒れる様子、そして私の首筋噛みつく感触がどうしても忘れる事ができなかったのである。夢の中では、あの少女はうっとりするような笑みを唇の上に浮かべて、私の事を手招きしていると言うのに。
そんな時、私の様子がおかしいと気づいた知人がもしかして私の助けになるかも知れないと奇妙な探偵を教えくれる。知人が教えてくれた怪奇な事ばかり興味を抱く探偵は私が少女と出会った箱庭のような町と同じ町に住んでいた。知人が書いてくれた紹介状を手に私は奇妙な探偵がいると言う清廉潔白探偵事務所に足を向ける。
事務所は瀟洒なビルアパートの五階にあった。お仕着せを着た美しいが人形のように無表情な女中に案内されて探偵がいると言う書斎に行く。書斎は四階から吹き抜けになった部屋だった。三方を書棚に囲まれた壁。書棚には何故か私が今まで見た事のない字で題名が書かれている本が並んでいた。その書棚の間を縫うように設えられた階段を降りると知人曰く奇妙な探偵が私の事を待っていた。男物の黒い着物に羽織を羽織った探偵の顔を見て私は驚いたような声を漏らす。
何故なら、探偵の顔は先日『葬儀屋のバー』で出会った符麗卿と名乗った少女とうり二つだったのである。呆然としている私をよそに探偵は私の事を知らないとばかりににこりとした。探偵だけではない私の前に紅茶とお菓子を出してくれた使用人らしい人のよさそうな笑みを始終浮かべている男は喬生と名乗った優男とそっくりだったのである。
黒檀のように黒い髪と雪のように白い肌、そして血のように赤い唇を持つ美少年にも美少女にも見える探偵は、私の奇怪な話を聞くと優美に片眉を顰めさせると口元を手で持つ半開きの扇子で隠して声を立てて笑う。まるで、面白い冗談でも耳にしたかのように。全く失礼な話である。ひとしきり探偵は笑った後、失礼と言って顔を引き締める。そう言いつつも探偵の頬は軽く歪み、私が良いと言えば笑い始めただろう。そして、探偵は声を潜めて内緒話をするかのように話し出す。
先日、実は探偵は人形のように綺麗な少女の相談を受けた事。そして、 少女は先日出会った男性が忘れられないと訴えた事。その男性の血が素晴らしく美味であった事。できれば、もう一度会いたいと言っていた事を探偵は愉しそうな口調で言ったのだった。
私がその話に驚いていると、探偵は書斎の奥に行く。そして、探偵は書棚の奥から一人の少女の手を捧げ持って戻って来たのである。まるで壊れ物のように。喪服のような黒いドレスに黒いベールを被った少女。探偵と少女は私の前に来ると立ち止まる。探偵の唇に浮かぶ意味深な笑み。少女の近くに優男が寄ると背後から黒いベールを引き上げる。ベールの下から現れたのは私が夢にまであの少女。私が首を締めて殺した筈の少女だった。
ご紹介しましょう、こちら血吸い姫ですと言う愉しげな探偵の声。若い男性の血が好物なのですよと言う探偵の声が遠い世界から聞こえるように耳に入る。少女は私を見ると物欲しげに瞳をキラキラとさせた。何故、彼女は私だけに興味を示すのだろう。問いかけるような目で私が探偵を見ると、探偵は厳かに頷くと残念ながら、僕とあれは対象外なのですよと言って、扇子の先で優男を指し示したのだった。
探偵の手を離すと少女はゆっくりとした動作で両手を伸ばして私に近づく。逃げなくてはと私の本能は言っているのに、少女の微笑みに魅了されたように動けない。少女は私の頬を指でなぞった後、おもむろに薔薇が綻んだのような唇を私の首筋に押しつける。首の皮膚に何かが侵入してくる感触に私は首を仰け反らす。徐々に意識が遠のき始めた私の耳に、
「彼女は死んでいるようなものだから幾度貴方に殺されようが構わないし、貴方の血は彼女にとってご馳走だしで、とても良い関係を築けるかと思いますよ。ああ、なんて麗しきギブアンドテイクでしょう。感動ものですね」
と、言う酷く愉しげな探偵の声が聞こえてきたのだった。